MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 6 - 國稀酒造③、すが宗の鮨弁当、旧商家丸一本間家①(2022年6月19日/3日め)

(2022/08/01 16:00記)

2022年6月19日 國稀酒造で。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


國稀酒造では、お酒以外にも、
様々なお土産品を販売していました。


南留萌・小平町産で、黄金の小麦粉と言われる「ルルロッソ」を使用したパン。


【ルルロッソ】
北海道留萌産の、たいへん希少な小麦粉です。硬質な小麦で、通常の小麦では得られない、デュラム小麦に近い特徴を持っています。
粒の粒度が大きくて吸水性が高く、たんぱく質含有量が多いため、これまでの国産小麦にはない、モチモチした独特の食感を楽しめます。


このときは、よく知らなかったのですが、
後になって調べてみて、
「そういうことなら、
 買って食べてみればよかった。」
と後悔しています。


そしてこれは、つい、表側と裏側を撮ってしまいました。


巨大な鮭、に見えますが、実はこれ、
ぬいぐるみみたいなもので、
ネックピロークッションなのです。
お魚の腹部にあるファスナーを開くと、
中から筋子のように、赤い布がでてきます。
それで全体をくるむと、
赤いネックピロークッションに変わる、
という仕掛けです。笑


本物そっくりに見える鮭ですが、
2018年7月に行ったタイで、
これと同じものを見たことを、
なつかしく思い出しました。


市場で。ザルに並べられたたくさんのお魚。…に見えますが、これはすべてぬいぐるみです。笑(2018年7月13日 タイ・アンパワー水上マーケット)

このリアルなぬいぐるみが、なぜかアンパワーの名物土産になっていて、あちこちで売られていました。

その時の日記です。
高級ホテルに泊まる、タイ3泊6日のおトク旅 18 - アンパワー水上マーケット(3日目)


楽しかった国稀酒造。


次のスポットへと歩き始めてまもなく、
目の前を、台車を押したおじいさんが
通りました。


のぼりが風で動いてよく読めませんが、「ニシンのつのかくし鮨」と書いてあります。廃線駅(増毛駅)の駅弁として、町の中を売り歩いているようです。

ニシンのお寿司を食べたことがないし、なんだか楽しそうなので、ひとつ買ってみました。900円でした。^^

夫が写真を撮っていたら、「のぼりの文字がきれいに写るように」と、通りすがりの方がのぼりを押さえてくださいました。笑

「これは気持ち。^^」と言って、おじいさんがお弁当に添えてくれた、小さな折り鶴。^^

おじいさんが出てきたところを見ると、「すが宗」という、たこザンギのお店がありました。お隣りも同じ店で、こちらはお寿司屋さんです。お弁当は、ここで作られたもののようです。


【すが宗】
國稀酒造の向かいにある、小さな寿司店です。元は札幌・中の島の名店「仲寿し」を営んでいた店主、菅原豊さんが、奥さんと営んでいます。
2000年からは、小樽の旧木村家住宅(木村番屋)を買い取って磯料理店「濃昼茶屋」を経営していましたが、2006年に故郷の増毛に戻り、國稀酒造の向かいにあった倉庫を改築して、同年7月に開業しました。わずか10席ほどという小さな店ですが、開業当初から、寿司好きの集まる店として話題になります
。その噂は、口コミを中心に全国へ広がり、いつも客の絶えない繁盛店となりました。寿司ネタは、鮮度抜群の近海ものに加えて、店主が自ら考案した、厚田産鰊による塩蔵しない「生数の子」や「蛸の柔らか煮」など、創意工夫の目立つ仕事ぶりで、握りはもちろん、海鮮ちらしなども、増毛一番の味と評されています。
全国誌や全国放送のテレビ番組でも数多く取り上げられるようになり、夏場は特に、順番を待つ客で行列ができる店になっています。なお、11月から2月末までは魚介加工に精力を注ぐため、寿司店は休業となります。


