MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 85 - トゥイタイン村② 農業博物館(農業用具と漁業用具)(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 トゥイタイン村の農業博物館で。


6月20日(月)


フエの東にある、
トゥイタイン村に来ています。


タイントアン橋。屋根飾りもすてきです。^^


次は、橋の隣りにある、
農業博物館に行きました。


こぢんまりとしたベトナム風の建物。いい感じです。^^


【農業博物館(Nhà nông cụ)
タイントアン橋の隣りにあります。2015年に、国際労働機関(ILO)とユネスコの支援を受けて造られました。館内では、伝統的な農業用具や漁業用具を展示しており、農村の生活を紹介しています。脱穀に使っていた石臼などを、実際に触ることもできます。また、伝統食であるバインテト(ちまき)作り体験や、ノン(かご)作り体験などのプログラム(有料)を通して、村の人々と触れ合うことができます。入場料は20000ドン(約100円)。


館内には、たくさんの農業用具がきちんと並べられていました。

足で踏んで水を送る設備。

こんなふうに使っていたんですね。

あっ これは…。

「唐箕(とうみ)」です。ベトナムにも、唐箕がありました。😲


【唐箕(とうみ)】
米を刈り取ったあとに使われた農具です。脱穀した籾には、稲の葉や藁くずが混ざっているため、これを取り除く必要があります。その際、風の力を利用する方法が風選(ふうせん)がよく使われました。これは、風が吹くときに、籾と藁くずが混ざったものを高いところから少しずつ落とす方法です。重い籾は下に落ちるのですが、軽い藁くずやゴミは風で飛ばされることによって、取り除かれました。風が無いときは、筵(むしろ)や団扇(うちわ)、農業用扇風機などで風を起こしました。
明治時代になると、人工的に風を起こし、籾や藁くずなど、それぞれの重さに選別する唐箕(とうみ)が中国から伝えられました。風選の原理を応用した便利な装置で、大正時代には、一般の農家に広く普及しました。


日本の各地で、民俗資料館に行くと、たいてい、唐箕が展示されています。これは、秋田藩増毛元陣屋跡の資料館に展示されていた唐箕です。もう笑っちゃうくらい、ベトナムのとそっくりです。😄

秋田県と新潟県で唐箕を見た時の日記です。
コロナでもマシュキニ。増毛から留萌へ、ニシンの千石場所を歩く 3 - 秋田藩増毛元陣屋跡③ / 唐箕でつながる旅(2022年6月19日/3日め)


唐箕は日本独自の農機具、
…と思いこんでいたのですが、
中国から伝わってきたものだったのですね。
そう言われてみると、なるほどたしかに、
「唐」の字で始まっています。^^


トゥイタイン村の農業博物館にあった、唐箕(Xe quạt lúa)の説明パネルです。


唐箕についての説明の下に、
こんな記述がありました。


この唐箕は、2003年、フエ市のグエン・ヴァン・トゥ氏より寄贈されました。母親のグエン・ワン・ティ・ハウ夫人(トゥイタイン村・72歳)は、「昔は、少数の裕福な人だけが唐箕を所有していました。貧しい農民は、お米かお金を支払って、彼らから唐箕を借りなければなりませんでした。」と回想します。
(こんな説明がわかるのも、グーグル先生のおかげです。)

なるほど。…と思いながら、脱穀機や石臼を見ていたら、そのグエン・ワン・ティ・ハウ夫人が目の前に現れたので、驚きました。🤣

現在、グエンさんは、この博物館のスタッフをされているようです。手動の脱穀機を、「ぜひ体験してみて。」と勧めてくださいました。

ハンドルを操って、脱穀機をぐるんぐるんと回します。グエンさんに教わりながら…、

「できたよ~。」とうれしそうな多動夫。😄

「こっちのもやってみて。」とグエンさん。

脱穀に使っていた石臼です。

次は、ごろごろごろ~と、石臼で粉挽き体験。

ふたりともいい笑顔です。

「これは漁に使っていた魚籠。持ってみてね。」 グエンさんに言われるままに、次々と体験。笑

…ということで、次は漁業用具の展示コーナーへ。

この小さな船は、竹を編んで作ってあります。

すごくしっかりしたつくりです。

いろんな形の魚籠がありました。


次回は、村での生活についての
展示コーナーに行きます。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 84 - トゥイタイン村① 烈士廟とタイントアン橋(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 タイントアン橋で。


6月20日(月)


充実の朝ごはんを終えて、
今日のアクティビティを開始します。
朝8時に、ホテルまで迎えの車が
来てくれることになっていました。


この日は、一日かけて、
 トゥドゥック帝廟
 カイディン帝廟
 ミンマン帝廟
に行くつもりでした。


どれも有名な観光スポットですが、
まあ…。
グエン朝皇帝のお墓めぐりですね。🤣


日帰りの団体ツアーなら
いくらでもあるのですが、
ふたり分で、20000円くらいになります。
簡単に周れるような距離ではないので、
それはそれで仕方ありません。


「いろんなサイトを調べて、
 いちばんお安いところに申し込もう」
と考えていたところ、
アゴダでこんなのを見つけてしまいました。


「フエの必見スポット7か所を、英語を話すドライバーが案内します。」というアクティビティ。なんと、8115円です。

ふたり分で16230円。
どこよりも安いわ~。
…と思って申し込んだら、
なんと、ふたり分で8115円でした。
激安です。🤣


これはつまり、タクシーを一台、
貸し切りにするようなイメージですね。
専用車で、7か所を8時間かけて周る、
…というプランです。


「朝8時にホテルに迎えに行きます。」
というメッセージを、前日にもらったので、
8時少し前にホテルのロビーで待っていたら、
時間どおりに、
ドライバーさんが来てくれました。


