MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナ同窓会(1980年7月、1981年2月、そして2020年6月)/ 我が家のてきとうキッシュパイ

1982年1月1日 ニューイヤーパーティ。Marta、Assisi と。MIYOが着ているのは、ブラジル・サルバドール地方独特の、Rendaという、レース編みのワンピースです。当時22歳! 若い!!笑


大晦日から新年の朝までつづくパーティでした。MartaとAssisは恋人同士でしたが、ふたりきりで一晩過ごすのを両親が許さず、お目付け役として私が同行させられた、という、つまらない思い出です。爆 一晩中踊り明かし、翌朝に撮った写真。MIYOの頭には、新年の紙吹雪がついたままですね(ゴミじゃないですよ。)^^


6月4日


大学3年の夏に、40日かけて、
ヨーロッパ7か国を
ひとりで歩きました。
ほとんど40年前の話です。笑


当時、個人旅行は珍しかったし、
ましてやバックパックで、
女の子の一人旅なんて、
ほとんど見かけませんでした。
(同じころ、みよんさんも
 ヨーロッパをひとりで
 歩いておられたそうですが、
 残念ながら、
 出会えなかった私たち…。笑)


そのときの旅の、一番の目的は、
同い年のペンフレンドだった
ポルトガル人の Dina に会うこと。
無事、ポルトガルまで行き、
Dina に会うことができて、
彼女の家に一週間ホームステイしました。


その半年後、今度は、
ブラジルに一年間留学します。
そのときにホームステイしたのは、
ドイツ系移民5代目の Kuhn 家でした。


その家には、
Marta という女の子がいました。
MIYOよりも一歳年下で、
年が近かったので、姉妹のように。^^
よくおしゃべりしたし、
けんかもしました。笑


ポルトガルの Dina と ブラジルの Marta。
その後は誰もが、
自分の人生に忙しく、
いつのまにか、お互いに
やりとりすることもなくなり、
40年近い年月が過ぎています。
それぞれに、引っ越しをしており、
もはや、メールアドレスはおろか、
住所すらもわからなくなっていました。


半年くらい前に、フェイスブックで、
Dina らしい名前を見つけだし、
「私のこと、覚えてる?」
とメッセージを送ってみたものの、
そのフェイスブックは使われていないようで、
返事はありませんでした。


Marta にいたっては、
あまりにもありふれた名前のため、
フェイスブックで探す手立てすら
ありませんでした。


私は、フェイスブックを
めったに見ません。
そのまま、半年以上が経過。
すっかり忘れていました。
ところが。


つい先日。
たまたま、自分のフェイスブックを
開いてみたところ、
Dina から、
「もちろん、覚えてるわよ!^^」
というメッセージが。
うわ、やっぱり、
あのフェイスブックの主は、
Dina だったんだ!


と驚いていたら、
同じフェイスブックの画面に、
Marta とその夫、Assis から、
「友達申請」が…。
ええええええ?


こんなふうにして、ふたたび、
なつかしい3人の人たちと、
いきなりつながってしまいました。
ほぼ、40年の時を超えて。笑


今の時代っていうのは、すごいですね。
インターネットがなかったら、
そして、SNSがなかったら、
たぶん、一生、
再び言葉を交わすことは
なかったような気がします。
うれしかったのですが、それ以上に、
驚き、戸惑いました。


なぜ、今だったのか。
ずっと音信不通だった彼らが、
時を同じくして、
私と連絡を取ろうとしたのは、
どうしてだったのか…。
そこで初めて、思い当たりました。


コロナ、です。


世界中が、コロナ禍で苦しんでいる中、
日本でも、コロナに関連して、
「ポルトガルでは…」
「ブラジルでは…」
などといったニュースが、
頻繁に報道されています。


それはまた、彼らの国でも、
同じだったのかもしれません。
「今、日本では…」
と。


ニュースを見て、それぞれが、
「MIYOはどうしているだろう。」
と、思い出してくれたのではないでしょうか。
そして、フェイスブックで、私のことを
さがしてくれたのかもしれません…。