何気なく買ったお弁当でしたが、
こんな有名店のものだったとは…。笑


さらに歩きます。この古い建物の向こうに、旧商家丸一本間家があるはず…と探していたら、ここがすでにそれでした。写真右側の、通りに面したところが入口になります。

いい感じです。MIYOは、「にしんのつのかくし鮨」の入った袋をぶら下げて立ってます。笑

かなり大きなお屋敷です。

右方向にずっと続いているのですが…、

とりあえず、中に入ります。入口部分の右手には、りっぱなうだつが設けられています。


【旧商家丸一本間家(きゅうしょうかまるいちほんまけ)
約120年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている、旧商家丸一本間家のお屋敷です。本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商から始まり、ニシン漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたって事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど、当時の建築職人の心意気が伝わってきます。(国指定重要文化財)
現在は、建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を期間限定で見学できるようになっています。2022年の開館時期は、4月25日~11月3日です。


MIYOはさっさと中に入ったのですが、
夫は興奮冷めやらず、外観を撮り続けて、
なかなか入ってきませんでした。🤣🤣


このときに、夫が撮っていた写真です。たしかに、「家に力がある」とでもいうのでしょうか。すばらしい雰囲気を醸し出しています。

すっきりとしたデザインながら、歴史の重みが感じられ、美しい佇まいでした。

丸一の屋号がありますね。^^


次回は、
旧商家丸一本間家の内部を
ご紹介します。


(つづく)

コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 5 - 國稀酒造② / ココスで航空券を予約しました!(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/31 18:00記)

2022年6月19日 國稀酒造で。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


日本最北の造り酒屋である、
國稀酒造に来ています。
店内は意外と広くて、
たくさんの観光客でにぎわっていました。


土蔵を利用した、小さなミュージアム。酒瓶がきれいに並んでいました。

昔は、こんな容器で販売していたんですね。

角樽と酒器。かなり古そうです。

分銅を使った秤。なつかしい。^^

一斗缶ならぬ一斗瓶(18000リットル)がありました。

手前にある一升瓶(1800リットル)が、ミニサイズに見えます。^^

土蔵を出て、さらに奥へ進みます。

クマがいました。

マスクを着けたコグマくんと、マスクを着けてないクマ男。

通路の壁には、1981年に公開された、「駅 STATION」の紹介パネルがありました。高倉健主演の映画で、国稀酒造はそのロケ地でした。

映画を見てみたくなりました…。

さて、次はいよいよ、試飲コーナーです。^^ 通路のいちばん奥のスペースにあります。

これが本当に試飲コーナーですか?と言いたくなるくらいの、すごいラインナップです。笑

試飲は、ひとり3銘柄(3杯)まで。好きなのを選ぶことができます。こちらは、留萌管内の地域限定商品。

そして、2022年初夏の限定商品。

「どれになさいますか?」…と言われても、選べないですよ。あまりにたくさんありすぎて。笑

ボトルのデザインがそれぞれに違っていて、ひとつひとつを見るのも楽しいです。^^


試飲できるのは、
ひとり3銘柄までだったので、
ふたり分で6銘柄(6杯)になります。
それを全部、MIYOがひとりで飲みました。😅
夫は運転してるから、飲めないんです。
なので、旅先での試飲は、
いつもMIYOの担当です。


いや~。おいしかったです!笑
でも、6杯も一度に試飲したのは初めて。
少し酔っぱらっちゃいました。😵


この日買ったお酒です。吟醸酒群岳(むらたけ)。500ml入りで1601円でした。量が少なめですが、このサイズでしか販売していないそうです。我が家にしては高級品です。笑


このときに買った「むらたけ」。
ずっと大事にとってあったのですが、
「ブログにも載せたし」ってことで(?)、
本日(7月30日)の晩ごはんで、
のどぐろの開きといっしょに飲みました。
やわらかな、素直な味でした。^^
(MIYOは試飲してるはずなんですけど、
 全然覚えてなくて。笑😅)


「ふさふさ」の側に座っているのは、偶然でしょうか…。🤣🤣


(つづく)


(おまけのお話)


7月は私の誕生月だったので、
いろんなお店から、割引券が届きました。
このところ、それを活用しては、
夫とファミレスにでかけています。
7月29日は、ココスに行ってきました。


