MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 31 - ウミカジテラス①(2022年9月2日/8日め)

2022年9月2日 ウミカジテラスで。(沖縄県豊見城市)


中断していた、沖縄のお話を続けたいと思います。
次の旅がせまっていて、どこまで書けるかわからないのですが、
あともう少しです。
なんとか最後まで書き続けたいと思っています。


9月2日(金)


旧海軍司令部壕の見学を終えて、
施設の外に出ました。


今回の沖縄旅行について、
MIYOから夫には、
「One day, one thing だからね。
 台風なんだから、
 一日に一か所しか行かないよ。」
と言い渡してありました。
なのでこのあとは、
ホテルに戻ることになります。
でも、MIYOの中では、ずっと、
気になっていることがありました。


これです。笑


「豊見城市でペイペイを利用すると、
 20%戻ってくる」
という、キャンペーンです。笑
たまたま、旧海軍司令部壕の参観料を
ペイペイで払ったら、
20%のポイントが付与されていたことで、
このキャンペーンに気づきました。


オトク情報を知ってしまうと、
利用しないではいられないのが、
MIYOです。🤣🤣


「今日のお昼ごはんは、
 ホテルの冷蔵庫に入れてきたから、
 それは晩ごはんにしようよ。
 で、これから、豊見城市内のどこかで、
 お昼ごはんを食べようよ。
 豊見城市内限定だよ。
 なんたって2割引だからね!」


多動夫はきっと、
「あれだけ言ってたのに、
 One day, one thing はどうなったんだ。
 台風はどうするんだ。」
と、心の中で思ったことでしょう。
でも、それを口に出すと
えらいことになるとわかっているので、😅
けっして言いません。😄😄


それに、夫は基本、
ホテルにこもりたくはないので、
「とりあえず観光を続ける」
という部分に、異存はありません。


早速スマホで検索してみると、
「ウミカジテラス」
というのが見つかりました。
この名前に、聞き覚えがあります。
たしかずっと前に、まろんさんのブログで、
拝見したことがあるなあ、と思い出しました。
まろんさん、情報ありがとうございました。
沖縄旅行最終日②、国際通り、ウミカジテラスから空港へ - 午後のひととき


「よし! なんだかよくわからないけど、
 ごはんを食べるところがありそうだから、
 ここに行ってみよう!笑」


DiDiアプリを開いて、「ウミカジテラス」と入力すると、7秒でタクシーが走り始めました。笑 3分で到着するそうです。旧海軍司令部壕のビジターセンターの前で待ちます。

タクシーがやってきました。アプリ上に表示されたアイコンと同じ、白い車です。^^


DiDi、ほんとに便利です。
ドライバーさんもとても親切で、
到着するまでずっと、
地元のおもしろい話をしてくださいました。


「昔、8人の外国人が、船に乗って、
 糸満(イトマン)にやってきました。
 その人たちの子孫がいるから、
 糸満には美人が多いんですよ。」
とか、
「8人の男たちだから、エイトマン
 糸満という地名は、
 そこに由来してるらしいですよ。」
とか、ほんとかどうかわからないけど、
楽しませていただきました。^^


ウミカジテラスまでは、5.3キロ。あっという間に到着しました。このときの領収書です。


タクシー料金 1540円
クーポン割引  560円
合計金額    980円


980円でした。
ほんとに便利です。^^
今回はレンタカーを借りなかったので、
DiDiには本当に助けられました。


さて、これがウミカジテラスの海です。


【瀬長島ウミカジテラス】
瀬長島は、沖縄・那覇空港から車で約10分のところにある離島です。周囲1.8kmほどの小さな島ですが、西海岸部が整備されたことで、2015年、ここに、ウミカジテラスという「沖縄の新たな観光&ショッピングスポット」が生まれました。ヨーロッパの街並みを思わせるエリア内には、ここならではのお土産が手に入るおすすめショップ、地元グルメを味わえるレストラン、常夏ムードのカフェなどがそろっています。

ウミカジテラスでは、思い出に残る体験や絶景のオーシャンビューも楽しめます。空港から近いので、飛行機が上空を飛ぶ迫力の景色も見られます。旅行最終日に駆け込んで、フライトギリギリまで遊び尽くすことも可能です。


