MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
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ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 110 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所⑤ 竹鶴正孝像、旧竹鶴邸、第一貯蔵庫(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。旧竹鶴邸です。日本の風景には見えませんね。^^(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。


前回は、工場設立当時の事務所(旧事務所)とリタハウスを見学しました。

見学路をさらに歩くと、右手に竹鶴正孝像が見えてきます。(画像をお借りしました)

その先、左手に見えてくるのが、旧竹鶴邸です。


【旧竹鶴邸】
創業者・竹鶴政孝氏とリタ夫妻の住宅でした。旧竹鶴邸は、当初工場敷地内に建設され、のちに余市町内山田町に移築されました。さらに平成14年になり、その大部分がニッカウヰスキー余市蒸溜所の敷地内に再移築されました。現在は工場見学の一部として一般公開されています。グリーンとホワイトのツートンカラーのモダンな外観の家屋で、1935年(昭和10年)ころに建築されたものです。木造モルタル仕上げの玄関部に、木造下見板張の主屋が続きます。外観は洋風ですが、内部には和室を配し、内装には和風意匠が多く採り入れられています。竹鶴氏は、ここで、夜な夜なウイスキーを呑みながら、夜更けまで麻雀に勤しんでいたそうです。(国の登録有形文化財)


コロナ禍で、残念ながら、中に入ることはできませんでした。が、夫は、周囲をぐるぐる回って、写真を撮っていました。笑

右側に、小さな家のようなものが見えます。

実はこちらが玄関なのだそうです。^^ ここから入り、通路を通って主屋に入るようになっていました。

まるで2軒の家が並んでいるように見えます。

さて、見学コースも、終わりに近づいてきました。次は、旧竹鶴邸の隣りにある、一号貯蔵庫に行きます。

たくさんの貯蔵庫が並んでいます。永さ50メートルある貯蔵庫は、所内に26棟あるそうです。蒸溜されたウイスキーは、樽に詰められ、貯蔵庫で長い眠りにつき熟成されます。

細長い貯蔵庫が並ぶ中、第一号貯蔵庫に案内されました。

第一貯蔵庫です。

奥行きが長いですね。

そして入り口をよく見ると…、

戸口にはやはり、しめ縄が施されています。^^


【第一貯蔵庫】
蒸留所で最初に建設された、原酒貯蔵庫です。昭和14年ごろに造られました。旧竹鶴邸の南に位置します。木造石造りの平屋建で、切妻造、鉄板葺です。妻面にアーチ型の戸口を開き、上部に小窓を設けています。小屋組は、木造キングポストトラスです。(国の重要文化財)


警備の方が見守る中、みんなでぞろぞろと中に入りました。

貯蔵庫の中です。

ウイスキーの樽が、びっしりと並んでいました。

貯蔵庫の床は土間敷きで、適度な湿度が保たれるように設計されています。寒冷な気候も手伝って、本州の蒸溜所の原酒に比べてゆっくりと熟成が進むと言われています。

左端に写っているのは、どうやら夫の手のようです。笑

棟内の温度は自然まかせ。機械による調整はしていません。余市の気候風土が、美味しいウイスキーを育ててくれています。


次回は、楽しみな試飲会です。^^


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 109 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所④ 工場設立当時の事務所とリタハウス(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー株式会社)工場設立当時の事務所です。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。
ここまで、
 事務棟、乾燥塔、粉砕・糖化棟、
 発酵棟、混和棟、そして蒸溜棟
を歩いてきました。


しめ縄がかわいらしい、ポットスチルたち。^^

事務棟(中央)、乾燥塔(左)、蒸溜棟(右)。すべて、国の重要文化財です。

ガイドさんの後に続いて、さらに進みます。中央に見えている、小さな家まで歩きました。

大日本果汁株式会社(ニッカウヰスキー株式会社)工場設立当時の事務所です。(余市町指定文化財)


【ニッカウヰスキー株式会社工場創立当時の事務所】
旧社名である、大日本果汁株式会社のころの事務所です。1918年(大正7年)、スコットランドへ単身留学し、ウイスキー製法を日本として初めて学び、日本最初の国産ウイスキーを世に出した日本青年。それが、ニッカウヰスキーの創立者・竹鶴正孝氏でした。竹鶴氏は。余市がスコットランドの気候・風土や立地に酷似していることを発見し、ここをウイスキー製造の地として、原酒工場を建設しました。
この建物は、竹鶴氏の事務所として、昭和9年に建てられたものです。日本のウイスキーの生みの親となった竹鶴氏が、今日のニッカウヰスキーの隆盛という一大事業を成し遂げた原点として、また、余市町の工業発達の足跡を示す文化遺産のひとつとして、余市町より文化財指定を受け。永く後世に伝えることになりました。