今回は、モッピーからでなく、
ハピタス+ペイペイグルメ
のルートで予約しました。


月末のせいか?、ペイペイのボーナス割引が
たくさん表示されてびっくり。
なんと、合計で、
1750円も割引してもらえるそうです。
ペイペイグルメ、すごいです。^^

ココスの店内では、配膳ロボットが元気に活躍中。^^

デミ玉子ココットハンバーグランチ(869円)をいただきました。サラダとミニデザートもついていて、おいしかったです。ランチといっしょだと、ドリンクバーは150円。安い!^^

そして、バースデープレゼントでいただいた、デザートプレートです。

今回は、スタッフの方がひっそりと持ってこられました。(そうお願いしてありました。)配膳ロボットが持ってくる場合は、にぎやかに「ハッピバースデートゥーユー」の音楽を鳴らしながら近づいてくるので、注目を浴びるそうです。笑

ここまでは、機嫌よく食事していたのですが、突然夫が、「今日はANAにキュンの日だ!」と言い出しました。


毎月29日に開催される、
ANAキュンのキャンペーン。
内容はそのときによって変わるのですが、
今月は、特典航空券の減額マイルキャンペーン。
いつもよりも少ないマイルで
航空券を購入できるので、チャンスです!


家に帰ってから航空券を購入しよう、
と思っていたのですが、
「席がなくなるかもしれないから、
 今予約しよう。」
と夫が言いだし、
なんと、ココスでランチしながら、
航空券の検索を始めた私たち(アホです)。
今や、どこにいたって、スマホひとつで
航空券が購入できちゃうんですね…。


で、購入しましたよ~。
8月22日から9月30日の搭乗分が
対象になっていたので、
8月末から、沖縄と宮古島。
そして9月の釧路。
(↑ふたつも予約したのか?😅)
いよいよ、念願だった釧路へ行きます。^^


飛行機で旅行するときは、いつも、
ANAマイルを利用して、
無料でチケットを手配しているのですが、
今回はそのマイル数が減額されたので、
さらにオトクになりました。
(ありがとうございます。→ANA)


9月末で、夫が本当に退職するので、
退職祝い旅行ってことになるのかな…。
でもそういうのは、ほんとうは
退職してからやるものですよね。
退職前祝い旅行か…?😅
相変わらずの、ノーテンキ夫婦です。
(スミマセン)


で、肝心のココスのお支払い。
2068円でしたが、1750円の割引で、
318円でした。(ふたり分です。)
ハピタスから150ポイントが付与されるので、
実質168円のランチになります。
ひとり分は84円。😮
(ありがとうございます。→ペイペイグルメ)


本日もまた、
お金はないけどポイントはある、
MIYO家でした。笑

コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 4 - 厳島神社と國稀酒造① / 東京ゼロエミで13000円(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/30 18:00記)

2022年6月19日 國稀酒造で。増毛で最大の観光スポットかも、と思うくらい、お客さんでにぎわっていました。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


「ちょっと情報収集」のつもりだったのに、
展示内容が充実していて、
思いがけず、秋田藩増毛元陣屋跡に
長居してしまいました。


早く町の中心部に行って、
増毛観光をしたいのですが、
ここで夫が、
「すぐ近くにあるから、
 厳島神社に寄って行こう。」
と言い出しました。😂😂


「元陣屋」で入場料を払ったときにもらったカードです。スタンプラリーになっていて、元陣屋、本間家、厳島神社のスタンプを全部集めたら、プレゼントがもらえるのだそうです。笑


こういうのを見ると、ついつい、
コンプリートしたくなる私たち。
そして一番最後の
「プレゼントがもらえる」ってとこは、
MIYOも大好きなんですよね…。😅


ってことで、時間がないというのに、厳島神社まで歩きました。(←アホです。笑)

本殿です。写真中央に、すばらしい彫刻が見えます。


【増毛厳島神社】
北海道増毛町の鎮守社です。1751年(宝暦元年)、松前の商人・村山伝兵衛(能登国出身)が、函館奉行所より増毛場所を請け負い、増毛に出張番屋を設けました。この時、運上屋の守護神(氏神)として祀ったのが弁財天で、増毛厳島神社の始まりです。その後、移転・再建を経て、明治34年に、現存する総欅造の本殿が新築されました。(北海道指定有形文化財)


