MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 107 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所② 会津藩士団のリンゴと、お客様待合室(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。
気になる方もいらっしゃるかと思うので、
ここで少し情報を書いておきます。


「無料ガイドツアー」は、毎日開催されていて、
所用時間は約70分(工場見学+無料試飲)。
完全予約制で、
ニッカウヰスキー余市蒸溜所のサイトから、
ネット予約することになっています。
注意点は、
・電話などによる予約はできないこと。
・申し込み人数は、1名から9名まで。
 (10名以上での予約はできません。)
です。


案内図です。見学コースでは、図のいちばん下にある正門から点線に沿って歩きます。


【ニッカウヰスキー余市蒸溜所】
ニッカウヰスキーの創業地で、北海道余市郡余市町にあります。現在は、アサヒグループホールディングスの機能子会社であるニッカウヰスキーの工場(蒸溜所)となっています。正式名称は、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所ウイスキーづくりの理想の地を求めていた竹鶴政孝が、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市に蒸溜所を建設したのが始まりです。
1934年(昭和9年)、寿屋(現在のサントリー)を退社した竹鶴政孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていました。竹鶴政孝が目指したのはスコッチ・ウイスキー。ハイランドの蒸溜所と同じように、力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくろうとしていました。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていました。なかでも余市は、三方を山に囲まれ、北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていました。さらに、果汁の原料となるリンゴの産地であることが、工場建設の決め手になりました。
蒸溜所では、現在は世界で唯一とされる昔ながらの「石炭直火蒸溜」を行い、「品質第一主義」を貫いています。日本国内では初めて、ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になりました。
「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として、北海道遺産に選定されているほか、蒸溜所内の建造物9棟が国の登録有形文化財に登録されています。また、「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー(株)北海道工場)」として、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。北海道の観光地としても人気があり、トリップアドバイザーからエクセレンス認証を授与しました。
2021年(令和3年)、「旧事務所」(余市町指定有形文化財)、「事務所棟」、「貯蔵棟」「リキュール工場」、「第一乾燥塔」、「第二乾燥塔」、「研究所・居室(現リタハウス)」(以上国の登録有形文化財)、「第二貯蔵庫」の10棟が、国の重要文化財に指定されました。


覚えておいででしょうか。
よいち水産博物館で見た、
「会津藩士団」のお話を…。
北海道への移住を命じられた会津藩士たちが、
苦難の末に成功させたリンゴ栽培。
それが、北海道における果樹栽培の礎となります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 105 - よいち水産博物館④ 北海道鰊大漁概況之図、奥寺家の神棚、そして会津藩士団(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


彼らの尽力で、
余市はリンゴの一大生産地となりました。
それが、竹鶴政孝にとって、
蒸留所を建設する際に余市を選んだ
決め手になったのだそうです。
*ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようという構想でした。


会津藩士団の存在がなければ、
余市にリンゴはなく、そして、
余市蒸留所もなかったのかもしれません。
歴史が、さまざまなところで、
深くつながっていることに、感動しました…。


それでは、見学を始めます。


前回は、正面入口で受付をすませ、塔のアーチを抜けたところまででした。

アーチを抜けると、目の前にはこんな景色が広がっています。これは第一乾燥棟です(国の登録有形文化財)。

同じく、第一乾燥塔。

第一乾燥塔(右)と第二乾燥塔(左)(共に、国の登録有形文化財)。

そして次は、左側に見える建物です。(奥に見えているのは、今くぐってきた正門です。)

壁面の、独特の質感をご覧ください。レンガではなく、札幌軟石(北海道札幌市南区で産出する凝灰岩の石材)で造られています。施設内のかなりの建造物が、札幌軟石でできているそうです。


札幌軟石は、開拓時代に、
主要建造物の資材として広く使われました。
現在の札幌市内では、
札幌軟石を使った建物が約300棟確認されており、
北海道らしい景観を呈しています。


札幌軟石については、代表的な建造物の写真と共に、過去のブログで書きましたので、興味のある方はご参照ください。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 73 - 札幌市資料館① 軟石の街に残る古城(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


まずはこの建物の待合室で待機するように、と案内されました。

「お客様待合室」と書いてあります。

これまでの「灰色の世界」から一転して、鮮やかな赤いパネルが出迎えてくれました。

札幌・すすきの交差点にある、「キング・オブ・ブレンダーズ」のネオン看板は、あまりにも有名ですね。^^(画像をお借りしました)