そして振り返ると、島の斜面に美しいスポットが広がっています。写真は、ウミカジテラスの全景です。規模は小さいですが、まるで、地中海沿岸の街並みのようです。イタリアのアマルフィ海岸や、エーゲ海に浮かぶサントリーニ島をイメージして作られたそうです。^^(画像をお借りしました)

台風が近づいているわりには、海は穏やかでした。遠くに飛行機が見えます。

あっ 離陸しました。

どこに行くのかなあ…。

こんなのが、すぐ近くで、ばんばん見えちゃいます。笑

ウインドサーファーもやってきました。

「かっこいいねえ…。」と、夫とふたりで見とれました。笑

次は、海際を離れて、ウミカジテラスの中を歩いてみました。

テラスからは、海がこんなふうに見えます。

穏やかな、グリーンの海が広がっています。天気が良ければ、もっとすごい色に見えたはず。^^

それはまさしく、海軍壕公園から遠くの方に見えていた、あの海でした。

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 25 - 朝食ビュッフェ、長崎角煮まん弁当、そして旧海軍司令部壕①へ。(2022年9月2日/8日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。



ウミカジテラスを歩くのは楽しかったけど、
とにかく暑くて、
そしてお腹がすいてきました。笑


もう1時半です。
どこかでお昼ごはんを食べることにしました。


(つづく)

アイヌコタンを訪ねて、札幌から道央を駆け巡った7日間 0(ダイジェスト)- 千歳、小樽、旭川、そして定山渓へ(2022年10月23日-29日)

2022年10月28日 サッポロピリカコタンで。(北海道札幌市)


*タイトルを、「コロナでも道央。札幌から駆け巡った7日間 - 千歳、小樽、旭川、そして定山渓へ(2022年10月23日-29日)」から変更しました。


10月31日(月)


北海道には、9月に行ったばかりです。
そのときに訪れたのは道東でした。


9月の旅行のダイジェストです。本編は、まだ書けておりません。😅


それなのに、
どうしてまた北海道に行ったのかというと、
「**に行きたい。」「**をやりたい。」
などという思いが次々と現れてしまうのです。
それをひとつひとつ実現していくと、
まあ、こうなってしまいました。😅


「釧路の阿寒アイヌシアターに行って、
 アイヌの歌や踊りを見たい。」
と思ったのは、ちょうど一年前。
「札幌2週間ホテル暮らし」で、
ウポポイに行ったのがきっかけでした。


「たった20分のパーフォーマンスは短すぎる!」と思ったウポポイ。笑
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 54 - ウポポイ②(体験交流ホール、体験学習館、星野リゾート・界 ポロト)/ 5435(2021年11月7日/5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


昨年、札幌に2週間滞在したあと、
「また札幌に行きたい。
 今度は1週間くらいでどうかな。」

などと夫と話しているうちに、
フェアフィールドバイマリオット札幌の、
格安プランを見つけてしまいました。
10月は、一泊6800円ですよ(ふたり分)。
速攻で予約したのは、今年の3月でした。


釧路のシアターのことを知ったのは、
その少しあとの4月頃でした。
すぐにも釧路に行きたかったのですが、
その頃には、
 函館(4月)
 京都(5月)
 札幌・白老・小樽・神威岬(6月)
 新潟(7月)
 宮古島・沖縄(8月)
…と、5か月先まで予定が決まっており、😅
ようやく釧路に行けたのが9月だったのです。


み「あれ? でも私たち、
  10月も北海道に行くんじゃなかった?」
夫「そうだよ。2か月連続になってるよ。」
…と、アホとしか言いようのない会話も
実はありました。🤣
でも我が家では、ANAマイルのおかげで
飛行機には無料で乗れるので、
まあいいか、ってことになってしまいました。😅


派手に旅行しまくっていますが、
ご存じのとおり、
我が家はとにかくお金をかけません。
マイルやポイントを駆使するので、
一回の旅行の予算は、大体50000円くらいです。
(ふたり分ですよ。^^)


