MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 123 - サッポロビール博物館④ サッポロアドコレクションとスターホール。そして「千歳鶴」で晩ごはん。(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 サッポロビール博物館・スターホールで。(北海道札幌市)


11月14日(日)


サッポロビール博物館に来ています。
サッポロギャラリーの展示を見終わると、
その最後に、
「サッポロアドコレクション」
のコーナーがあります。


ここでは、明治期から現在までの、
歴代の広告を展示しています。
そのポスターのあまりの多さに驚きます。


昭和のものもおもしろかったのですが、それより以前のものも楽しめます。^^


ビールが高級品だった明治時代、
ビールを宣伝していたのは
芸者さんだったのでしょうか。
ミルクホールの女給さんを思わせる
写真もあります。^^


大正時代のものはモダン過ぎて、露出度が高くてたじろぎます。😅


ポスターが楽しくて、
なかなかその場を離れられなかったのですが、
待ちきれない夫に促されて、ようやく、
1階の「スターホール」に行きました。


スターホールです。壁も天井も赤レンガで、いい雰囲気。シャンデリアもビール瓶ですよ~。^^

入口の販売機で、チケットを購入するシステムです。多動夫のうれしそうなこと。🤣


ビールは一杯300円から。
飲み比べセットもあり、
「復刻札幌製麦酒」や
「サッポロ生ビール黒ラベル」を
飲み比べることができます。
ろ過する技術が乏しかった当時の、
ビール酵母の濁りまで、忠実に再現し、
創業当時の味を体験できます。


カウンターでビールを受け取ります。

おつまみももらって、ゴキゲンの夫。😄


このあとに夕食の予定があります。
MIYOは、炭酸を飲むと胃がもたれて、
ごはんが食べられなくなる体質なので、
ここではなにも飲まないことにしました。
夫も、飲み比べセットにしようかと
しばらく迷っていましたが、
結局、一杯だけでガマンしておりました。笑


飲み比べセットを選んだ人たちは、みなさん、写真を撮っておられました。そりゃあそうですよね。^^

イスの背もたれは、五稜星がくりぬかれています。サッポロビールならではの光景です。窓の外が暮れなずんでいるのも、いい感じです。^^


さて。時刻は5時前です。
いい時間になってきました。
そろそろ、晩ごはんを予約しているお店に
向かいます。


再びJR札幌駅に戻り、地下通路(チカホ)を歩いていたら、すごいものを発見! HOKUOパン屋さんが、全品20%引きになってます。これは素通りできません。笑

お店に入ってみると、「日曜日限定で1個78円」というのがまだ残っていて、2個で156円。2割引きのパンよりもオトクでした。そのうえ、貯まっていたナナコポイントが使えたので、タダです。^^ このパンは、翌日の朝ごはんにいただきました。

再び、地下通路を急ぎます。急いでいるわりには、なにげない休憩スポットにもアイヌの彫刻があって、つい立ち止まってしまいます。^^


いろんなところで寄り道しながらも、
ひたすら歩くこと30分。
すすきのに到着しました。


「蔵元直営 千歳鶴です」。千歳鶴は、札幌で唯一の地酒です。(2021年11月9日)


このお店には、
ほんの5日前に訪れたばかりです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 69 - 札幌市中央卸売市場場外市場② / 千歳鶴で晩ごはん(2021年11月9日/7日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


このときにいただいたお料理とお酒が
あまりにおいしかったので、
「最後にまた行きたい。」
と多動夫がリクエスト。
札幌での最後の夕食を、
このお店でいただくことにしました。
(あらかじめぐるなびで予約し、
 ポイントもしっかりいただきました。^^)


お通しと、ぐるなびからのプレゼントのお酒です。

「最後の夜だから、今日は特別。日本酒もどんどん飲んでいいよ。」とMIYO。笑

特選刺身盛合わせは、1500円。札幌は、お魚がほんとうにおいしい。^^

揚げ出し豆腐(510円)と長なす焼きは、夫の大好物。(安上がりな人です。笑)