ご覧ください、この景色。日本にいるとはとうてい思えない情景です。^^

このほかにも、見学ロード沿いには、いくつもの建物があります。

広い敷地内を、さらに進みました。向こうからやってきた、別の見学ツアーグループの方々とすれ違いました。

見学ツアーは70分なのですが、各ツアーグループは30分ごとに出発します。そのため、敷地内でいくつもの見学ツアーが同時進行しています。私たちも、他のグループとすれ違うことがありました。そんなとき、ガイドさん同士はこんな風にあいさつを交わしていました。^^

工事中の建物の前に来ました。

リタハウス(旧研究室)です。あいにく工事中で、こんな状態でした。


【リタハウス(旧研究室)】
ブレンディングを研究する場所(ブレンダー室)として利用されていました。かつては、この研究室の中で、さまざまな銘柄が生み出されました。ニッカウヰスキーの初代のRare Old Nikkaや丸びんニッキー、ブラックニッカシリーズやスーパーニッカなど、数々の名ブレンドのゆりかごであり、ファンにはたまらない建物と言えます。
この建物自体は、余市蒸溜所ができる前からあったと言われています。余市蒸溜所は、もともと但馬八十次という地主の土地だったのですが、リタハウスはその但馬氏の住宅でした。
リタハウスという名前は、リタ夫人にちなんでいると思われます。一時期この建物は、アフタヌーンティーを楽しめる施設として解放されていたそうで、おそらくその時にそのような名前がつけられたのでしょう。現在は、耐震性の観点から危険があるとのことで、内部に入ることができません。


こんな建物に囲まれて歩きました。まるで別世界のようでした。

中央に見える建物は、大型貯蔵庫41号庫。2021年末に完成したそうで、この写真を撮ったときは完成間際でした。貯蔵庫は26号まであったので、本当は27号になるはずですが、「余市(よいち)」にちなんで、41号になったそうです。笑


広い敷地内で迷子にならないように、
ガイドさんの後を懸命に歩きました。笑


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 108 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所③ 乾燥塔、粉砕・糖化棟、発酵棟、混和棟と蒸溜棟(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。後ろにあるのは蒸留棟です。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。


待合室の前にあったパネルです。これを見て、ウイスキーができるまでの工程をさらっとお勉強しました。
 ①大麦発芽:大麦を発芽させ、大麦麦芽(モルト)をつくります。
 ②乾燥:乾燥塔でピートを燃やし、麦芽を乾燥させます。ここで、独特のスモーキーフレーバーがつきます。
 ③糖化:粉砕した麦芽に温水を加え、麦芽に含まれる酵素を働かせて、でんぷんを甘い麦汁に変えます。
 ④発酵:麦汁に酵母を加え、糖をアルコールに変えます。
 ⑤蒸留:ポットスチルでアルコールを取り出します。2回の蒸留で、ウイスキーは無色透明になります。
 ⑥熟成:オーク材の樽に詰めて寝かせます。長期の熟成によって、琥珀色の豊かな香味が醸し出されます。

私たちが建物の写真を撮りまくっているあいだに、待合室にはたくさんの人が集まっていました。

ここでようやく、本日のマドンナ、もとい、ガイドさんの登場です。真っ赤なユニフォームで、モデルさんみたいです。😄

まずは乾燥塔(キルン塔)へ。これは第一乾燥塔です。(国の重要文化財)


【第一乾燥塔】
昭和15年ごろに造られました。正門内の広場西に建つ、木骨石造です。正面中央が乾燥塔で、内部の煉瓦甕でビートを焚き、上部の塔屋で麦芽を乾燥します。乾燥塔の南北に屋根を葺き下ろし、北側は旧製粉工場です。南側は西背後に延び、内壁に鉄板張を施した、木骨石造平屋建の倉庫になっています。工場のシンボル的な存在です。(国の重要文化財)


正面中央が乾燥塔で、内部の煉瓦甕でビートを焚き、上部の塔屋で麦芽を乾燥します。

そしてこちらが第二乾燥塔。中央部が乾燥塔です。ガイドさんがテキパキと歩くので、ツアーはサクサクと進んでいきます。写真を撮りながらついていくのはけっこうタイヘンでした。😅(国の重要文化財)