いつまでできるかわかりませんが、
マイルとポイントがある限りは、
そして健康でいられるあいだは、
たぶんこれからも旅行し続けるんじゃないかな、
と思っています。


…ということで、今回は、道央の7日間。
札幌に滞在しながら、
西に東に北に…と駆け巡りました。


羽田空港で、以前から気になっていた自動運転車イスに乗りました。国内線に搭乗する人なら誰でも無料で利用できます。車イスは保安検査場を出たところに待機していて、イスに座って搭乗券を読み込ませると、搭乗ゲートまで連れて行ってくれます。(2022年10月23日)


このイスに、のんたんを乗せてあげたいねえ。
きっと喜ぶよね。
…と、夫と話しました。


千歳空港からレンタカーで、二風谷へ直行しました。途中、「びらとり和牛 くろべこ」でステーキをいただきました。びらとり和牛定食が300gで1980円ですよ! びらとり牛は、柔らかくて超おいしかったです。^^(2022年10月23日 北海道沙流郡平取町)

二風谷は、MIYOがぜひ行きたいと思っていた場所です。二風谷コタンには、10軒以上のチセが建ち並び、歩いているだけで心が躍りました。

二風谷アイヌ文化博物館もすばらしい。^^

2日めは雨もようでしたが、支笏湖へ。紅葉がきれいでした。(2022年10月24日 北海道千歳市)

そして、かの有名なルタオが展開する「ドレモルタオ」へ。行列ができる超人気店でした。

ふわっふわのパンケーキは4個セット。1個は、大量の削りバターに隠れて見えません。笑 一番人気のハニーバター(1324円)を、夫とはんぶんこしていただきました。生クリーム、はちみつ、バター、バニラアイスの組み合わせです。発酵バターと花の香りのはちみつが絶妙にマッチし、おいしすぎて泣けます。

そして「千歳さけますの森 さけます情報館」へ。紅鮭にエサやり体験ができます(無料)。エサを欲しがる紅鮭さんたちが、水からとびだしてきてびっくり。😵

帰る頃には雨もあがり、夕方の美しい支笏湖を堪能できました。

3日めは小樽です。名店「小樽政寿司」でお昼ごはん。お寿司はもちろんおいしかったのですが、皆さんの温かいサービスがすばらしいお店でした。(2022年10月25日 北海道小樽市)

手宮線跡地です。午後はずっと、小樽の街を散策。時間をかけてゆっくりと、古い建造物を見て歩きました。

最後は田中酒造 亀甲蔵へ。見学もできて、夫、大喜び。笑

札幌に戻り、超有名店「成吉思汗 だるま」へ。一時間並んで、晩ごはん。笑

4日めは、夫の提案で旭川へ。河村カ子トアイヌ記念館に行きました。(2022年10月26日 北海道旭川市)

そのあとは、北に向かってドライブ。大雪山を臨む丘陵まで行き、感動しました。誰もいない丘で、この景色をふたり占めですよ~。次は絶対にここに泊まる、と決意。笑(北海道上川郡上川町)

お昼ごはんは、地元名産の舞茸がたくさん入った、まいたけラーメン。絶品でした。

午後は、旭川の北鎮記念館(旧陸軍第七師団司令部)へ。言わずと知れた、ゴールデンカムイの聖地です。笑 屯田兵や旧陸軍第七師団についての資料を展示しています。入館料は無料。 現在は陸上自衛隊旭川駐屯地で、自衛隊の方が、展示の説明をしてくださいました。

札幌に戻って晩ごはん。大好きな根室花まる回転寿司に行ったのですが、80人待ちで泣きました。笑 花まるはこれで4回め。何回来てもおいしい。^^

5日め。Rojiura Curry Samuraiで、スープカレーのお昼ごはん。チキンと20種類の野菜が入っていて、すごいボリュームでしたが、完食。おいしかったです。^^(2022年10月27日 北海道札幌市)

午後は、市バスに乗って羊ヶ丘展望台へ。

そして晩ごはんは、蔵元直営千歳鶴へ。ここも私たちのお気に入りで、4回めになります。

6日めは定山渓へ。豊平峡をのんびりと散歩しました。(2022年10月28日 北海道札幌市)