長なす焼き(500円)。

まいたけの天ぷら(600円)。北海道って、キノコもおいしいんですよね。^^


おいしいお酒をいただき、
お腹いっぱい食べて、6182円でした。


このとき以来、「千歳鶴」は、
私たちのお気に入りになっています。
蔵元だけに、お酒がおいしくて、
価格もリーズナブル。
そのうえ、お料理がとてもおいしいのです。^^
(ホテルまで歩いて帰れる距離というのも、
 気に入っています。)


この後、2022年6月と10月にも
札幌を再訪したのですが、
やはり千歳鶴に行ってしまいました。
(このときの日記は、まだ書けていません。😅)


次に札幌に行ったときも、
やはりこのお店を訪れると思います。
「次の札幌」って…?
実は、来月のことなんですけどね。😅
(↑また行くのか?爆)


札幌に滞在中、
いったい何軒の居酒屋に行ったことか。笑
そして最後の夜を過ごしたのも、
やはり居酒屋でした。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 122 - サッポロビール博物館③ 歴史とポスターに見る、サッポロビール(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 サッポロビール博物館で。充実した展示内容に驚きました。(北海道札幌市)


11月14日(日)


サッポロビール博物館に来ています。
サッポロギャラリーでの、展示の続きです。


展示パネルの9番めは、1903年。「開拓使のはじまり」でした。札幌麦酒の東京進出に危機感を覚えた日本麦酒(恵比寿ビール)が、札幌麦酒と大阪麦酒(アサヒビールの前身)との合併を模索します。そして1906年(明治39年)、3社によって大日本麦酒株式会社が設立されました。

大日本麦酒株式会社の主力ブランドです。左から、恵比寿ビール、札幌ビール、朝日ビールの3ブランドを展開し、全国シェア1位となりました。

1900年(明治33年)ごろから、国産ビールの新市場として、海外が有望視されはじめました。大日本麦酒社製のビールは、台湾、満州、香港、東南アジア方面へと販路が拡張され、これにより、各社の輸出競争が激化しました。が、1914年(大正3年)、第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパからアジア市場へのビールが途絶えたため、日本のビール輸出は拡大しました。


【ビールの配給制】
やがて、1937年(昭和12年)を境に、日本経済は戦時色を濃くしていきます。物不足が深刻化し、ビールも配給制となりました。そして、すべてのビール会社の銘柄別ラベルは廃止されます。
このときの配給制が、戦後のビール普及に大きく貢献することになりました。配給制度により、ビールの味をそれまで知らなかった庶民が、ビールを口にするようになったからです。こうした時代を経て、戦後のビール消費を急速に拡大させる素地がつくられました。


左:ビールの購入券。家庭用ビールは、1940年から配給制となりました。
右:お米の代わりに、ビールを受け取る主婦。1947年から、代替食としてビールが配給されるようになりました。

10番めは、1956年。「サッポロビールの復活」です。終戦後、大日本麦酒は日本麦酒と朝日麦酒に分社されました。後に、それぞれがサッポロビールとアサヒビールとなりました。また、札幌ビールと恵比寿ビールの商標権は、サッポロビールが継承しました。

11番めは、1977年。「生ビール時代を切り拓く」です。ろ過技術の進歩によって、醸造後の酵母を完全に除去できるようになりました。これにより、熱処理しない生ビールが普及し始めます。特にサッポロの生ビールは、味が良いと全国的な人気となりました。

歴代の「サッポロ黒ラベル」のビンです。1957年から2015年まで、半世紀にわたって販売されたものですが、左側2本が昭和、3本目以降が平成になってからのデザインです。

1985年、アメリカでの日本製ビールシェアで、サッポロビールが第1位になりました。

そして最後のコーナーは、「受け継がれるものづくり」です。現在のサッポロビールの麦芽やホップへのこだわりが紹介されていました。

ビールの原料となる、大麦とホップです。

開拓使が始めたビール事業では、北海道産原料を自給することが大きな使命のひとつでした。創業時から、お雇い外国人の力を得て、北海道でのホップや大麦の栽培に取り組みました。