このネオン看板は、1969年に設置されました。
「キング・オブ・ブレンダーズ
 (ヒゲのおじさん)」は、
右手にグラスを持ち、
左手に大麦の穂を持っています。


待合室の内部では、「ウイスキーができるまで」を説明したパネルが展示されていました。

ニッカの拠点は、こんなにあるんですね。^^

いただいた入場券です。MIYOの入場券はアルコール試飲付きなのですが、夫は運転するので、ソフトドリンクとなっていました。ちょっとカワイソウ。😅


ふと気づくと、多動夫がいません。
いったんは待合室に入ったものの、
「こんなところでじっとしていられるか~」
とばかりに、外に飛び出したようです。
写真をがんがん撮っていました。🤣🤣
(ここまでに掲載した写真の大半は、
 このときに夫が撮りまくったものです。)


MIYOは、
「どうせこのあと、
 見学コースの中で見るのだから、
 そんなにあせって写真撮らなくても…」
と思うのですが、夫はもう、
とにかくじっとしていられない。🤣🤣
しょうがないので、MIYOも外に出ました。笑


多動夫がひたすら撮った、写真の数々。😔

札幌軟石が、得も言われぬ雰囲気を醸し出しています。


前置きが長いですね…。
なかなか見学が始まらなくて、スミマセン。😅


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 106 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所① 余市宇宙記念館スペース童夢、道の駅スペース・アップルよいち、リタロード(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。アーチをくぐった向こう側には、別世界が広がっていました。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


朝、札幌を出発し、余市では、
 旧余市福原漁場
 旧下ヨイチ運上家
 よいち水産博物館

を見学してきました。


まるで時間との戦いのように、
急ぎ足で3か所を見てしまいましたが、
それもしかたないことではありました。
なにしろ、夫が予約していた
「ニッカウヰスキー余市蒸溜所 
 ガイド付き蒸溜所見学」

の時間が15時だったのです。
なので、
「そのまえに、
 ほかのスポットの見学を終えてしまおう」
と考え、ついついがんばってしまいました。笑


もちろんMIYOも、「マッサン」は全部見ました。
ドラマの終盤は入院中でしたが、
手術後に腸閉塞を起こしながらも、
毎朝のドラマだけは、必ず見ていました。(アホ)
点滴棒をひきずりながら、病院の廊下で、
立ったままで「マッサン」の最終回を見たのも、
今ではなつかしい思い出です。笑
なのでMIYOも、
余市蒸留所に行くのは楽しみでした。


夫がどうしても行きたいと思っていた、ニッカウヰスキー余市蒸溜所。ここは駐車場です。


余市蒸留所の駐車場に車を入れて、
時計を見ると、14時半でした。
見学時間までは、まだ30分あります。
集合場所になっている正門に行ってみましたが、
他には誰もいなくて、どうやら、
私たちが一番乗りのようでした。
係の方に訊いてみると、
「予約時間になるまでは、中に入れない」
のだそうです。


…となると、ここで待つしかないのですが、
ついつい、じっとしていられない、私たち。爆
ふらふらと、あたりを探索し始めました。


すぐお隣りにある、余市消防署です。レンガ造りで、サイロのような塔が北海道らしいですね。^^

YOICHIと書いてある消防車。😄(←あたりまえ)

さらにその先にある、立派な建造物。「余市宇宙記念館スペース童夢」(右)と、「道の駅スペース・アップルよいち」(左)です。

「余市宇宙記念館スペース童夢」です。


【余市宇宙記念館スペース童夢】
余市は、科学者であり日本初のNASA宇宙飛行士である、毛利衛氏の出身地です。毛利氏が初めて宇宙に飛び立ったのは、1992年のことでした。彼の偉業を記念して、「余市宇宙記念館スペース童夢」が建てられました。コンセプトは、「宇宙の神秘や宇宙開発の最新情報が学べる宇宙ステーション」です。


あまり時間がなく、中に入ったとしても、
見学時間が5分くらいしか割けません。
その5分のために入場料(500円)を払う
というのはもったいないので、
MIYOは中に入りませんでした。
夫は、入ってみようとしたのですが、
10秒くらい?中の様子をうかがってから、
結局、そのまま出てきました。😅