耳をすますと、トゥップ、トゥップ、という小さな水の音が、ささやくように聞こえてきました。

「紅葉亭」でお昼ごはん。天ざるがとてもとてもおいしかったです。必ず、川魚のおまけがついているという情報でしたが、この日はわかさぎでした。ふっくらとして、感動のおいしさ。

旅の最後に訪れたのは、札幌市アイヌ文化交流センター(サッポロピリカコタン)。アイヌに関する展示がわかりやすくて、各種体験もでき、とても楽しいところでした。

アイヌの衣装体験もできます(無料)。😄

サッポロピリカコタンは、赤とんぼさんのブログでおしえていただきました。情報ありがとうございました。
「アイヌの歴史と文化巡り」の旅 1⃣ - akatonboのブログ


7日め。最終日のランチは、二条市場の「丼兵衛」で海鮮丼。このあと、ホテルをチェックアウトしました。マリオットのプラチナエリートになり、レイトチェックアウト(4時まで)ができるので、助かってます。^^

帰りは、18時のフライトでした。

搭乗券です。ANAのアプリで、オリジナルの搭乗券を作ることができるので、ちょっと遊んでみました。ほんとに、コレで搭乗したんですよ~。笑


なんか、ダイジェストと言いながら、
大部分が食べ物の写真のような…。笑
秋の北海道をのんびりと旅行したくて、
ゆったり7日間の日程を組んだのですが、
毎度のことながら、
多動夫がじっとしていないので、
「7日間内容ぎっしりツアー」
になってしまい、疲れました~。🤣🤣


今は、ちょっと休憩しながら、
次の旅に向けて、体調を整えています。
11月は、青森と山形です。
通常は月一回ペースで旅行しているのですが、
今は旅行支援でお安く行けるので、
つい、2回にしてしまいました。😅
(ついでに言うと、12月の沖縄5日間も、
 旅行支援でホテルをおさえてあります。笑)


なんだか体力勝負になってきましたが、
倒れないように楽しんできたいと思います。

コロナでも新潟。越後の秋に抱かれて歩く - 魚沼、苗場、新潟、そして村上へ(2022年10月17日-20日)

2022年10月19日 「日本料理 行形亭」で。300年の歴史を誇る料亭で、夢のようなお食事をいただきました。 (新潟県新潟市) 


10月30日(日)


みなさま こんにちは。
ご無沙汰してしまいましたが、
長い長い旅(笑)から、
昨夜、ようやく戻ってきました。


10月の旅は新潟と北海道でした。
まずは新潟に行き、
いったん東京に戻ったのですが、
その2日後には北海道へ。
(もう、アホですね。🤣🤣)
まあ、定年退職してヒマなので、
好きにさせてやってください。😅


新潟では、3か所のお宿に泊まりましたが、
そのすべてで旅行支援を利用できたので、
6割の負担で宿泊できました。
その上、18000円分(ふたり分)もの
クーポンもいただけました。


マイカー旅行だったので、交通費もかからず、
かなりオトクな旅になりました。
その分、うんと張り込んで、
私たちにはかなり背伸びしたお食事を。^^
なにもかもが、胸に染み入るような、
すばらしい旅になりました。


撮った写真は、なんと、
二人合わせて1500枚以上。
とても整理しきれないのですが、
とりあえず、その中から少しだけ選んで、
ダイジェストをまとめてみました。


まずは東京から一気に西福寺(1850年建立)へ。日本のミケランジェロと言われる石川雲蝶が、6年をかけて制作した彫刻による天井や欄間が見事です。(2022年10月17日 新潟県魚沼市)

内部は撮影禁止なので、画像をお借りします。天井や欄間があまりに見事で、しばらく立ち去ることができませんでした。


やはり雲蝶の彫刻で知られる、
もうひとつの寺、開山堂(魚沼市)を、
今年の7月に訪ねたので、
今回はこちらに来てみました。
どちらもすばらしいのですが、
個人的には、西福寺の方が好きです。