越後柏崎の宮大工集団の手によるもので、本殿には、「鶴と松」「獅子と獏」の見事な彫刻が、今も残っています。越後柏崎の彫刻師・4代篠田宗吉の作品だそうです。

拡大してみましょう。

中央の「鶴と松」。すばらしいですね。やっぱり来てよかった。笑

そして、左右の「獅子と獏」です。

本殿の中です。

はい、ごいっしょに。^^

神社の隣りで咲いていた花。グーグル先生によると、ニセアカシアだそうです。


神社には誰もいなくて、
ふたりで探したら、隅の方に
スタンプが置いてありました。笑
カードにスタンプを押し、
再び「元陣屋」の駐車場にもどって、
今度は車で、町の中心部に向かいました。


國稀酒造に到着です。この社屋自体が歴史的建造物ですね。^^


【國稀酒造株式会社】
日本で最北の地にある造り酒屋です。南部杜氏の流れを汲み、昔ながらの製法を守る蔵であり、暑寒別岳山麓からの良質な天然水に拘った酒造りをしています。高倉健主演の映画『駅 STATION』のロケ地となったことでも知られています。

創業は1882年(明治15年)。1902年(明治35年)、丸一本間合名会社を創立。2001年(平成13年)10月1日に「丸一本間合名会社」から「國稀酒造株式会社」に法人格及び社名を変更しました。初代は本間泰蔵。『國稀』『北海鬼ころし』が主力商標です。


長い年月、風雪にさらされてきた外壁の板が、いい感じになっています。^^

杉玉が吊るされた玄関。

中に入ると、いきなり、こんなところになります。大きな杉玉の奥に広がっている座敷は、かつての帳場だったのでしょうか。

いくつもの部屋が続いています。

お酒以外にも、たくさんの商品が並んでいました。

座敷の右側にはこんな暖簾がかかっていて、この奥の通路をさらに進んでいきます。

まずはレジのコーナーです。

お酒もたくさん置いてあって、すぐにも購入したいところですが、それはあとのお楽しみ。^^

次は、通路の左側に土蔵が見えてきました。

中に入ってみます。

土蔵の中は、お酒のミュージアムになっていました。ライトアップされて、酒瓶がきれいに並んでいます。


國稀酒造、とっても広くて、
まだまだ続くのですが、
長くなりましたので、この先は次回に。


(つづく)


(おまけのお話)


23年使った冷蔵庫が壊れ、
新しいのを買ったことを、
以前、ブログに書きました。


その時の日記です。
全盲難聴・のんたん 7回目の東京都障害者スポーツ大会 - 無観客でした。/ 新しい冷蔵庫 / サッポロ割で10000円引き(2022年5月28日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


この冷蔵庫、
東京ゼロエミッションの対象でした。
必要書類を送ると、
東京都から補助金がもらえるのです。


【東京ゼロエミッション】
東京都が実施している事業です。家庭の省エネ行動を促すため、より省エネ性能の高いエアコン、冷蔵庫、給湯器への買換えに対し、商品券等に交換可能な「東京ゼロエミポイント」を付与しています。


手続きの方法は、
冷蔵庫を購入したときに、コジマ電気の方が、
わかりやすく教えてくださいました。


いまどきはペーパーレスなんですね。
レシートなどの必要証明書をスマホで撮って、
ゼロエミ申請サイトから送信するだけで、
手続きが完了しました。
便利です。^^


そして2日後には、申請が承認されました。
ここまでは早かったのですが、
商品券が発送されるまでが長かったです。笑


待つこと一ヶ月。ようやく、到着しました。

JCBの商品券が12000円分と、LEDの購入券1000円分。


合計13000円分です!😄😄
必要書類がいくつもあり、
それを揃えるのはめんどうだったけど、
こんなにいただけるのですから、
やった甲斐がありました。^^


東京ゼロエミは、
予算を使いきったら終了だそうです。
東京都にお住まいの方で、
買い替えを検討しておられる場合は、
今がチャンスです。^^

コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 3 - 秋田藩増毛元陣屋跡③ / 唐箕でつながる旅(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/29 18:00記)