それよりも気になったのは、
記念館の隣りにひっそりと建つ、
道の駅スペース・アップルよいち
の方でした。


道の駅スペース・アップルよいちです。


MIYOがこれまでに訪れた道の駅で、
もっとも小さな道の駅でした。
間口はたったこれだけ。
奥行も、あまりありません。
すぐ隣りにある余市宇宙記念館は、
近代的で立派な建物なのですが、
それに比べて、
道の駅スペース・アップルよいち
のつつましいこと。
あまりの違いに、驚きました。


【道の駅スペース・アップルよいち】
北海道余市郡余市町にある国道229号の道の駅です。施設内には、余市宇宙記念館(通称・スペース童夢)があります。この道の駅の核施設である余市宇宙記念館を運営していた第3セクターは、2008年(平成20年)に会社清算をし、施設自体も、一時休館となりました。その後、町営施設として、2010年(平成22年)に再開(季節営業)されました。


余市宇宙記念館の経営が思わしくなく、
道の駅も、かろうじて運営しているようです。
りっぱな施設を作ったことが
かえって重荷になっているのかもしれません。


…そんなことを話しているあいだに、
見学時間が近づいてきたので、
ニッカウヰスキー余市蒸溜所
に戻ることにしました。


再び駐車場まで戻り、さらにこの道を進みます。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所の建物が見えてきました。いかにも古そうな雰囲気です。手前に写っている道路は、「リタロード」と呼ばれているそうです。


【リタロード】
国道229号の余市駅前から余市町役場前までの区間です。1988年(昭和63年)に、余市町がリタの出生地である、英国スコットランドのストラスケルビン市(当時・後のイースト・ダンバートンシャイア市)との姉妹都市を締結しました。それを機に、リタの功績を称えてを整備し、命名した道路です。2003年に手づくり郷土賞を受賞しました。


この道路は、竹鶴政孝氏と結婚したリタ夫人にちなんで名づけられました。スコットランド生まれのリタさんは、故郷と風景が似ている余市をこよなく愛したそうです。現在、リタロードの清掃や植樹は、「リタロードを守る会」によって行われています。


【リタロードを守る会】
ニッカウヰスキーの創設者である竹鶴政孝氏とリタ夫人の歴史とロマンを伝える散歩道として、後世に残していくため、住民主導による環境整備を進めている団体です。リタロードのコンセプトに基づき、いつまでも大切にし、将来に継承することを目的に、歩道の清掃活動や植樹帯への花植を行っています。活動には、沿道の町民、各種関係団体、地区の小中学校も参加しています。


ほどなく、集合場所に到着しました。「ニッカウヰスキー北海道工場 余市蒸溜所 」の正門になっている塔です。この正門の両側が事務所棟になっています(国の登録有形文化財)。


なんだか、
スコットランドの古城のような雰囲気です。
リタさんのために造ったのでしょうか。


スコットランド風というと、たとえばこんな感じでしょうか。なんとなく似ていますね。^^ これは、スコットランドの古城の特徴を持った教会で、1891年の建築です。内部はリフォームされ、個人の邸宅となっています。価格は約4億円。😅(米サウスカロライナ州サリバン島・画像をお借りしました)


さて、この古城のような正門で、
係の方に名前を告げると、
「時間になるまでここで待っていてください。」
と言われました。


「時間になるまで」って、ほんの数分なんですが、その時間すらじっとしていられず、事務所棟をウロウロして、写真を撮りまくる多動夫です(国の登録有形文化財)。🤣🤣

レンガ造りの、古そうな建物が続いています。

窓だってこのとおり。昔の土蔵みたいです。


見学が予約制であることを知らず、
予約しないでここまでやってきて、
引き返していく方も何人か見かけました。
2日前の11月11日に、たまたまキャンセルが出て、
滑り込みで予約がとれた私たちは、
本当にラッキーでした。


さて、ようやく15時になり、
門を開けていただきました。


塔の中のアーチをくぐって、中に入ります。

今くぐり抜けてきた塔です。これは塔の内側(敷地内に面した側)にあたります。

蒸留所の敷地内です。石造りの建物が、たくさん並んでいました。石は、札幌軟石だそうです。


いよいよ、見学が始まります。^^


(つづく)

コロナでも福島2。磐梯山の麓、花の降る郷を歩く - ダイジェスト(2023年4月5日-8日め)

2023年4月8日 天鏡閣(旧有栖川宮家・高松宮家翁島別邸)で。(福島県耶麻郡猪苗代町)