そして奥只見シルバーラインを越えて、奥只見湖遊覧船に乗りました。150人乗りの船でしたが、乗客は私たちだけ。なんと、貸し切りでした~。😄

福島県南会津郡檜枝岐村と新潟県魚沼市に跨る奥只見湖を遊覧しました。

夜は大湯温泉・ホテル湯元に宿泊。「日本酒飲み放題プラン」を堪能しました。笑

旅の二日めは、苗場ドラゴンドラに。空を駆けるドラゴンのようにアップダウンするゴンドラに乗って、30分間の空中散歩を楽しめます。平日なのでお客さんが少なく、こちらでもゴンドラ貸切。笑(2022年10月18日 新潟県魚沼市)

すばらしい景色でした。

午後は新潟市の旧小澤家住宅へ。日本海を行く北前船などの回船や川舟が集まって来る、みなとまちだった新潟で、小澤家は、米を扱い、回船を運航し、経営を拡大した商家でした。新潟の町家の特徴が今も残っており、明治時代以降に成長した商家の歴史を知ることができます。(新潟市文化財)

美しい窓ガラスや欄間に見とれました。

宿泊は、ANAクラウンプラザ新潟。朝食ビュッフェがおいしかったです。^^

旅の3日めは、旧齋藤氏別邸庭園へ。大正期に、銀行家の4代齋藤喜十郎が過ごした別荘です。7月に彼の邸宅を訪ねたので、今回は別荘に来てみました。個人的には、邸宅よりもこちらの方が好きです。^^(国指定名勝)

その隣りにある、北方文化博物館。歌人・會津八一氏の住まいでした。

昼食は、日本料理 行形亭で。創業は江戸時代中期で、300年の歴史を誇る料亭です。(国登録有形文化財)

行形亭では、広大な庭の中に、10以上もの離れがあり、そこでお食事をいただきます。個室ではなく、個住宅ですね。^^ 私たちが通されたのは、九番の間。1877年(明治10年)の建築です。木造平屋建、鉄板葺、建築面積29㎡、懸造風だそうです。(画像をお借りしました)

九番の間の内部です。かつて、東郷平八郎元帥が食事されたお部屋だそうです。元帥がお座りになっていたのは、MIYOの席。😵

お食事はどれもすばらしかったです。見た目にも美しく、そしておいしい。^^(ダイジェストなので、一部だけのご紹介になります。)

そして瀬波温泉へ。この日のお宿は、「ゆうなみの宿 瀬波ビューホテル」。目の前が海です。客室から、日本海に沈む夕陽を楽しみました。(新潟県村上市)

露天風呂からも夕陽が堪能できます。^^

夕食は、地酒堪能コース。旅行支援に感謝です。^^

4日め。村上を代表する鮭料理・塩引鮭のお店「きっかわ」へ。(2022年10月20日 新潟県村上市)

塩引鮭の材料は、選りすぐった鮭と天然の粗塩だけ。職人によって丁寧に仕込まれた鮭は、北西の冷たい風の中に3週間さらされてゆっくり乾きながら、発酵、熟成し、旨みを凝縮していきます。村上独特の気候風土により、鮭の酵素が働いて、タンパク質をアミノ酸の旨みに造り変えるため、新巻鮭や塩鮭とはちがう独特の深い味わいをつくります。

天井いっぱいに、千尾もの塩引鮭が吊るされている風景は、村上の冬の風物詩となっています。

最後は、若林家住宅を訪ねました。1800年代(推定)に建てられた、村上藩の武家屋敷でした。保存修理工事を経て、ほぼ建築当初の姿に復元されています。(国指定重要文化財)


新潟と北海道の両方を、と思ったのですが、
訪問先が多すぎて、やはり、
北海道の旅までは掲載しきれませんでした。😅
ちなみに、北海道には一週間滞在し、
旭川の方まで行ってきました。
こちらは、旅行支援を利用していません。
なぜなら、旅行支援よりもはるかにお安く、
宿泊できたからです。爆


いつも利用している、
フェアフィールドバイマリオット札幌が、
一泊6800円(ふたり分)でした。
(マリオットメンバー価格+シニア割引)
格安プランを見つけて予約したのは、
なんと3月ですよ。笑


北海道の旅ダイジェストも書きたいのですが、
あまりにたくさんの場所に行ったので、
ダイジェストにするのはムリかもです。😄


今日は、大量のお洗濯や掃除に追われています。
まだちょっと落ち着かないので、
ブログも、もう少しお休みをいただきます。
(スミマセン)


