MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ガンになるまでの日々 19 - 診断不能(2011年7月)

2008年11月1日 教科書の点字を読んで、同じ文章をタイプライターで打ちます。
長男が父親似か母親似か、ずっとわからなかったのですが、この写真の横顔は、私の小さいころにそっくりでした。^^(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


2011年7月


卵巣膿瘍で手術を受け、
その後は腸閉塞を起こし、
2か月もの入院となりましたが、
退院後は、順調に回復していきました。


「卵巣嚢腫の人は、卵巣がんになりやすいからね。
 今回はガンではなかったけど、
 念のため、今後も定期的に、
 病院で観察していきましょう。」


M医師からそう言われ、
私はその後も、G研病院の外来に通いました。
退院の翌年、残念なことに、
信頼するM医師は、G研を退職されてしまい、
私の主治医は、B医師に変わります。
B医師は、30代くらいの女性でした。


私は、職場にも復帰して、
その後は、なんの問題もなく、
元通りの生活になりました。
再び、育児と仕事に追われる日々となり、
入院していたころの記憶は、
しだいに遠ざかっていきました。


それは、退院して3年めのことでした。
ある日私は、自分のお腹に、
不思議なものを見つけました。


場所は、おへその少し右のあたり。
ピンポン玉くらいのでっぱりがあるのです。
自分のお腹で、ぴょこりと飛び出しているそれは、
押してみると、ぷにゅぷにゅと柔らかい感触です。


立ってお腹を見下ろすと、
「それ」が、お腹から飛び出ていることが、
はっきりとわかります。
ところが、仰向けに寝てみると、
「それ」は引っ込んでしまい、
どこに行ったのか、わからなくなります。


もしかしたら、ガンなのかな?
とも思ったのですが、
それにしては大きすぎます。
「それ」は、ある日突然、私のお腹に現れ、
痛くもかゆくもなく、
そして二度と、なくなることは、
ありませんでした。


当時、G研の経過観察は、
3か月に一回のペースになっていました。
そこで、その次の診察の時に、
医師に相談してみました。
が、私のお腹を見たB医師も、
怪訝な表情です。


「なんでしょうね、これ…。」


えっ。ドクターにも、わからないんだ…。


診断がつかないということは、
どうやら、ガンではなさそうです。
でも、だったらなんなのでしょうか。
なんだか不安がつのりました。


「ガンではないと思います。
 でも、なんでしょうね…。
 なんだか気になりますね。
 私も、ちょっと調べてみますね。」


と言われ、その日の診察は、
あっけなく終わってしまいました。
えっ 検査とかしないの?
と思いましたが、
医師は、その必要性を感じなかった、
ということだと思います。


結局、お腹の「ぴょこり」がなんなのか、
わからないままに、帰宅します。
そして、その次の診察日まで、
自分のお腹にできた「それ」を眺めながら、
さらに3か月を過ごすことになりました。


(つづく)


体育の後、2時間目は数学です。全盲難聴の長男に、「数」というものを教えるため、長い時間をかけた取り組みをしていただきました。授業はマンツーマンで、教材も手作りです。言葉で説明することができない長男に対して、ていねいな、ていねいな授業が行われました。今も感謝でいっぱいです。(2008年11月1日)

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