4月10日


みなさま こんにちは。
ご無沙汰してすみません。


一昨日、福島の旅から帰ってきました。
福島には、これまでに2回訪れたことがあります。


【1回め】
家族4人で、裏磐梯グランデコをトレッキング。長男は、夫の肩につかまって山を歩きました。MIYOは、長男の後ろを歩いてガードしましたが、長男は転ぶこともなく、最後まで元気に歩きました。^^(2020年8月13日 福島県耶麻郡北塩原村桧原荒砂沢山)
全盲難聴・のんたんの夏休み 4 - アリオ亀有と会津若松・さざえ堂へ(2020年8月11日-12日/4日め-5日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

【2回め】
涙なくして歩けなかった日新館です。日新館がきっかけとなり、この後、「藩校の旅」が始まりました。(2021年4月9日 福島県会津若松市)
コロナでも福島。満開の桜の下、城を仰ぐ 1 - 白河小峰城跡・清水門跡から本丸高石垣へ(2021年4月9日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


そしてこの春、
3回めの福島を歩くことになりました。
そのきっかけは、コレです。


阪急交通から送られてきたDMです。


あこがれの、
「星野リゾート 磐梯温泉ホテル」に宿泊し、
会津鉄道ローカル列車に乗り、
満開の桜を楽しむ…。


なんとすてきな旅でしょうか。😍
行きたい。すごーく行きたい。
でも、一泊二日で、ひとり39900円。
豪華ツアーです。
ふたりで約80000円。
一泊二日でこの金額は、我が家には難しい。😅


そこで、夫に相談しました。
「このツアーに申し込まず、
 往復新幹線をマイカーに変えて、
 このツアーに含まれてるところを
 全部、自分たちで行くってのは、どう?」
と…。
夫、即答です。
「できるよ。」


もうね。
せっかくの好企画を横取りされて、
阪急交通が知ったら怒られそうな話なんですが、
そうとなったら話は早い、ってことで、
MIYOが以前から泊まりたいと思っていた、
「星野リゾート 磐梯温泉ホテル」
の予約について、調べてみました。


で、わかったことは、
・よほどのキャンペーンでないかぎり、
 星野リゾートのサイトから予約するのが
 宿泊料金は一番安い。
・3連泊すると30%オフになる。
…ということでした。


そこで、思いきって予約したのが、
以下の日程です。


「星野リゾート 磐梯温泉ホテル」
到着日:2023/04/05
出発日:2023/04/08
泊数: 3泊

チェックイン:03:00 PM
チェックアウト:11:00 AM
人数:大人 2 名
部屋名:モダンツインルーム
連泊優待(夕朝食付)
*本プランは、ご変更・ご解約いただけません。
料金:
 2023/04/05 大人 ¥11,920x2 名
 2023/04/06 大人 ¥11,920x2 名
 2023/04/07 大人 ¥11,920x2 名

合計: ¥71,520


天下の星野リゾートを、夕朝食付き3泊で、
71520円です!(ふたり分ですよ。🤣)


我が家のふだんの旅行と比べると、
少しお高いのですが、上記の、
「一泊二日、ふたりで80000円」
てのを見てしまうと、
「三泊四日で71520円ならいいんじゃないか?」
と思ってしまいました。


もうね。
どこかのスーパーみたいに、
「安さに挑戦」
ってキャッチが聞こえてきそうです。


そんなわけで、
旅行会社の豪華一泊ツアーに参加したつもりで、
同じくらいの予算で、同じホテルに3泊し、
4日間でどんなことができるか、
っていうのが、今回のテーマでした。(アホ)


オリジナルのツアーに含まれていた、
二本松城跡、西田町梅の里、雪村桜には
もちろん行くし、
会津鉄道にも乗ってみます。
「それ以外のところに、どれくらい行けるか?」
…と考えると、
なんだかゲームみたいになってきました。笑
*大内宿、鶴ヶ城は、以前に訪れているので、
 今回は省きました。
*夫の希望で、花見山公園は中止し、代わりに、
 飯坂温泉花ももの里を追加しました。


花を見る旅というのは、
「いつ花が咲くのか。」
を見極めるのがとても難しいのですが、
上記のツアーと同じ日に出発すれば、
まあ間違いないだろう、ってことで、😅
出発日は4月5日にしました。


4月5日(水)- 1日め


朝6時に、自宅を出発。
4時間後、南会津の
奥会津博物館に到着しました。


奥会津博物館です。(福島県南会津郡南会津町)