とりあえず、元気です。
みなさま、またよろしくお願いいたします。^^

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 30 - 旧海軍司令部壕⑥(下士官室、出撃の出口、炊事場、司令官室、信号室)(2022年9月2日/8日め)

2022年9月2日 旧海軍司令部壕・ビジターロビーに展示してあった写真です。沖縄戦では、暴風雨のような米軍の砲火が、夜空を照らしました。これがすべて銃弾であると、想像できますでしょうか。


【お知らせ】
(この日記は、前日に予約投稿しています。)
10月17日早朝より、次の旅に出ます。
行き先は、私たちが大好きな新潟。7月に続いて、今年2回目です。
今回は、ドラゴンドラに乗ります。一年のうちで今しか見られないという景色に、抱かれてきます。^^
ブログは、少しお休みをいただきます。


9月2日(金)


旧海軍司令部壕の中を歩いています。
これまでに、
 作戦室
 幕僚室
 司令官室
 暗号室
 医療室
 発電室
を見てきました。
これらは、壕の中でも、
主要機能を担ったエリアです。


次は、下士官兵が過ごした部分を
見学します。
それまでの坑道に比べると、
下士官兵エリアの坑道は、
ぐっと狭くなります。


兵士が作業に使ったツルハシが、展示してありました。

その先に、ふたつの下士官室が並んでいました。息をのむほどの粗末さです。

壁に窪みがあります。ここには当時、支柱がはめ込まれていました。

ふたつめの下士官室です。

下士官室復元図です。当時の壕内には、国頭方面から運ばれてきた琉球松が、支柱として多数使われていました。

玉砕の日も近い、昭和20年6月頃のようすです。この部屋では、立錐の余地もないほど多くの兵士が、立ったまま眠り、休息をとったと言われています。


立ったまま眠るなんて、
聞いたことがありません。
あまりにひどい処遇ですが、これも、
「欲しがりません。勝つまでは。」
ということだったのでしょうか…。


下士官兵のエリアを過ぎると、
いちばんはじめに通った太い坑道に出ます。
右に曲がると、出発地点に戻るのですが、
左に曲がると、
「出撃の出口」
と言われる場所があります。


出撃の出口の再現図です。兵士たちのほとんどは、武器らしい武器もなく、刀や槍を持つ兵士すらいました。彼らはこの出口から出撃していき、そして大半が、二度と帰ってきませんでした。

これが、現在の「出撃の出口」です。修復作業中のため、立ち入り禁止になっています。


気になったのは、
多くの見学者が訪れると思われるのに、
この「出撃の出口」が、
作業者の休憩所になっていたことです。


奥の二人(日本人)は、
タバコを吸ったら、すぐに出て行きました。
これはまあ、いいです。
しかし、手前の3人(たぶんアメリカ人)は、
そうではありませんでした。
女性ひとりと男性ふたりが、大声で、
おしゃべりに興じていました。
「チェジュ島に行ったら、
 もう、韓国人ばっかりで。あはは。」
などと、旅行の話に花を咲かせています。


夫はすぐに立ち去ってしまいましたが、
私は、そこを離れることができず、
周囲の写真を撮りながら、
しばらく、そのまま残っていました。
20分くらいたったと思いますが、
それでも、彼らのおしゃべりが
終わることはありませんでした。


率直に、腹が立ちました。
(アメリカ人だったからではありません。😅)
大勢の方々が亡くなったこの壕で、
坑内に響き渡るような大声で、
延々と談笑し続ける無神経さに、
腹が立ったのです。
そのうえここは、「出撃の出口」でした…。


やりきれない思いを抱えたまま、その場を去りました。出発地点に向かって、歩きます。

ここで左に曲がると炊事場になりますが、この坑道の中は、現在は公開されていません。

さらに進むと、右側に司令官室があります。こちらは、ふたつめの出入り口です。

司令官室の前室です。ここに、下士官兵が控えていたのでしょうか。

その先に、司令官室があります。

再び、元の坑道を進みます。

最後の部屋は、信号室です。

大きな琉球松が、支柱としてはめこまれていました。

これで、公開されている、すべての部屋を見学しました。

坑道をまっすぐ進むと、出口になります。当時はこちらが、正規の入口だったようです。


…ここで見学は終わり、のはずだったのですが、
私は、この出口から外に出ませんでした。
先に行ってしまった夫から離れて、
自分ひとりだけで、
最初に降りた長い階段を上がりました。


