MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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ガンになるまでの日々 ⑪ 肉腫(2009年1月)

2008年10月11日 盲学校の運動会で。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


2009年1月


年が明け、私の入院は、
一か月になろうとしていました。
が、術後に起こった腸閉塞が改善せず、
いつ退院できるかすらも、
わからないような状態でした。


そのころに入院してこられたのが、
Fさんです。
60代くらいの、上品な方でした。
ご主人はすでに亡くなり、
娘さんはお嫁にいかれたので、
横浜の自宅で、
ひとり暮らしをされているそうです。


「かかりつけの病院でね、
 検査していただいたの。
 そしたら…。」


医師はこう言ったそうです。


「Fさんね。
 ガンじゃなくて、肉腫ですよ。
 これはとても珍しい病気で、
 専門の病院でないと、治療できないんです。
 でもね、いい病院を知っているから、
 紹介状を書きますよ。
 この病院に行けば、大丈夫です。
 よかったね。きっと治療できるよ。」


【肉腫(サルコーマ)】
全身の骨や軟部組織(脂肪、筋肉、神経など)から発生する悪性腫瘍の総称です。肉腫の発生頻度は極めて低く、悪性腫瘍全体に占める肉腫の割合は約1%に過ぎません。まれな腫瘍であることから、診断や適切な治療が困難であることも、少なくありません。


「肉腫」ということばを、
私は、このときに初めて知りました。
診断が難しい病気で、
手遅れになることも、
めずらしくないそうです。


Fさんは、当時の主治医の紹介で、
G研病院に入院しました。
子宮の肉腫だったそうですが、
手術で切除し、現在は、定期的に、
抗がん剤治療を行っているところでした。


子宮の肉腫は、非常にまれな疾患です。
子宮筋腫や腺筋症と区別がつかないままで
治療されてしまうことも多いそうです。


ふつうのガンでもショックなのに、


「肉腫」
「診断が難しい」
「治療も難しい」
「専門施設でないと」


などと聞くと、もうそれだけで、
心が折れてしまうかもしれません。


けれど、Fさんは、
終始、ニコニコとした表情で、
その話を聞かせてくれました。
まるで、
「昨日ね、**を買って食べてみたら、
 おいしかったのよ。」
とでも言っているかのような、
そんな、気軽な話し方でした。


「突然、肉腫だなんて言われて、
 びっくりしたけど、
 こんないい病院に入院できて、
 よかったわ。
 私は、運がいい。


私も言いました。


「…そうですね。
 この病院で治療ができた、というだけで、
 まずは、ひとつめの運を、
 つかんだんですよね。」


黙って話を聞いていた、
他のふたりのルームメイトも、
ベッドの上で、
「そうそう。」
と、うなずきました。


ガンになって、
「私たちって、運がいいよね。」
と語り合う、4人。苦笑
ちょっと不思議な光景です。


けれどG研では、
そう珍しくもない、光景でした。
誰もが、この病院で治療ができたことを
感謝し、希望を持ち続け、
そして淡々と、病気に向かいあっていました。
病室の中では、いつも、
穏やかな時間が流れていました。


(つづく)


始めに、全員でラジオ体操。そして競技では、先生とヒモでつながって走りました。

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