おわかりでしょうか…。
すごいです。
茅葺き屋根の古民家がゴロゴロしています。😄


【奥会津博物館】
1994年に、郷土の有形民俗文化財の収蔵、展示施設として開館しました。奥会津の伝統文化を保存・伝承するため、国の重要有形民俗文化財として指定されている奥会津の山村生産用具及び民家(馬宿)などを展示しています。
屋内では、収蔵する23000点の民俗文化財の中から3000点を選び、奥会津地方の地域的特徴をベースに系統だてて、山仕事関係用具、農業・漁撈関係用具、運搬関係用具の「山・川・道」といったテーマごとに区分し、展示しています。
また屋外には、かつて下野街道に所在し、歴史民俗資料館敷地内に移築復元された民家(馬宿)や小屋など、計6軒が展示されていて、家の中をつぶさに見ることができます。


屋内展示も見ごたえがありました。写真は、美しく並べられた鉄瓶の数々。

同じ南会津にある、開当男山酒造でお酒を買い…、

午後は会津若松へ。「渋川問屋」でお昼ごはんをいただきました。


【渋川問屋】
会津若松七日町通りにある、明治15年創業の海産物問屋で、かつては「会津若松の物流基地」でした。現在も、往時のままの落ち着いた外観が残されています。内装は、大正時代の建物をリノベーションしたもので、木のぬくもりが感じられる温かみのある雰囲気です。
渋川問屋の一番の魅力は、会津の郷土料理が味わえることです。会津の厳しい冬を乗り切るために発展した郷土料理は、豊かな旨みとボリューム感が特徴です。長い間未公開だった老舗の大店を開放して設えられた食事処は、会津の歴史を感じさせる郷土料理と建物の魅力が詰まったお店として知られています。


ランチは、2200円からです。
この日は奮発して、いちばん高い、
会津会席膳
(食前酒・棒タラ煮・ニシンの山椒漬・こづゆ・ニシンの天ぷら・ニシンの昆布巻・焼魚・会津牛ステーキ・小鉢・そば粒がゆ・季節の混ぜごはん・水菓子)
を予約しました。
ひとり4400円で、計8800円でしたが、
事前にじゃらんから予約し、
じゃらんのクーポン利用で1600円引き。
さらに、全額dポイントで支払ったので、
タダです!(いばりっ)


ちなみにこの日は、予約で満席状態でした。
予約して行ってよかったです。^^


美しい器に盛られた、ニシン料理の数々。かつて北前船で北海道から運ばれた身欠きニシンが、この地の郷土料理となりました。

夕方になって、ようやく「星野リゾート 磐梯温泉ホテル」に到着。

毎日、4時から6時まで、地酒8種が飲み放題でした。うそっ😂 夫、うれしそうです。

朝食・夕食はビュッフェです。ステーキ、手打ちそば、喜多方ラーメン、わっぱめしなどと共に、会津郷土料理もたくさん。^^

食事のあとは、「あいばせ!踊らんしょ」というイベントへ。民謡「会津磐梯山」の生唄生演奏に合わせて、みんなで輪になって、ぐるぐると踊り歩きました。

さすが、星野リゾート。お楽しみがいっぱいでした。笑


4月6日(木)- 2日め


毎朝7時半から、
ホテル内で朝市が開催されます。


午前中は、「薬研こしぇる茶」というアクティビティも。6種類の茶葉を自分でブレンドし、薬研で砕いて、オリジナルの薬草茶ティーバッグを作ります(無料)。会津の御薬園にちなんでいるそうです。

薬研で砕いてブレンド茶を作ります。^^


ホテルの中にもお楽しみはあるのですが、
今日ももちろんおでかけする、多動夫です。笑


二本松城跡へ行きました。櫓台まで登ったら、地上には桜の海が広がっていました。

安達太良山も、きれいに見えました。

二本松城の桜を見ながらお団子を食べたあとは、お向かいにある「二本松歴史館」で、二本松のことを学びました。写真手前のスペースには、かつて、藩校「敬学館」がありましたが、戊辰戦争(1868年)で焼失したそうです。

大きな山車(太鼓台)がありました。二本松の提灯祭りでは、7台の太鼓台が繰り出すそうです。


さて。
今年は春が早かったようで、
予定していた「西田町 梅の里」は、
もう花が終わっていました。
かわりに、ということで、
「飯坂温泉花ももの里」へ行ってみました。