40年の時を超えて、
ポルトガルとブラジルから、
ほぼ同時に、
私のフェイスブックに現れた、
彼らの名前を見るにつけ、
「コロナが会わせてくれた」
ような気がしてならないのです。


そして、なんとなく、
こんな言葉が浮かびました。


「コロナ同窓会」。(苦笑)


今日、Marta と Assis が、
2枚の写真を送ってくれました。
共に過ごしていたころの写真です。


自分にこんなときがあったなんて、
夢のようです。
今の自分と、何キロちがうのだろう…。
考えると、悲しくなりました。笑


ブラジルを発つ日、Marta と Assis が、空港で見送ってくれました。この数年後、ふたりは結婚します。(1982年2月13日)


ああ、そうだ。
「で、どうして、
 ポルトガルとブラジルなの?
 留学なら、普通は英語圏では?」
と、不思議に思った方も、
いらっしゃるかと思います。


私、大学の専攻が、
ポルトガル語、だったんです。爆
外国語学部ポルトガル語学科、卒業です。
冗談みたいですが。笑


(おまけ)
今日は写真が少ないので、
先日撮った、キッシュの写真を。


少し前に、
「ブリーズ・オブ・トウキョウ」で食べた、
舞茸のキッシュがおいしかったので、
自分でも作ってみたくなりました。



たまたま、某モニターサイトから
リクエストがあったので、
久々に作ってみました。
こんなふうにしてモニター投稿しては、
日々、ポイントを稼いでいます。笑


① ベーコン、ウインナー、分葱の小口切り、舞茸を炒め、塩こしょうで味をととのえます。その後、しばらく放置して、粗熱をとります。

② 冷凍のパイシートを解凍し、耐熱皿にしきつめます。かなりおおざっぱです

③ 卵4個に生クリームを200ml入れます。卵やクリームの量は「てきとう」です。多少量が違っていても、大丈夫、キッシュはできます。笑

④ 生クリームの代わりに、牛乳や豆乳を入れてもかまいません。カロリー控えめのさっぱりキッシュができます。凝固剤として、マヨネーズを入れてください。量はてきとうです。笑

⑤ 洋風の卵料理には、たいてい、ナツメグを入れています。味に深みが出ます。なくてもOKです。

⑥ パイシートを敷いた皿に、①と⑤をざっくりまぜて、流し入れます。その上から、とろけるチーズをパラパラっと。チーズはなくてもOKです。

⑦ オーブンで焼きます。パイを作る時の温度・時間でOKです。MIYOは、ウォーターオーブンの「おまかせボタン」で、てきとうに焼きました。笑 家にオーブンがない場合は、小さなグラタン皿に入れて、オーブントースターで焼いても、ミニキッシュができます。その場合、マヨネーズを多めに入れてください。

⑧ 焼いているあいだに、食べる準備です。右の鍋敷きタイルは、1983年にオランダで買ったものです。もう40年近く使っています。笑 お皿は、ヴァレンチノ。結婚するときに(35年前!)、洋食器をヴァレンチノで揃えてもらったのですが(←母に)、もったいなくて、いまだに、ほとんど使っていません。アホですね。残りの人生では、けちらずに使おうと思います。

⑨ 焼きあがりました。パイシートの形が雑ですが、切ってしまえば、どうってことありません。笑

⑩ 少し冷ましておけばよかったのですが、夫が熱々の状態で切ったので(汗)、切り口がちょっとくずれました。^^ 付け合わせは、きゅうりとごぼうのサラダです。

⑪ 中身がつまった、キッシュパイです。

⑫ 家族3人で食べきれなかったので、残りは晩ごはんに。ボロネーゼのパスタ、コブサラダといっしょに、ワンプレートでいただきました。ワインがあれば、なんでもごちそう。笑


いつもは、
ほうれん草やしめじを
入れることが多いのですが、
この日の舞茸も、
キノコのうまみがでて
おいしかったです。


葱をたくさん入れたキッシュも、
意外なおいしさです。^^
そのほか、
じゃがいも、かぼちゃ、
ハム、オリーブなど、
たいていのものは、キッシュになります。
我が家では、
おかずの残り物を入れることも。笑


キッシュは、混ぜて焼くだけ。
誰でも簡単にできます。
お試しください。^^

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