「良い原料こそが良い品質のビールをつくる」との信念を受け継ぐサッポロビールは、世界で唯一、大麦とホップの両方を「育種」しているビール会社となりました。


いやあ…。
もう驚きました。😅
古いビールとかがただ並んでいる、
ショールームみたいなものかと
想像していたのです。(スミマセン)


こんなふうに詳しく、そして日本の歴史と共に、
詳しい説明が展開されるとは、
思ってもみませんでした。


説明のひとつひとつを読みながら、ただただ驚き、そして頭がさがりました。

ギャラリーの最後には、歴代のポスターが並んでいました。


上段左から、
草笛光子、司葉子、石原裕次郎、三船敏郎、
古谷一行、上川隆也、山﨑努。
下段左から、
北原美恵、江波杏子、岩下志麻、黒木瞳、
とんねるず、三浦友和、所ジョージ、
その次がわからなかったのですが、
矢沢永吉?でしょうか。
(ご存じの方、おしえてください。)
ラストは、西田敏行ですね。^^


ひとつひとつの写真に見入りました。

でもやっぱり、忘れられないのはコレですね。^^


1970年(昭和45年)のポスターだそうです。
私、小学5年生でした。🤣🤣


次回はいよいよ、お楽しみの試飲タイムです。^^


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 121 - サッポロビール博物館② 開拓使麦酒醸造所とサッポロファクトリー(2021年11月14日/12日め)

2021年11月5日 サッポロファクトリーで。かつてはこの場所に、開拓使麦酒醸造所がありました。(北海道札幌市)


11月14日(日)


札幌で終日過ごせる最後の日。
サッポロビール博物館に来ています。


サッポロギャラリーでの、展示パネルです。1番めは、1869年。「開拓使のはじまり」でした。
*細かい説明は割愛しますが、興味のある方は写真を拡大してお読みいただければと思います。

サッポロビールのブランドロゴといえば五稜星。赤い星は、建物や煙突などいたるところで見ることができます。これは、北海道開拓使のシンボルマークでもありました。サッポロビールの前身が開拓使麦酒醸造所だったことに由来しています。

煙突の上部にもありますね。^^

展示パネルの2番めは、1875年の「ビール醸造人、誕生!」。本場ドイツで修行した日本人醸造技師を雇い入れ、開拓使のビール事業が動き出しました。

3番めは、「北海道でつくるべき!」。開拓使は、東京に醸造所を建設することを決定しました。が、中川清兵衛と村橋久成の強い意思がそれを覆しました。

4番めは、1876年の「ビール醸造所の完成」。木造2階建ての「開拓使麦酒醸造所」が完成し、北海道でのビール造りが始まりました。

開業式(1876年)の写真です。右側に積み上げられた樽をご覧ください。

このときの樽が、現在のサッポロビール博物館前に復元されています。^^

「麦とホップを製す連者(れば)ビイルとゆふ酒に奈る」(画像をお借りしました)

5番めは1877年。「札幌ビールの初出荷」です。東京で販売するビールは、氷付きで低温輸送されました。

できあがったビールは、既存の水運を利用して、札幌から小樽まで運ばれました。そして小樽から東京までは、官船で運ばれました。


【ビールの温度管理】
当時のビールはろ過技術が未熟だったため、役目を終えた酵母を完全に取り除くことができませんでした。そのため、夏季には酵母が増殖し、瓶内で発酵が進んでしまうこともありました。そのような事態を防ぐには、低温状態を維持する必要がありました。そのため、当時のビールは氷といっしょに運ばれました。さらに東京では、氷室で貯蔵・販売が行われました。


【瓶の調達】
ビール瓶の調達にも苦労しました。1876年の開業当時の日本では、近代ガラス工業が始まったばかりで、まだビール瓶を製造できるレベルではありませんでした。そのため開拓使は、輸入ビールやワインの空きビンを購入して転用しました。ビール製造が本格的に始まると、ビン不足はさらに深刻化しました。しかし、麦酒醸造所が自前のビール瓶製造所を持つまでには、さらに20年もの歳月を要しました。