すごいことになっていました。40種300本の桃の花が咲き誇っていました。


【飯坂温泉花ももの里】
平成19年にオープンしました。宇都宮大学農学部前教授吉田雅夫氏の指導により、同大学との共同研究として、平成15年秋に市有地を借り受けたのが始まりです。当初は、吉田氏が世界中から集めた40品種約200本を、40アールの敷地に植栽しましたが、令和4年3月現在、敷地80アール、花桃の本数は、約300本まで規模が大きくなっています。


夕方からは、ホテルで毎晩日本酒三昧でした。笑


4月7日(金)- 3日め


西若松駅から、会津鉄道に乗車しました。


ホームで電車を待っていたら、「にゃん旅鉄道」のラッピング車両がやってきました。笑

車内はネコだらけ。ヘッドカバーもネコだらけ。

そして車窓からの景色は桜だらけ。

湯野上温泉駅の駅舎はかやぶき屋根です。

塔のへつり駅で下車しました。林の中を少し歩いて、塔のへつりへ。

再び西若松駅に戻り、今度は車で雪村庵へ。満開の桜と竹林のコントラストが素晴らしいスポットでした。


【雪村庵】
室町時代の画僧「雪村」が、晩年、活動の処とした庵です。山村の地にあり、聞こえるのは風の音だけという静寂に、自然石の雪村墓、樹齢数百年のしだれ桜、老梅も息をひそめているかのように見えます。竹林と桜が織りなす、美しい水墨画のような世界を楽しめます。


雪村庵に来てみたら、そのすぐ近くに高柴デコ屋敷があることがわかりました。行ってみたいと思っていたところだったので、早速訪ねました。


【高柴デコ屋敷】
全国的に有名な玩具の故郷です。かつては、三春藩によって保護されてきた工人たちの集落でした。約300年前、京都の方から来た人が張子人形作りを始めたのがきっかけだったと言われています。以来、300年の伝統を受け継ぎ、現在も4軒の工房が、昔と変わらない張子人形や張子面、三春駒などを作り続け、今日に伝えています。各家が所有する人形木型は、県重要文化財に指定されています。高柴デコ屋敷周辺には、張子人形の塗料に使われる「にかわ」の香りが漂い、工人の里ならではの情緒を醸し出しています。


集落の中にある、三春駒神社を歩きました。境内が桜色に染まっていました。


美しい花に覆われ、
まるで桃源郷のようだった、
高柴デコ屋敷。
それはまさに、「花の降る郷」でした。
桜の花びらが舞う中をただ歩くだけで、
心が満たされるようでした。
夫はとても喜び、今でも、
「この旅で最高の場所だった。」
と言っています。


4月8日(土)- 4日め


最終日です。
ホテルをチェックアウトし、
猪苗代湖の畔にある、天鏡閣へ。



【天鏡閣】
福島県猪苗代町にある、旧有栖川宮家・高松宮家翁島別邸です。1907年(明治40年)8月に、有栖川宮威仁親王が東北地方を旅行中に猪苗代湖畔を巡遊し、その風景の美しさを賞し、別邸を建築することを決定しました。「天鏡閣」という名は、大正天皇が命名しました。ルネッサンス様式の意匠をこらした館内には、見どころが多くあります。大理石26個のマントルピース(洋室の壁につくりつけた、装飾的な暖炉)や、各室のシャンデリア、天井に施された円形の飾り絵(メダリオン)などは、部屋によってデザインが変わっています。いなわしろ新八景、第三番(天鏡閣)に選ばれており、本館、別館、表門は、1979年(昭和54年)、国の重要文化財に指定されました。


そして再び会津若松へ。旧滝沢本陣に行きました。白虎隊は、ここから出陣していったのだそうです。


【旧滝沢本陣】
会津若松市にある、会津藩の本陣跡で、国の史跡に指定されています。現存する建物は、1678年(延宝6年)に建てられ、その頃から、会津藩主が白河街道を通る際の休息所として使用されました。その後、歴代会津藩主の参勤交代をはじめ、領内巡視、藩祖保科正之をまつる土津神社の参詣の際に休息所として利用されました。戊辰戦争時には、藩主松平容保の出陣によって陣屋となったため、当時の戦闘による弾痕や刀傷などが座敷に残っています。現存する建物のうち、主屋および座敷は、旧滝沢本陣横山家住宅(主屋・座敷)として、国の重要文化財に指定されており、敷地と建物は国の史跡に指定されています。


最後は白虎隊記念館へ。(写真撮影禁止のため、内部の写真はありません。)


スミマセン。
また、写真を掲載しすぎました。
これでもかなり絞ったんですけどね…。😅
4日間で、ふたりが撮った写真、
1800枚もあるんです…。(←アホ)