2022年6月19日 総合交流促進施設「元陣屋」で。これを見て、旧花田家番屋の存在を初めて知りました。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


秋田藩増毛元陣屋跡に来ています。
ニシン漁に関わる歴史的建造物を訪ねたくて
増毛までやってきたというのに、
「元陣屋」資料館でひっかかってしまい、
なかなか先に進めません。😅


でも、資料館の2階にあがってみると、
ニシン漁に関わる展示がたくさんありました。


もっこです。浜に船が入ると、このもっこにニシンを満載して、背負って運びました。かなり重かったそうですが、背負ったのは、主として女性でした。

海で漁をするのは男の仕事。そして浜でニシンを運ぶのは女の仕事でした。


もっこは実際に使用されていたもので、
側面には、年代や名前が、
「昭和十年」「今井」などと
書かれてありました。


船頭や漁師たちの人員名簿や漁具です。このタモで、獲れたニシンをすくったんですね。^^

ニシン漁網と「桐あぱ」という取り付け具。

ガラスの浮き玉です。

竿秤(さおばかり)です。MIYOが小さいころには、八百屋や魚屋で普通に使われていました。(いつの話だ?笑)

今でいう「ステンシル」の型が残っていました。ステンシルとは、文字や絵柄をくり抜いた型を置き、その上からペイントして転写する技法のことを言います。「胴にしん」「白子」などと書いてあるので、各々を入れる木箱に、この型を使って名前を記し、分類していたようです。


MIYOの実家では、製麺業を営んでいたので、
小さいころ、自宅兼工場には、
木製のセイロが大量に積み上げてありました。
その中に生麺を並べて、自転車の後ろに積み、
若い衆が飲食店に配達した時代です。(古い。笑)
そのセイロの側面に、社名を刷り込んでいたのですが、
それもやはり、この型を使っていました。
だから家には、こんな型が普通にありました。
なつかしい。(いつの話だ?笑)


かつてのニシン漁の写真がありました。拡大してご覧ください。こういうのを見ると、人びとの熱気が伝わってくる気がして、もうわくわくします。笑

ニシン漁の船。

そして、そのニシンを本州へと運び、莫大な富を築いた弁財船(北前船)。

幻の番屋と言われる、松江番屋。昭和初期に解体されたニシン番屋です。松江家番屋は、明治31年に着工され、建設費は3万円(当時)でした。敷地全体が6000坪、居住空間すべてを合わせると、建坪が300坪もあったとされている、大規模な番屋でした。しかし、ニシン漁のかげりをみせる昭和15年に解体されました。

北海道留萌高等学校の生徒たちが復元した、松江番屋のジオラマ。かなり細かく作りこんでありました。

明治10年に描かれた、天塩国増毛郡の図。


そしてここで、
気になるものを見てしまったのです。


旧花田家番屋の模型です。「小平町・重要文化財」とあります。現在も残っているようです。


み「花田家番屋って、知ってた?」
夫「知らない。初めて聞いた。」


夫の頭の中は「増毛町」だけで、
「とにかく増毛町に行きたい。」
とばかり言っていて、
それでここまで来てしまいました。


でも、小平(おびら)町というところに、
どうやらすごい番屋があるらしいのです。
北海道最北の番屋で、そして最大の規模。
国の重要文化財にも指定されていると…。
そんなことも知らないで、
ここまで来てしまった私たち。
いや~、ぬかりました。😅


ネットで調べてみると、
場所は増毛町のさらに北、留萌です。
でも、がんばれば、
行けるかもしれない…?