階段を上がりきって左に行くと、受付に戻ります。


受付の前で、少しまよったのですが、
やはり思いきって、
職員の方に言ってしまいました。
「『出撃の出口』で、3人の外国人が、
長時間、大声で談笑していたのですが。」
と…。


職員の方は、
「彼らは、修復の作業をしているのですが、
 休憩していたのだと思います。」
と言いながらも、
「すみませんでした。」
と付け加えました。


 いえ、謝ってもらわなくてもいいのです。
 けれどここで、
 何千人もの方が、亡くなったのです。
 その同じ場所で、大声で談笑し続ければ、
 残念な思いをする人もいると思います。
 彼らが日本人ではなくても、
 少なくとも、ここで起こったことに、
 思いを馳せていただきたいのです。


…と、本当は言いたかったけれど、
それはうまく言葉になりませんでした。
でも、私が言いたかったことを、
きっと、わかっていただけたと思います。
そして彼らに、
私の思いを伝えてくださっているように、
と願っています…。


出口の前で咲き乱れていた、ブーゲンビリア。


(つづく)

台風でも沖縄。台風11号と共に、宮古島と沖縄本島を楽しむ9日間 29 - 旧海軍司令部壕⑤(司令官室、暗号室、医療室、発電室)(2022年9月2日/8日め)

2022年9月2日 旧海軍司令部壕・作戦室で。(沖縄県豊見城市)


9月2日(金)


地底に広がる、
旧海軍司令部壕を歩いています。
それまでの細い通路から、
少し広い坑道にでました。


坑道の右側です。

そして左側。本当に長いです。

そして目の前にあるのは、司令官室。

この出入り口(ひとつめ)には柵があり、中に入ることができません。柵ごしに、木製の椅子が見えます。

この写真は、順路のずっと後で撮った、反対側の出入口(ふたつめ)です。こちらからの方が、室内がよく見えました。

司令官室です。写真の左奥に、柵のある出入り口(ひとつめ)が見えます。この部屋は、大田実少将他、幕僚6名が最期を遂げた当時のままにしてあるそうです。奥の壁には、大田少将の辞世の句が書かれています。

辞世の句
大君の御はたのもとにししてこそ 人と生まれし甲斐でありけり

(画像をお借りしました)

県民の将来を憂えた大田司令官は、この部屋で「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文を書き、その後自決しました。


胸がつまる思いです。
が、けして、
戦争の美談にしてはいけないと思います。
最後に死ぬことしか選べない、
戦争の狂気。
再びそんな世の中にしてはならないと、
強く思います。


以前、「会津が教えてくれたこと」で考えたことを、思い出しました。あのときも、今も、私の思いは変わりません。(2021年4月10日)


「みっともない人生であろうと、
 自分はここで死にたくない。」
と考える自由は、
誰にでもあるのだと思います。
その自由を、私たちはこれからも、
守り続けなければならないと思います。


続いて、幕僚室の左隣りにある、暗号室に行きました。

暗号室です。作戦室や司令官室は壁面をコンクリートで固められていましたが、この部屋は土が剥き出しになっています。ほんとうに手作りの壕であったことを実感できます。

暗号室からさらに歩くと、医療室があります。

医療室です。この部屋がはじめから医療室であったかどうかは不明です。が、生存者の話で、ここを中心にたくさんの負傷兵がいたということから、医療室だと推定されています。

さほど広くないスペースですが、こんなふうに、負傷兵がぎっしりと横たわっていたそうです。

坑道をさらに奥へと進んだところに、発電室があります。床には、当時の発電機台が今も残っています。

ふたつめの発電室。

全部で3つの発電室が並んでいます。

ここで、坑道はV字形に折れています。右側が発電室のある坑道です。そして、左側の坑道を進むと、下士官兵が過ごしたエリアになります。

ここまで、こんなふうに歩いてきました。


次回は、下士官兵員室に行きます。


(つづく)