全盲難聴・のんたん 松山日記 3 - ばあばに「ルイジアナママ」を。(2020年1月11日)
2020年1月11日 「ルイジアナママ」を歌いました。(全盲難聴・のんたん 24歳)
1月11日
松山の、兄の家に泊まり、
一夜明けました。
兄の家には、サンルームがあるのですが、
そこにありましたよ~。
ハノイで買った、ランタン。
わあ、なつかしい。^^
窓際に、3個のランタン。配線して、灯りがともるようになっていました。手前のシャンデリアには、ノンラーのモビールがかかっています。
ハノイのランタン屋さん。このお店で買いました。
そのときの日記です。
さて、長男は、というと…。
松山の家に来たときは、コレ、と
決まっています
マッサージ機!笑
兄の家のマッサージ機。
なんか、来るたびに、
高機能のに変わってるんですけど…。笑
で、すごいなあ、と思うのは、長男。
機種が変わろうが、おかまいなく、いつも、
操作盤を難なく使いこなしてしまうのです。
私なんて、見えてても使えないんですけど。爆
「う~ん、最高!」 長男、恍惚状態。爆
菩提寺のご住職においでいただき、法事も滞りなく終わりました。
そして、大宴会の始まりです。
大人だけで23人。
お子様たちを入れると、
30人になるので、すごい騒ぎでした。笑。
すごいごちそう、ありがとうございました。→兄
上段:エビフライ、とんかつ、チキンはさみ揚げ、巻きずし。中段:お刺身、スイカ、焼き物、テリーヌ、ホタテのグラタン。下段:炊き合わせ、クルミ和え、海老真薯のあんかけ、サザエのツボ煮、ワサビ和え、煮たこ、海老のテルミドール、数の子、白身魚のグリル、水まんじゅう。
お料理は、多すぎて、
とうてい、食べきれません…。
が、この家のすごいところは、
残りを夜にまた食べて、
結局、全部食べきってしまう…(苦笑)。
そういえば、私の結納のときにも、
ずらりと並んだごちそうに、
夫が当時、びっくりしていました。
後日、「あの料理、どうしたの?」と聞かれ、
「ん、残りは夜にみんなで食べたから、
ほとんどなくなったよ。」
と言ったら、夫が腰を抜かしてました。
「食べ物は、とにかく、残さず食べる」
というのは、我が家の家訓ですが、
もともとは、私の実家の伝統だったのかも。笑
そして、宴たけなわとなり、
長男のパーフォーマンスが始まりました。
曲は、「ルイジアナママ」。
このために、わざわざ松山まで、ウクレレを持ってきたんです。^^
歌詞カードを配って、みんなにも歌っていただきました。
長男も、元気に歌います。^^
もともと、これを言い出したのは、
夫でした。
「七回忌で、おかあさんの好きだった歌を、
ノゾミ君に演奏させようよ。」
と。
「えー、でも、あと一か月しかないよ。
間に合わないでしょ。」
「だいじょぶ、だいじょぶ。
すぐ覚えるさ。」
あわてて、曲を、YouTube で探し、
ウクレレ教室のムラタ先生にお願いしたところ、
長男は、数回のレッスンで、
弾けるようになってしまいました。
さすが、ムラタ先生です。^^
「あの子はルイジアナママ~。」
生前、母が歌を歌うところなんて、
見たこともないし、
これがいちばん好きだった歌かどうか、
本当のところは、わかりません。^^
でも、母がこの歌を口ずさんでいたのを、
MIYOは何回か聞いたことがあったので、
「じゃあ、この歌に」と決めてしまいました。
母は、6年前の1月、
我が家の子供たちが高3のときに、
亡くなりました。
病床の母に、
「のんたんが、S園に内定したよ。
これで、もう大丈夫。
あの子はずっと、幸せに生きていけるよ。」
と知らせると、
母はもう、言葉が話せなくなっていたのですが、
涙を流して、喜んでくれました。
あれが、最後の親孝行になりました。
私たちのことを、
ずっと心配してくれていた母を、
最後に安心させてあげられて、
ほんとうによかった。
あれから6年。
長男も長女も、それぞれに成長しました。
長男の演奏を、きっと母も、
聞いてくれていたと思います。