1900年に竣工した、札幌麦酒製瓶所。


初めての醸造ビールは、
東京の宮内省や政府高官に
献上・寄贈されました。
が、輸送中にビールが噴き出し、
到着時には一滴も残っていませんでした。


「フキダシ、イッテキモ、ノコリナシ。」という電報が今も残っています。これを機に、ビール瓶のコルクを針金で止めて出荷するようになりました。

こんな感じですね。シャンパンのボトルのようです。^^

6番めは1880年。「札幌ビールの評判高まる」です。札幌麦酒は、その爽やかな味わいで、外国人をはじめビールの味を知る人々の間で評判となりました。

販売開始時、大びんのビール1本の価格は16銭でした。上等の日本酒一升(1.8リットル)が4銭5厘程度の時代です。ビールがたいへん高価な飲み物だったことがわかります。

7番めは1886年。「官営から民間企業へ」です。開拓使によって始まった麦酒醸造所は、明治を代表する実業家たちの経営により、さらなる発展を遂げました。

ビール事業の将来性に着目した実業家たち(浅野総一郎、渋沢栄一、大倉喜八郎)が、麦酒醸造所を譲り受け、「札幌麦酒会社」を設立しました。

8番めは1892年。「ビール醸造の近代化」です。民営化した札幌麦酒会社は、札幌第1工場を大幅に改修し、醸造技術の革新と製造能力の増強を図ります。発酵樽や貯蔵樽を増設して、現在のサッポロビール生産体制の基礎が作られました。

このコーナーでは、大幅に改修された後の札幌第1工場の模型が展示されていました。この場所は再開発され、1993年に、「サッポロファクトリー」という商業施設に生まれ変わりました。が、工場の一部は今でも保存・利用されています。模型の中央にある、長い煙突にご注目ください。

この煙突とその周囲の建物は、「サッポロファクトリー」の中に、今も残されています。
この場所を訪れたときの日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 26 - 旧三菱鉱業寮からサッポロファクトリーへ(2021年11月5日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

そして、現在の「サッポロファクトリー」です。4階分の内部空間を大きく使って、アトリウムが作られています。赤いじゅうたんの先には、レストランエリアが広がります。
ここを訪れたときの日記です。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 27 - サッポロファクトリー(アウトドアカフェ ミールラウンジと札幌開拓使麦酒醸造所)/ 長女は福岡ひとり旅(2021年11月5日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


東京を出発し札幌に着いたのは、
11月3日のことでした。
そして、旅の3日めに訪れたのが、
サッポロファクトリーでした。


北海道におけるビール発祥の地である、
開拓使麦酒醸造所と、
きらびやかな光に満ちていた、
サッポロファクトリー
114年の年月を隔てて、
このふたつが、実は同じ場所にあったのだと、
このときに初めて実感しました。


今、あらためて、
このサッポロファクトリーでの写真を、
創業当時の模型に重ね合わせてみると、
感慨深いものがあります。
札幌という街の歴史の深さを
おしえられたような気がしました。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 120 - サッポロビール博物館① 巨大なウォルトパン(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 サッポロビール博物館で。(北海道札幌市)


11月14日(日)


札幌の地下空間(チカホ)にある、
小さなアイヌ博物館のようスペース、
ミナパは、小規模だけど楽しいところでした。


再び街を歩いて…。


古そうな家を見つけて興味津々の夫。看板の「千歳鶴」の文字に喜んでいました。^^


さて。
本日最後の観光スポットに着きました。


サッポロビール博物館です。^^


中央に積み重ねられた樽には、
開業式のときの樽文字が再現されています。
「麦とホップを製す連者(れば)
 ビイルとゆふ酒になる」

(=麦とホップを製すれば
  ビイルといふ酒になる)
と書いてあります。


サッポロビール札幌工場で使用されていたウォルトパン(煮沸釜)です。ビールの仕込時に麦汁を煮沸するためのもので、この工程が味や香りに大きな影響を及ぼすそうです。このときにホップを加えて煮沸することにより、ビール独特の苦みと香りがつけられます。