【第二乾燥塔】
第一乾燥塔と共に、正門内広場景観の核となっています。形式は第一乾燥塔と同じで、正面に3か所のアーチ型戸口を置きます。中央部が乾燥塔で、寄棟屋根の中央を立ち上げ、排気口としています。乾燥塔の南北は倉庫で、北側は西背後に延び、第一乾燥塔と対称形になっています。小屋組は木造トラスです(国の重要文化財)。


右側が粉砕・糖化棟、左側が発酵棟です。できあがった大麦麦芽を粉砕して、約60℃の温水で撹拌(かくはん)・糖化します。

その後、混和棟で、糖化から冷却したものとニッカ独自のウイスキー酵母をタンクの中で発酵させて、できた液体(もろみ)を地下のパイプで蒸溜棟へ送ります。

次は蒸溜棟です。(画像をお借りしました)

これは反対側から撮ったものです。蒸留塔では石炭を焚いてるのですが、煙突からは煙がでていません。環境問題に配慮した装置が施されているそうです。


【蒸溜棟】
昭和10年ごろに造られました。門内広場の南に位置し、石炭焚きの蒸溜器5基を設置しています。外壁は、江戸切の軟石で、アーチ型の戸口と柵付きの回転窓があります。鉄板葺屋根の棟上には、明かり塔を設けてあります。蒸溜器を大型化するために、軒高を高くし、小屋根を鉄骨造りにしてあります。工場の中核施設です(国の重要文化財)


ガイドさんの後に続いて、中に入りました。

5基のポットスチル(蒸溜罐)が並んでいます、手前にある1号から4号までが初溜釜(ウオッシュスチル)で、いちばん奥にある5号は、操業当時に竹鶴政孝氏が設計導入した物です。なんと、今でも現役で使われているそうです。ドラマ「マッサン」では、大阪のヤカン職人が製作したと言うことになっていました。


【ポットスチル】
漏斗を伏せたような形をしており、先が細長く曲がっている蒸留装置です。蒸留所にポットスチルが導入され、ウイスキー造りが開始されたのが1936年。最初の「ニッカウヰスキー」が売りに出されたのは、4年後の1940年のことでした。


竹鶴政孝氏の実家が造り酒屋であったことから、それに習い、ウイスキー作りの重要な道具であるポットスチルにしめ縄を施したのだそうです。日本ならでは、ですね。なんかカワイイ。^^

ここで、製造工程について説明を受けました。

ポットスチルの下部にある炉です。ここから、石炭を投入します。

蒸溜は、今や世界でも余市蒸溜所だけとなった「石炭直火蒸溜」で行われています。ポットスチルを石炭で直火焚きする、昔ながらの伝統製法です。これは、竹鶴氏がスコットランドのロングモーンやヘーゼルバーン蒸留所で学んだ方式を余市にも採用したもので、その伝統は現在も守り抜かれています。石炭直火は、火力を一定に保つのが難しく、熟練の技が求められます。が、この方式であるからこそ、余市独特の力強く香ばしいモルトウイスキーが生まれるのだそうです。

ガイドさんの説明を聞いていたら、ちょうど、石炭をくべる方がやってきて、私たちの目の前で石炭を炉に投入していただけました。この作業を見学中に見られることはあまりないそうで、ラッキーでした。^^

周囲はかなり熱くて、たいへんな作業だと思います。が、さすがお若いだけあって、そんなそぶりも見せず、誠実に黙々と作業しておられました。作業の前に、まずは炉に向かって一礼しておられたのが、印象に残っています。いやあ、日本らしいですねえ。^^

ここまでで、正門を入ったところにある門内広場を囲む、乾燥塔から、粉砕・糖化棟、発酵棟、混和棟、そして蒸溜棟を見てきました。

興味津々で歩いた、ニッカウヰスキー余市蒸溜所。見学コースは、まだまだ続きます。


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 107 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所② 会津藩士団のリンゴと、お客様待合室(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


ニッカウヰスキー余市蒸溜所に来ています。
気になる方もいらっしゃるかと思うので、
ここで少し情報を書いておきます。


「無料ガイドツアー」は、毎日開催されていて、
所用時間は約70分(工場見学+無料試飲)。
完全予約制で、
ニッカウヰスキー余市蒸溜所のサイトから、
ネット予約することになっています。
注意点は、
・電話などによる予約はできないこと。
・申し込み人数は、1名から9名まで。
 (10名以上での予約はできません。)
です。


