MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたん 松山日記 3 - ばあばに「ルイジアナママ」を。(2020年1月11日)

2020年1月11日 「ルイジアナママ」を歌いました。(全盲難聴・のんたん 24歳)


1月11日


松山の、兄の家に泊まり、
一夜明けました。


兄の家には、サンルームがあるのですが、
そこにありましたよ~。
ハノイで買った、ランタン。
わあ、なつかしい。^^


窓際に、3個のランタン。配線して、灯りがともるようになっていました。手前のシャンデリアには、ノンラーのモビールがかかっています。

ハノイのランタン屋さん。このお店で買いました。

そのときの日記です。


さて、長男は、というと…。
松山の家に来たときは、コレ、と
決まっています


マッサージ機!笑


兄の家のマッサージ機。
なんか、来るたびに、
高機能のに変わってるんですけど…。笑


で、すごいなあ、と思うのは、長男。
機種が変わろうが、おかまいなく、いつも、
操作盤を難なく使いこなしてしまうのです。
私なんて、見えてても使えないんですけど。爆


「う~ん、最高!」 長男、恍惚状態。爆

菩提寺のご住職においでいただき、法事も滞りなく終わりました。


そして、大宴会の始まりです。
大人だけで23人。
お子様たちを入れると、
30人になるので、すごい騒ぎでした。笑。
すごいごちそう、ありがとうございました。→兄



上段:エビフライ、とんかつ、チキンはさみ揚げ、巻きずし。中段:お刺身、スイカ、焼き物、テリーヌ、ホタテのグラタン。下段:炊き合わせ、クルミ和え、海老真薯のあんかけ、サザエのツボ煮、ワサビ和え、煮たこ、海老のテルミドール、数の子、白身魚のグリル、水まんじゅう。


お料理は、多すぎて、
とうてい、食べきれません…。
が、この家のすごいところは、
残りを夜にまた食べて、
結局、全部食べきってしまう…(苦笑)。


そういえば、私の結納のときにも、
ずらりと並んだごちそうに、
夫が当時、びっくりしていました。
後日、「あの料理、どうしたの?」と聞かれ、
「ん、残りは夜にみんなで食べたから、
 ほとんどなくなったよ。」
と言ったら、夫が腰を抜かしてました。


「食べ物は、とにかく、残さず食べる」
というのは、我が家の家訓ですが、
もともとは、私の実家の伝統だったのかも。笑


そして、宴たけなわとなり、
長男のパーフォーマンスが始まりました。
曲は、「ルイジアナママ」。


このために、わざわざ松山まで、ウクレレを持ってきたんです。^^

歌詞カードを配って、みんなにも歌っていただきました。

長男も、元気に歌います。^^


もともと、これを言い出したのは、
夫でした。
「七回忌で、おかあさんの好きだった歌を、
 ノゾミ君に演奏させようよ。」
と。


「えー、でも、あと一か月しかないよ。
 間に合わないでしょ。」
「だいじょぶ、だいじょぶ。
 すぐ覚えるさ。」


あわてて、曲を、YouTube で探し、
ウクレレ教室のムラタ先生にお願いしたところ、
長男は、数回のレッスンで、
弾けるようになってしまいました。
さすが、ムラタ先生です。^^


「あの子はルイジアナママ~。」


生前、母が歌を歌うところなんて、
見たこともないし、
これがいちばん好きだった歌かどうか、
本当のところは、わかりません。^^


でも、母がこの歌を口ずさんでいたのを、
MIYOは何回か聞いたことがあったので、
「じゃあ、この歌に」と決めてしまいました。


母は、6年前の1月、
我が家の子供たちが高3のときに、
亡くなりました。


病床の母に、
「のんたんが、S園に内定したよ。
 これで、もう大丈夫。
 あの子はずっと、幸せに生きていけるよ。」
と知らせると、
母はもう、言葉が話せなくなっていたのですが、
涙を流して、喜んでくれました。
あれが、最後の親孝行になりました。


私たちのことを、
ずっと心配してくれていた母を、
最後に安心させてあげられて、
ほんとうによかった。


あれから6年。
長男も長女も、それぞれに成長しました。
長男の演奏を、きっと母も、
聞いてくれていたと思います。

×

非ログインユーザーとして返信する