さらに歩いて、正面の総合受付の方にまわりました。

何度見てもすてきです。^^

こちらは、隣りの開拓使館です。札幌に到着した日の夜に、ケッセルホールでジンギスカンを食べた日が、ずいぶん前のことのように思えました。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 11 - フェアフィールド・バイ・マリオット札幌とサッポロビール園(2021年11月3日/1日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


札幌の最後の夜だし、
もう一度ここに行ってみよう、
ということになりました。
ただし、今回訪れるのは、
「サッポロビール博物館」です。


【サッポロビール博物館】
JR札幌駅東側の「創成川イースト」と呼ばれる地域は、明治時代、国内を代表する工業地帯でした。今も、鮮やかな赤色の総れんがづくりの建物がいくつも並んでいます。その一つが、国内で唯一のビールに関する博物館「サッポロビール博物館」になっています。
館内には、国産ビール誕生の秘話が展示されています。のちに首相となる開拓長官の黒田清隆は、欧米列強に並ぶ国をつくるため、ビール製造に目をつけました。そこに、開拓使の行政官だった村橋久成やドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛らが集い、研究が始まりました。
北海道が「国産ビールのふるさと」になったのには理由があります。北海道には、ビール製造には欠かせない野生のホップがありました。「豊富な伏流水や氷を活用し、広大な大地でホップや麦を栽培すれば、北海道でビールがつくれるのではないか」という考えから、1876年(明治9年)、本格的な国産ビール第1号である「開拓使麦酒」の製造が札幌で始まりました。
博物館の建物は、1890年、札幌製糖の工場として建てられたものです。1903年、札幌麦酒会社(現・サッポロビール)の手に渡り、麦芽工場として使われましたた。工場は戦争を挟み、1965年までの約60年間、現役で稼働しました。高度経済成長の時代、サッポロ社内では、古い建物は使いづらいので取り壊そうという意見も出たそうです。しかし、その歴史や会社の歩みを刻む産業遺産を保存しようという機運が勝り、30年前、博物館に生まれ変わりました。
博物館は、隣りのサッポロビール園とともに観光名所となっており、年間40万人が訪れています。そのうち7割が外国人だそうです。(入場無料)


右側の入り口から入りました。

入場無料ですが、50分の有料ツアーもあります。

博物館の入口は3階にあります。ワクワクしてきました。^^

見学は、3階フロアから始まります。吹き抜け部分に設置された、巨大な煮沸釜の周囲に巡らされた螺旋階段を降りながら、2階のギャラリーへと進んでゆきます。煮沸釜は、この写真のように、じょうごをひっくり返したような形かと思っていたのですが、私たちの目にふれているのは、ほんの一部だけ。これは煮沸釜の上部なのです。

実は、その下の部分はこうなっています。でかいっ。爆


【煮沸釜(ウォルトパン)】
1965年(昭和40年)から2003年まで、札幌工場で使用されていたものです。銅製の煮沸釜は、ビールの仕込で麦汁を煮沸するためのものでした。直径6.1m、高さ約10m、要領85klです。ここでホップを加えて煮沸することにより、ビール独特の苦みと香りを付けます。


周囲に取り付けられたスロープを下りながら、煮沸釜をじっくりと見ることができます。

ほんとうにでかいですっ。🤣🤣

そして2階まで下りると、「サッポロギャラリー」があります。ここから、展示コーナーが始まります。


【サッポロギャラリー】
ビール製造業発展の道筋を、ブースごとにせ詰めしています。開拓使から始まり、戦前から戦後にかけて、140年にわたる日本のビール製造業の発展を、12個のブースに分けて紹介しています。


「01 1869年~ 開拓使のはじまり」
とあります。
01で始まるってことは、
何番まで続くのだろう、と思ったのですが…。


実は、説明パネルがこ~んなに奥まで続いているんです。爆


さて。
サッポロビールの、
長い長いお話が始まりました。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 119 - 再び札幌時計台、JRタワー、ミナパとアイヌ刺繍(2021年11月14日/12日め)