「行こうよ。
 せっかくここまで来てるんだから。
 留萌にも行こうよ。
 この、花田家番屋に行ってみたい。


とMIYOが言いだし、急遽予定を変更。
この日は一日かけて、
増毛町をのんびりと歩くつもりだったのに、
「増毛+留萌」めぐりをすることに…。


でも、増毛だけでも、
観光スポットがたくさんあるんです。
それに加えて、
留萌にまで行く時間があるのか…。
ちょっと心配ですが、夫が、
「ん。たぶんなんとかなると思う。」
と言うので、なんとかします。🤣🤣


そうと決まれば、ぐずぐずしていられません。
「元陣屋」資料館を出て、
増毛町観光を開始するべく、
歩き始めました。
そう。
急遽、留萌にまで行こうというのに、
まだ、増毛町のどこにも行ってないんですよ。笑


こうしてまたも、
怒涛の駆け足旅行が始まりました。😂😂


(つづく)


(おまけのお話)


「元陣屋」資料館2階には、このほかにも、
たくさんの民具や農具が展示されていました。
その中のいくつかをご紹介しておきます。


左から、薪ストーブ、湯沸かし器、練炭火鉢、調理用ストーブです。みっつめの練炭火鉢。子どもの頃、ほとんど同じのが、私の実家にもありました。母が毎日、この中に練炭を入れていました。なつかしい。(いつの話だ?笑)

馬かんじき(大正時代)。お馬さんもかんじきを着けました。

ここは農具のコーナーです。

唐箕(とうみ)。箕の機能を機械化した農具です。前部にあるハンドルを手で回すことによって、内部の煽(あおり)板を回し、籾とごみとを選別しました。


今月(2022年7月)旅行した新潟では、
この機械が資料館などに展示されているのを、
一度ならず何度も見ました。
さすが、こめどころの新潟です。^^


旅の二日めに訪れた、「三国街道 塩沢宿 牧之通り」。江戸と越後を結ぶ三国街道沿いの宿場町として栄えたところです。「コシヒカリ生誕の地」でもあるそうで、通りの奥まったところには、お米の体験施設「お米の楽校」がありました。中には、お米の資料館やレストランがあります。(2022年7月23日・新潟県南魚沼市)

これこれ。入口を入るとすぐに置いてある、唐箕。上の写真と同じものです。いや~、北海道の増毛と新潟の南魚沼がこんなふうにつながっちゃうなんて、なんか楽しいです。^^

ここのレストランでいただいた、魚沼コシヒカリ白ごはん膳(1450円)。八海山サーモン雪譜みそ漬け焼きは、上品な味で美味。けんちん汁は、いろんな具がどっさり入っていました。卵はもちろん地卵。地元とっとこ村新鮮地鶏卵で、コクがあります。伝統魚沼野菜で作ったかぐら南蛮味噌と自家製無添加の漬物もはなまるでした。


お米は、各農家さんのを日替わりで。
この日のお米は、
南魚沼 塩沢産コシヒカリの光寿米
でした。
ごはんはおかわり自由。


これがですね…。
もう、おいしくて、おいしくて、
このまま東京に帰ってもいいくらい、
おいしかったんです。笑



お米も魚もお酒もおいしい新潟。
ああ、また行きたい。😍😍😍
…って、これは北海道の日記なんですけど。
(スミマセン)

コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 2 - 秋田藩増毛元陣屋跡②(2022年6月19日/3日め)

(2022/07/28 17:50記)

2022年6月19日 総合交流促進施設「元陣屋」で。1703年から開かれた増毛は、波が平穏で、豊富な水産資源に恵まれていました。(北海道増毛郡増毛町)


6月19日(日)


秋田藩増毛元陣屋跡に来ています。


1856年(安政3年)、秋田藩は増毛へ藩士を派兵するとともに、元陣屋の構築を開始しました。兵舎、武芸所、食糧庫、火薬庫、診療所などからなる、大規模なものでした。

この玄関から、中に入ることができます。

玄関を入ってすぐのところには、武具が展示してあります。そして、右側に座敷があります。

3人の秋田藩士が、故郷の家族から届いた手紙について話していました。

この人だけは、のっぺらぼうの顔面に顔が投影されて、セリフと共に表情が動くようになっていました。でもなんかお面みたいで、ちょっと違和感がありました。

表情が動かなくていいから、こんな人形の方がより自然だと思うのですが…。😅

1856年(安政3年)~1859年(安政6年)、秋田藩は、樺太全島守備の命を受け、宗谷出張陣屋を中継地として、3か所に出張陣屋を設置しました。3月~8月まで兵を派遣し、冬季は増毛元陣屋に引き揚げました。その後、北蝦夷地の守備は、秋田、仙台、庄内、会津の4藩となりました。1862年(文久2年)に会津藩が警備を免ぜられた後は、3藩の受け持ちとなります。秋田藩の北蝦夷地警備は、1866年(慶応2年)まで続けられました。