3回めの福島でしたが、
あちこちで桜が咲き誇り、花びらが舞い、
いちばんいい時期に行けたのではないかな、
と思っています。


旅行中はほとんどお金を使わなかったので、
4日間の費用は、その大部分がホテル代で、
総額7万円ちょっとでした。(ふたり分です。)


4日間で、
オリジナルのツアーに含まれていた、
・二本松城跡
・雪村桜
に行き、会津鉄道にも乗りました。


そして、ツアーに含まれていなかった、
以下の11スポットを、追加で訪れました。
・奥会津博物館
・開当男山酒造
・渋川問屋
・二本松歴史館
・飯坂温泉花ももの里
・塔のへつり
・高柴デコ屋敷
・三春駒神社
・天鏡閣
・旧滝沢本陣
・白虎隊記念館
星野リゾートに3泊してこの金額なら、
かなりオトクな旅行になったのでは、
と、自画自賛しています。笑


美しい山に囲まれた会津は、ほんとうに愛おしい。
お酒も食べ物もおいしくて、何度でも行きたくなります。
きっとまたいつか、行ってしまうと思います。^^

全盲難聴・のんたん 4年ぶりの「桜まつり」② カラオケBanBanで熱唱。(2023年4月1日)

2023年4月1日 「桜まつり」で。キッチンカーで、「カオマンガイ・ベトナムごはん」を買いました。(全盲難聴・のんたん 27歳)


【お知らせ】
4月5日から、ブログは少しお休みをいただきます。


4月1日


4年ぶりに開催された、
日野市・桜まつり。


特設ステージでコンガを叩く長男です。

メンバー紹介をしているところです。

はりきって演奏しています。

ステージ前の場所で、かぶりつきで見ているMIYOです。笑


演奏が終わって、長男のところに行くと、
長男、すぐにもカラオケに行くつもりで、笑
「カラオケ行こうよ。」
を連発していました。
「のんたん、ごはんを食べてから行こうか?」
と言うと、
「ごはんはカラオケで食べようよ。」
と言われてしまいました。😄😄


すごいです。会話になっています。😂😂
以前は、「はい」「いりません」しか
言えませんでした。
当時はそれだけでも、
そうやって気持ちをおしえてくれるのを、
うれしく思っていました。


今では、MIYOの言うことを理解して、
逆に、自分の考えを提案してくれます。
長男の成長ぶりに、本当に驚いています。
社会の中で、人と関わりながら生活するって、
ほんとうにすごいことだなあ、って、
しみじみ思います。


そうは言いながらも、長男の言うことはきかず、ちゃっかり、屋台でお昼ごはんを買いました。笑 昨年末の「たき火まつり」でお弁当を購入した「ぞうさん食堂」が、今回も出店したので、やっぱり食べたくて。笑
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。② カオマンガイとベトナムごはん(2022年12月3日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

今回も、「カオマンガイ+ベトナムごはん」を購入しました(850円)。

ベトナムごはんが食べたいMIYOに、しかたなく付き合っている長男です。笑 でも、食べたら気に入ったみたいで、がんがん食べてました。

MIYOが持って来たお茶も一気飲み。笑

長男が生活しているS園と、系列の就労ホームが共作した作品「迷える羊」が置いてありました。視覚障害者の園生が籐で組み上げて土台を作り、知的障害者の利用者さんたちが、紙をちぎって輪にしたものをくっつけて、羊の毛を表現しました。紙には、視覚障害者が読み終わった点字冊子を使用しているそうです。

作品の「天使の羽根」で、長男と遊ぶMIYO。笑

そしてようやく、長男がお待ちかねのカラオケ店に到着。^^

今回初めて知ったのですが、カラオケBan Banは、「フード&ドリンク持ち込みOK」になっていました。ということで、お店に入る前に、あわててコンビニとマックに行って、食料を買い込みました。笑

長男、タンバリンを叩きながら、早速歌い始めました。

「ジュースを取りに行こうよ。」と誘うと、はりきっていっしょに来てくれました。今では、自分でボタンを押してジュースを注ぐのも上手です。^^ フリードリンクコーナーにあったソフトクリームも、たくさん食べました。笑