案内図です。見学コースでは、図のいちばん下にある正門から点線に沿って歩きます。


【ニッカウヰスキー余市蒸溜所】
ニッカウヰスキーの創業地で、北海道余市郡余市町にあります。現在は、アサヒグループホールディングスの機能子会社であるニッカウヰスキーの工場(蒸溜所)となっています。正式名称は、ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所ウイスキーづくりの理想の地を求めていた竹鶴政孝が、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市に蒸溜所を建設したのが始まりです。
1934年(昭和9年)、寿屋(現在のサントリー)を退社した竹鶴政孝は、かねてからウイスキーづくりの適地としていた北海道での工場建設を実現しようとしていました。竹鶴政孝が目指したのはスコッチ・ウイスキー。ハイランドの蒸溜所と同じように、力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくろうとしていました。北海道には原料や燃料となる大麦、石炭、ピート(泥炭)、酵母の入手が容易であり、寒冷地の気候に加えて良質な水や樽に必要な木材も豊富にあるため、ウイスキーづくりに必要な条件が揃っていました。なかでも余市は、三方を山に囲まれ、北には日本海があり、適度な湿度を持ちながらも澄んだ空気や余市川の良質な水があるなどの諸条件を満たしていました。さらに、果汁の原料となるリンゴの産地であることが、工場建設の決め手になりました。
蒸溜所では、現在は世界で唯一とされる昔ながらの「石炭直火蒸溜」を行い、「品質第一主義」を貫いています。日本国内では初めて、ザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になりました。
「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」として、北海道遺産に選定されているほか、蒸溜所内の建造物9棟が国の登録有形文化財に登録されています。また、「余市町のウイスキー醸造関連遺産(ニッカウヰスキー(株)北海道工場)」として、経済産業省の近代化産業遺産に認定されています。北海道の観光地としても人気があり、トリップアドバイザーからエクセレンス認証を授与しました。
2021年(令和3年)、「旧事務所」(余市町指定有形文化財)、「事務所棟」、「貯蔵棟」「リキュール工場」、「第一乾燥塔」、「第二乾燥塔」、「研究所・居室(現リタハウス)」(以上国の登録有形文化財)、「第二貯蔵庫」の10棟が、国の重要文化財に指定されました。


覚えておいででしょうか。
よいち水産博物館で見た、
「会津藩士団」のお話を…。
北海道への移住を命じられた会津藩士たちが、
苦難の末に成功させたリンゴ栽培。
それが、北海道における果樹栽培の礎となります。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 105 - よいち水産博物館④ 北海道鰊大漁概況之図、奥寺家の神棚、そして会津藩士団(2021年11月13日/11日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


彼らの尽力で、
余市はリンゴの一大生産地となりました。
それが、竹鶴政孝にとって、
蒸留所を建設する際に余市を選んだ
決め手になったのだそうです。
*ウイスキーが熟成するには長い年月を必要とするため、まずはリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようという構想でした。


会津藩士団の存在がなければ、
余市にリンゴはなく、そして、
余市蒸留所もなかったのかもしれません。
歴史が、さまざまなところで、
深くつながっていることに、感動しました…。


それでは、見学を始めます。


前回は、正面入口で受付をすませ、塔のアーチを抜けたところまででした。

アーチを抜けると、目の前にはこんな景色が広がっています。これは第一乾燥棟です(国の登録有形文化財)。

同じく、第一乾燥塔。

第一乾燥塔(右)と第二乾燥塔(左)(共に、国の登録有形文化財)。

そして次は、左側に見える建物です。(奥に見えているのは、今くぐってきた正門です。)

壁面の、独特の質感をご覧ください。レンガではなく、札幌軟石(北海道札幌市南区で産出する凝灰岩の石材)で造られています。施設内のかなりの建造物が、札幌軟石でできているそうです。


札幌軟石は、開拓時代に、
主要建造物の資材として広く使われました。
現在の札幌市内では、
札幌軟石を使った建物が約300棟確認されており、
北海道らしい景観を呈しています。


札幌軟石については、代表的な建造物の写真と共に、過去のブログで書きましたので、興味のある方はご参照ください。
コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 73 - 札幌市資料館① 軟石の街に残る古城(2021年11月11日/9日め) - MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。