安政3年に増毛元陣屋で使用されていたものと同じ型の火縄銃(複製)です。(秋田県湯沢市指定有形文化財)

増毛元陣屋では、外敵に備えるために、台場を築き、ホオイッスル砲の他3基を設置しました。経済的に苦しかった秋田藩としては精一杯の努力でしたが、実際はかなり貧弱なもので、実戦には役にたたないものだったようです。しかし、増毛陣屋の最大の目的は、警衛というよりもむしろ「北方部隊の越年」でした。この地を守った藩士たちにとって、最大の敵は寒さとそれによる病であり、命を賭けての越冬生活でした。


【困難を極めた北蝦夷地警備】
苦労したのは秋田藩だけではなく、1807年には津軽藩が越年警備を行った記録があります。が、栄養失調のために半数(70余名)が死亡するという悲惨な事態となり、翌年には会津藩に交替したそうです。それでも、1809年からは、再び津軽藩が北蝦夷地の警備を行うことになりました。


増毛に設置された、津軽藩勤番越冬陣屋です。(1807年)

秋田藩増毛元陣屋です。建屋が多く、かなり大規模であったことがわかります。(1856年)


秋田藩の度重なる願い出を受け、
1867年(慶応3年)、幕府は、
秋田藩の蝦夷地警備を解きました。
これにより、12年続いた、
秋田藩の蝦夷地警衛が終わります。
そして同年10月、
徳川慶喜は大政奉還を行い、
ここに武士政治は終わりを告げました。


秋田県横手市のぼんでんが飾られていました。神祭用具の一つで、長い棒や竹の先に幣束を何本か取り付けたものです。年の初めに、「五穀豊穣・商売繁盛・町内安全」などを祈願し、奉納した大型の御幣の名残りと言われています。

続いて、増毛場所のジオラマが展示されていました。


【増毛場所】
増毛に場所が開かれたのは1703年頃で、当時は、ハママス、ポロトマリ、ベッカリ、ハシベツを総称して「マシケ場所」と呼ばれました。中でも、ポロトマリ(現在の増毛)は、港口が北向きのため、春から秋にかけては波も平穏な良港で、豊富な水産資源にも恵まれていました。
安政5年ごろから、福山、江差地方ではニシンが獲れなくなっていたことから、その地方の漁民は、近エゾ地や奥エゾ地まで追いニシン漁に出るようになりました。さらに、本州での肥料の価格が上がったため、増毛地方のニシン漁は大いに発展しました。


最盛期のニシン漁の様子を再現してあるそうです。

奥にある、一番大きい家が番屋ですね。よく見ると、右端に赤い鳥居の神社があります。手前には、ニシン漁の舟が並ぶ海岸と、後ろにはニシンの干場で働く人々が見えます。そして、海岸に並ぶ、とんがり帽子の小屋は、クチャのようです。

拡大してみると、3本の棒を基本に作ってありました。まちがいありません。


【クチャ】
アイヌ建築の特徴である「ケトゥンニ(三脚)」を基本構造とした小屋です。主として、狩小屋に使用されました。特別な材料を必要とせず、3本の棒を紐で結ぶだけで小屋の基本ができてしまうという、アイヌ独特の工夫でした。


クチャについて書いた、過去の日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 63 - ウポポイ⑩(伝統的コタンとクチャ)/ Visaのタッチ決済(スマホ)がオトクです。(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

コロナでもポロト湖。星野リゾート 界 ポロト スイートを無料で楽しむ 7 - とんがり湯小屋「△湯(さんかくのゆ)」(2022年6月20日/4日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


かつてこの増毛の浜で、
アイヌの人々も働いていたのだなあ、
と思いました。
資料館の中のどこにも、
そんなことは書いていなかったけれど…。


次は、階段をあがって、
資料館の2階に行ってみました。


(つづく)