MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 13 家族(2009年1月)

2008年10月11日 盲学校の運動会。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
平均台の上を、端から端まで歩きました。長男のクラスは、3人だけ。盲学校は生徒の数が少ないので、運動会となると、やたら出番が多くて(苦笑)、写真を撮るのに忙しかった記憶があります。^^


2009年1月


我が家は、夫婦共働きでしたので、
育児も家事も、夫婦で分担し、
毎日、なんとかやりくりしていました。


ところが、私が入院した日から、
それらのことは、すべて、
夫がひとりでこなすことになりました。


家事は、手抜きすることもできるし、
「やらない」という選択もあります。
けれど、育児はまったなしです。
障害がある長男については、夜8時までは、
ボランティアさんや施設のみなさんに
助けていただきましたが、
それ以降のことは、
夫がひとりでやらなければなりません。


会社から帰宅したあと、
夫は、長男をお風呂に入れ、
長女にごはんを食べさせ、
子どもたちが寝たあとは、
洗濯と、翌日の支度。
朝は、長男に身支度させ、連絡帳を書いて、
スクールバスまで送っていきました。
そして、自分も仕事に向かうわけです。
たいへんだったと思います。


週末になると、
夫は、子どもたちを車に乗せ、
私が入院する病院に連れてきました。


G研のベッドは、「電動ベッド」です。
それを、長男は、
ことのほか気に入りました。^^
病室に来ると、長男は、
すぐに、私のベッドに上がります。
そして、リモコンを操作しながら、
ベッドを動かすのが大好きでした。


長男が電動ベッドで遊んでいるあいだ、
私は、夫や長女とおしゃべり。
病院で一時間ほど過ごしたあと、
夫は、子どもたちを連れて帰ります。
それが、我が家の週末のお約束になりました。


ある日のことです。
子どもたちがやってくる前に、
私は、シャワー室に行きました。
シャワー室は予約制で、その日は、
その時間しか空いていなかったのです。
間の悪いことに、
その、私が病室にいない間に、
夫と子どもたちがやってきたのです。


長男は、病室にはいるなり、
夫の手を離し、ひとりで、
大好きな「でんどうべっど」に直行。
目が見えなくても、もう、
ベッドの場所を覚えていました。


長男は、いつものように、
私のベッドに上がって、遊ぼうとしました。
けれど、その日にかぎって、
ベッドテーブルの上に、
マグカップを置いてあったのです。
長男にはそれがわからず、
マグカップを落としてしまい、
カップの中の水は、
おふとんにこぼれてしまいました。


シャワーを終えた私が部屋に戻ったのは、
夫が、それにキレて、
長男を叩いている瞬間でした。


あわてて、長男を抱いてかばったものの、
長男は泣いていました。
自分がどうして怒られ、叩かれたのか、
長男には、わかりません。
今思い出しても、長男がかわいそうで、
切なくなります。


「叩かないで。
 わざとやったわけじゃないでしょう。
 のんたんには、コップがあることも、
 水が入っていることも、
 わからないのだから。
 たかが水がこぼれたくらいで、
 叩くようなことじゃないでしょう。」


と言ったものの、
「こいつが悪いんだよ。」
と答えるだけで、
夫はふてくされていました。


私の入院は、一ヶ月を越えていました。
そのあいだ、毎日、
育児も家事もひとりでこなし、
夫は夫で、疲れていたのだと思います。


でも、だからと言って、
長男にあたっていいわけがありません。
長男には、かわいそうなことをしました。
今でも、思い出すと胸が痛む、
悲しい思い出です。


ときには、そんなこともありましたが、
毎週末、病室にやってくる子どもたちを、
ルームメイトのみなさんは、
いつも暖かく見守ってくださり、
かわいがってくださいました。


病室内の「女子会」では、
それぞれの身の上話を
語り合うこともありました。
そんなときに、私は、
長男が全盲・難聴であることも
話していました。
なので、長男が病室にはいってきても、
誰も、驚いたりすることはなく、
子どもたちには、ごく普通に
接していただきました。


私はそれを、あたりまえのことと思っていて、
特に気にすることもありませんでした。
けれど実は、ひとりひとりの心の中に、
小さくはない思いがあったことを、
あとから知ることになりました。


(つづく)


「玉ころがし」と、「トンネルくぐり」。今、見ても、ほんとにやたらと出番が多かったなあ、と。笑 先生方は大変だったと思います。

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