まずはこの建物の待合室で待機するように、と案内されました。

「お客様待合室」と書いてあります。

これまでの「灰色の世界」から一転して、鮮やかな赤いパネルが出迎えてくれました。

札幌・すすきの交差点にある、「キング・オブ・ブレンダーズ」のネオン看板は、あまりにも有名ですね。^^(画像をお借りしました)


このネオン看板は、1969年に設置されました。
「キング・オブ・ブレンダーズ
 (ヒゲのおじさん)」は、
右手にグラスを持ち、
左手に大麦の穂を持っています。


待合室の内部では、「ウイスキーができるまで」を説明したパネルが展示されていました。

ニッカの拠点は、こんなにあるんですね。^^

いただいた入場券です。MIYOの入場券はアルコール試飲付きなのですが、夫は運転するので、ソフトドリンクとなっていました。ちょっとカワイソウ。😅


ふと気づくと、多動夫がいません。
いったんは待合室に入ったものの、
「こんなところでじっとしていられるか~」
とばかりに、外に飛び出したようです。
写真をがんがん撮っていました。🤣🤣
(ここまでに掲載した写真の大半は、
 このときに夫が撮りまくったものです。)


MIYOは、
「どうせこのあと、
 見学コースの中で見るのだから、
 そんなにあせって写真撮らなくても…」
と思うのですが、夫はもう、
とにかくじっとしていられない。🤣🤣
しょうがないので、MIYOも外に出ました。笑


多動夫がひたすら撮った、写真の数々。😔

札幌軟石が、得も言われぬ雰囲気を醸し出しています。


前置きが長いですね…。
なかなか見学が始まらなくて、スミマセン。😅


(つづく)

コロナでもウポポイ3。札幌2週間ホテル暮らし 106 - ニッカウヰスキー余市蒸溜所① 余市宇宙記念館スペース童夢、道の駅スペース・アップルよいち、リタロード(2021年11月13日/11日め)

2021年11月13日 ニッカウヰスキー余市蒸溜所で。アーチをくぐった向こう側には、別世界が広がっていました。(北海道余市郡余市町)


11月13日(土)


朝、札幌を出発し、余市では、
 旧余市福原漁場
 旧下ヨイチ運上家
 よいち水産博物館

を見学してきました。


まるで時間との戦いのように、
急ぎ足で3か所を見てしまいましたが、
それもしかたないことではありました。
なにしろ、夫が予約していた
「ニッカウヰスキー余市蒸溜所 
 ガイド付き蒸溜所見学」

の時間が15時だったのです。
なので、
「そのまえに、
 ほかのスポットの見学を終えてしまおう」
と考え、ついついがんばってしまいました。笑


もちろんMIYOも、「マッサン」は全部見ました。
ドラマの終盤は入院中でしたが、
手術後に腸閉塞を起こしながらも、
毎朝のドラマだけは、必ず見ていました。(アホ)
点滴棒をひきずりながら、病院の廊下で、
立ったままで「マッサン」の最終回を見たのも、
今ではなつかしい思い出です。笑
なのでMIYOも、
余市蒸留所に行くのは楽しみでした。


夫がどうしても行きたいと思っていた、ニッカウヰスキー余市蒸溜所。ここは駐車場です。


余市蒸留所の駐車場に車を入れて、
時計を見ると、14時半でした。
見学時間までは、まだ30分あります。
集合場所になっている正門に行ってみましたが、
他には誰もいなくて、どうやら、
私たちが一番乗りのようでした。
係の方に訊いてみると、
「予約時間になるまでは、中に入れない」
のだそうです。


…となると、ここで待つしかないのですが、
ついつい、じっとしていられない、私たち。爆
ふらふらと、あたりを探索し始めました。


すぐお隣りにある、余市消防署です。レンガ造りで、サイロのような塔が北海道らしいですね。^^

YOICHIと書いてある消防車。😄(←あたりまえ)

さらにその先にある、立派な建造物。「余市宇宙記念館スペース童夢」(右)と、「道の駅スペース・アップルよいち」(左)です。

「余市宇宙記念館スペース童夢」です。


【余市宇宙記念館スペース童夢】
余市は、科学者であり日本初のNASA宇宙飛行士である、毛利衛氏の出身地です。毛利氏が初めて宇宙に飛び立ったのは、1992年のことでした。彼の偉業を記念して、「余市宇宙記念館スペース童夢」が建てられました。コンセプトは、「宇宙の神秘や宇宙開発の最新情報が学べる宇宙ステーション」です。