2021年11月14日 札幌時計台で。(北海道札幌市)


11月14日(日)


「ANAホリデイ・イン札幌すすきの」で
ランチビュッフェをいただきました。


ホテルを出たら、きれいな虹がかかっていました。


このあとは、札幌市内を、
ゆっくりと歩いてみることにしました。
(本当は、こういうのが好きなのです。^^)


札幌時計台までやってきました。

札幌時計台に行ったときの日記はこちらです。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 13 - 蟹工船の蟹天丼と、サッポロ街歩き(さっぽろテレビ塔、旧庁立図書館、時計台)(2021年11月4日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 14 - 札幌時計台 / 引っ越し祝いのアラジン(2021年11月4日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


札幌時計台のことを、

日本3大がっかりスポット

などと言う人がいますが、残念です。


たしかに、建物は小さいかもしれませんが、

札幌時計台は、

大きさを競う類の建造物ではないし。

それよりも、まずは、

エレガントな外観をじっくりご覧ください。


入口部分だけでも、こんなにすてきなんですよ。屋根にかかったレースのような装飾。玄関ポーチのかわいらしさ。時計部分の屋根は、和風を取り入れている感じもあるし、見れば見るほどおもしろいんです。^^


そして外観を見たあとは、

ぜひ、中に入って、歴史を経た佇まいと共に、

展示されているものを見ていただきたいな、と。


札幌時計台は、外から見るだけでなく、

中を歩いて北海道の歴史の一端を感じてみると、

よりいっそう味わいのある建物になるし、

愛おしさを感じる存在だと思います。^^


エラそうなことを言ってるわりには、こんなミーハーな写真を撮ってるんですけどね。笑

裏手にある野草園です。次に札幌に行くときは、ここが緑でいっぱいになっているかもしれません。

札幌駅まで来ました。右に見えるJRタワー展望室から、札幌の夜景を楽しんだことを、なつかしい思い出です。^^

そのときの日記です。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 17 - JRタワーの夜景と、あこがれのセイコーマート(2021年11月4日/2日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

遠くの方に、観覧車のようなものを発見。その後、その観覧車まで行って、本当に乗ってしまいました。笑

そのときの日記です。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 77 - 観覧車「ノルベサ」(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


ここからは、札幌駅の地下通路に入ります。

このあたりには、

ミナパとかアイヌ刺繍展示コーナーとか、

おもしろい展示があります。

以前、地下通路を歩いていて、

たまたま見つけたスポットなのですが、

夫にも見せたくて、またやってきました。

そのときの日記です。

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 24 - アイヌ刺繍と日本キリスト教団 札幌教会 / 夢庵の天丼とANA函館行き航空券を半額で買う(2021年11月5日/3日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


アイヌ文化を発信する空間「ミナパ(minapa)」に到着。ミナパとは、「大勢が笑う」というアイヌ語です。


アイヌ民族のコタン(集落)。1872年(明治5年)の写真です。北海道を開拓した人たちの住まい「開拓小屋」は、アイヌのチセを模倣して作ったのではないかと思います。

「アイヌ民族と狩猟」図。クマの穴に柵を作って出られないようにし、中のクマを矢で仕留めました。アイヌ民族は、エゾシカ、ヒグマ、ウサギ、オットセイ、クジラなどの狩猟を行いましたが、狩猟の後には、仕留めた動物の霊を神の国に送る儀式を行いました。

アットゥシ(樹皮衣)。


以下は、アイヌ刺繍の作品です。


「鶴の舞(サロルンカムイリムセ)」

「狩りに行く道(キロル)」

「大地(モシリ)」

「花芽(ノンノケニ)」

「守り神とする(コシラッキコロ)」

「美しい鳥が飛ぶ(ピカチカホプ二)」


どの作品もすてきで、

夢中で写真を撮りました。

美しいアイヌ刺繍の数々が、

なにげない駅の地下通路で、

ケースに入れられて、

大切に飾られていました。

そんな札幌の街を、愛おしいと思いました。


(つづく)