楽しそうに歌う長男。こんなようすを見るたびに、連れてきてあげてよかったなあ、と、いつも思います。

最後は、S園まで送って行って、玄関でお別れ。お友達のS君も迎えに来てくれました。^^


「次は、ゴールデンウイークに、
 『ただいま』って帰るよ。」
「元気に帰っておいで。
 おかあさんはのんたんに、
 『おかえり~~』って言うからね!^^」


最後は、そんなやりとりをしました。


自宅からS園まで、往復5時間。
気軽に行き来できる距離ではありませんが、
長男が出演するとなると、はりきってかけつける、
おっかけの母です。^^


帰宅すると、さすがに疲れました。
でも、次に出演するときも、
やっぱり行ってしまうと思います。^^


(おわり)


2017年「たきび祭」での、長男の演奏です。1分30秒を過ぎた頃から、長男のソロが始まります。(撮影:のぞみ父)

17120901風になりたい - Nozomi, Deaf-blind


2017年「たきび祭」の日記です。
日野市たきび祭① - 脱ヅラしました+「風になりたい」(12月9日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
日野市たきび祭② - 「空も飛べるはず」+「フィナーレ」(12月9日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
日野市たきび祭③ - やっぱり最後はカラオケ(12月9日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

2018年「たきび祭」の日記です。
全盲難聴・のんたん 「たきび祭」で演奏しました。(2018年12月8日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

2019年「たきび祭」の日記です。
全盲難聴・のんたん 「たきび祭」で演奏しました。(2019年12月7日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
全盲難聴・のんたん 「俺の焼き肉 神田店」で晩ごはん(2019年12月7日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
*2020年・2021年は開催されませんでした。
2022年「たきび祭」の日記です。
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。① 3年ぶりの開催(2022年12月3日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。② カオマンガイとベトナムごはん(2022年12月3日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。③ カナンでランチ(2022年12月3日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。
全盲難聴・のんたん 「第15回たきび祭」で演奏しました。④ 和太鼓と津軽三味線 / S園のバザー / 音楽クラブ(2022年12月3日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

全盲難聴・のんたん 4年ぶりの「桜まつり」で演奏しました。①(2023年4月1日)

2023年4月1日 「桜まつり」で。(全盲難聴・のんたん 27歳)


4月1日


日野市が開催する「桜まつり」に行ってきました。
なにしろ長男が出演するので、
追っかけの母としては、
行かないわけにはいきません。笑


「第2回桜まつり」のポスターです。プログラムの1番めに、長男のグループ「ひまわり」が載っています。^^ 左側上から2番目の写真は、前回出演したときのもののようです。


第1回は、2019年に開催されたのですが、
以来コロナで、毎年中止になっていました。
今年は実に、4年ぶりの開催です。


「第1回桜まつり」の日記はこちらです。
全盲難聴・のんたん 「桜まつり」で演奏しました。(2019年3月30日) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


当日は、雲ひとつない快晴。
絶好の行楽日和ということで、
高速道路は大混雑。
いつもより一時間早く出発したのですが、
それでも渋滞で、遅れに遅れ、
会場の旭が丘中央公園に着いたときには、
すでに、「ひまわり」のリハーサル演奏が
始まっていました。
本番の直前でしたが、ぎりぎりセーフでした。😅


MIYO、あわててステージに走ります。長男、元気に演奏していました。笑

リハーサル中の写真です。

長男には、MIYOが着いたことがわかりませんが、とりあえず、写真を撮ることにしました。

親バカ写真連発でスミマセン。

写真を撮っていたら、職員の方に、「今なら(長男と)話していいですよ。」と言っていただきました。長男と同じステージに上がるのは初めてです。長男に声をかけました。^^

「のんたん、おかあさん、来たよ~。」ようやく気がついてくれました。笑

いとしの長男です。^^

さて、本番です。夫、ステージの袖に貼りついて撮ってます。笑

MIYOもがんばって撮りました。笑

全部で5曲を演奏。たくさんの拍手をいただきました。^^

会場は桜が満開。はらはらと花びらが舞う中で、「ひまわり」の演奏が終わりました。

最後にみんなで記念撮影。「ひまわり」のメンバーの皆さんと。


音楽活動に力を入れているS園なら、
長男は好きな音楽と一緒に生活していける…。
そう思ったのが、S園への入所を希望した、
最大の理由でした。


そのS園に入所したのは、2014年4月です。
S園での生活も、この春から10年めになります。
歳月の速さに驚きますが、会うたびに、
長男が着実に成長しているのを感じます。^^
S園に入れて、本当によかった…。


来年もまた、ここで演奏ができますように。


(つづく)