あまり時間がなく、中に入ったとしても、
見学時間が5分くらいしか割けません。
その5分のために入場料(500円)を払う
というのはもったいないので、
MIYOは中に入りませんでした。
夫は、入ってみようとしたのですが、
10秒くらい?中の様子をうかがってから、
結局、そのまま出てきました。😅


それよりも気になったのは、
記念館の隣りにひっそりと建つ、
道の駅スペース・アップルよいち
の方でした。


道の駅スペース・アップルよいちです。


MIYOがこれまでに訪れた道の駅で、
もっとも小さな道の駅でした。
間口はたったこれだけ。
奥行も、あまりありません。
すぐ隣りにある余市宇宙記念館は、
近代的で立派な建物なのですが、
それに比べて、
道の駅スペース・アップルよいち
のつつましいこと。
あまりの違いに、驚きました。


【道の駅スペース・アップルよいち】
北海道余市郡余市町にある国道229号の道の駅です。施設内には、余市宇宙記念館(通称・スペース童夢)があります。この道の駅の核施設である余市宇宙記念館を運営していた第3セクターは、2008年(平成20年)に会社清算をし、施設自体も、一時休館となりました。その後、町営施設として、2010年(平成22年)に再開(季節営業)されました。


余市宇宙記念館の経営が思わしくなく、
道の駅も、かろうじて運営しているようです。
りっぱな施設を作ったことが
かえって重荷になっているのかもしれません。


…そんなことを話しているあいだに、
見学時間が近づいてきたので、
ニッカウヰスキー余市蒸溜所
に戻ることにしました。


再び駐車場まで戻り、さらにこの道を進みます。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所の建物が見えてきました。いかにも古そうな雰囲気です。手前に写っている道路は、「リタロード」と呼ばれているそうです。


【リタロード】
国道229号の余市駅前から余市町役場前までの区間です。1988年(昭和63年)に、余市町がリタの出生地である、英国スコットランドのストラスケルビン市(当時・後のイースト・ダンバートンシャイア市)との姉妹都市を締結しました。それを機に、リタの功績を称えてを整備し、命名した道路です。2003年に手づくり郷土賞を受賞しました。


この道路は、竹鶴政孝氏と結婚したリタ夫人にちなんで名づけられました。スコットランド生まれのリタさんは、故郷と風景が似ている余市をこよなく愛したそうです。現在、リタロードの清掃や植樹は、「リタロードを守る会」によって行われています。


【リタロードを守る会】
ニッカウヰスキーの創設者である竹鶴政孝氏とリタ夫人の歴史とロマンを伝える散歩道として、後世に残していくため、住民主導による環境整備を進めている団体です。リタロードのコンセプトに基づき、いつまでも大切にし、将来に継承することを目的に、歩道の清掃活動や植樹帯への花植を行っています。活動には、沿道の町民、各種関係団体、地区の小中学校も参加しています。


ほどなく、集合場所に到着しました。「ニッカウヰスキー北海道工場 余市蒸溜所 」の正門になっている塔です。この正門の両側が事務所棟になっています(国の登録有形文化財)。


なんだか、
スコットランドの古城のような雰囲気です。
リタさんのために造ったのでしょうか。


スコットランド風というと、たとえばこんな感じでしょうか。なんとなく似ていますね。^^ これは、スコットランドの古城の特徴を持った教会で、1891年の建築です。内部はリフォームされ、個人の邸宅となっています。価格は約4億円。😅(米サウスカロライナ州サリバン島・画像をお借りしました)


さて、この古城のような正門で、
係の方に名前を告げると、
「時間になるまでここで待っていてください。」
と言われました。


「時間になるまで」って、ほんの数分なんですが、その時間すらじっとしていられず、事務所棟をウロウロして、写真を撮りまくる多動夫です(国の登録有形文化財)。🤣🤣

レンガ造りの、古そうな建物が続いています。

窓だってこのとおり。昔の土蔵みたいです。


見学が予約制であることを知らず、
予約しないでここまでやってきて、
引き返していく方も何人か見かけました。
2日前の11月11日に、たまたまキャンセルが出て、
滑り込みで予約がとれた私たちは、
本当にラッキーでした。


さて、ようやく15時になり、
門を開けていただきました。


塔の中のアーチをくぐって、中に入ります。

今くぐり抜けてきた塔です。これは塔の内側(敷地内に面した側)にあたります。

蒸留所の敷地内です。石造りの建物が、たくさん並んでいました。石は、札幌軟石だそうです。


いよいよ、見学が始まります。^^


(つづく)