こんな車です。車体には、「輸送協同組合」というマークがあります。組合が運営するツアー会社なのか、ドライバーさんが組合から車をレンタルしているのか、よくわかりませんが、きれいな車でした。^^

この日一日お世話になった、ドライバーのチャンさん(Trần Anさん)。この写真はツアーの最後に撮ったものです。


「チャンさん、誰かに似ている…。」
と、ずっと気になっていたのですが、
ほどなく思い出しました。


韓国のイケメン俳優、チョン・ウソンに、目が似てました。(ファンに殺されそうだな。)

韓国のチョンさんならぬベトナムのチャンさんの運転で、朝8時にホテルを出発。


まずはチャンさんに、
「7か所の予定でしたが、
 王宮には昨日行ってしまったので、
 省いてください。
 合計6か所でお願いします。」
と話しました。


代わりにどこかを追加してもらう、
ということも考えたのですが、
やめておきました。
結果的には、
6か所に減らしておいて正解でした。
だってこのツアー、
すごくたくさんのスポットを含んでいて、
超過密スケジュールだったのです。🤣
(我が家にはぴったりのオトクツアー。笑)


ここからは、チャンさんの運転におまかせして、私たちは車に乗っているだけ。ラクチンです。^^

15分くらいで、ひとつめのスポットである、トゥイタイン(Thuy Thanh)村に到着しました。


【トゥイタイン村(Thuy Thanh)
フエ市中心部から西​​に約8kmのところにあり、「伝統的な暮らしを守る村」として知られている村です。人口は約8000人。村の8割が農地で、米の単一栽培を行っています。年間米収量は60〜80トン/ヘクタール/年に達しており、一人当たりの平均収入は 年間 5000万から 5200万ドン(約26万円)です。小さな村ですが、人々の生活は安定しており、フエ郊外の穏やかな農村の風景を見ることができます。



「ここから先は車で入れないので、
 ふたりで歩いて
 博物館と橋を見て来てね。^^」
とチャンさんに言われ、車を降りました。
このツアーには、
ガイドが含まれていないので、
各スポットに着いたら、
あとは自分たちだけで歩きます。


川沿いの道を歩いていると、とても立派な建物がありました。

フエ王宮で見た、壊れかけた太廟よりも立派な気がします。😅

"Đền thờ liệt sỹ"と書いてあるのを翻訳してみたら、「戦争で亡くなった兵士たちのための烈士廟」とありました。なるほど、立派な建物なのもうなずけます。こんな静かな村ですが、ベトナム戦争の激戦地だったようです。

廟の中に入ると、祭壇には、ホーおじさんの写真が掲げられていました。両側の碑には、戦死された方々の名前が刻まれています。すごい数でした。

さて、タイントアン橋が見えてきました。「日本橋」と言えばホイアンが有名ですが、こちらは「フエの日本橋」として有名なスポットです。


【タイントアン橋(Cầu ngói Thanh Toàn)
トゥイタイン村の中にある、瓦屋根の木製アーチ橋です。ベトナムの古橋の中で最も芸術的価値が高いものとされており、1990年、文化省によって国家文化財に認められました。ホイアンにある「日本橋」に形が似ているため、「フエの日本橋」とも言われています。長さは約19メートル 、幅約6メートル。橋には屋根があり、ガラスタイルで装飾されています。
最初の橋は、1776年に、中国系のチャン ティ ダオ夫人によって建設されたと記録されています。彼女には子どもがいなかったため、異国で死んでも自分の墓を守ってくれる人がいない。」と悩みました。そして、自分の死後、村人が自分のことを覚えていてくれることを願い、資産を投じて橋をかけたのだそうです。橋はその後、嵐、洪水、戦争によって何度も破壊されました。しかしそのたびに、村の人々が協力し、修復、装飾、保存を行ってきました。現在、村では毎年フエ祭りが行われており、チャン・ティ・ダオ夫人の霊を祀る行列ができるそうです。


タイントアン橋は、二つの川の合流地点にかかっています。

まずは右側から。

そして左側。

中に入ってみます。

美しい木造の橋。両側に台と手すりが設置されていて、腰かけて、休憩することができるようになっています。

こんなふうに。^^

川につながれた小舟には、花が飾られていました。この舟に乗って、川を遊覧することもできるようです。


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 83 - 充実のビュッフェで朝ごはん(2023年6月20日/7日め)

2023年6月20日 ひとり2906円のホテルで、充実の朝食ビュッフェをいただきました。


6月20日(月)


一夜明けて、7日めの朝です。
ようやく旅の7日めになりましたが、
日記はすでに83話という、
気が遠くなるようなコマ送り状態。😅
(スミマセン)
でも、気長に書いていこうと思います。


ホテルから見た景色です。はるか遠くまで連なる山々は、昨日の夕方もすてきでしたが、朝日の中でも、ほんとうにきれい。^^

朝食は、ホテル最上階のレストランでビュッフェをいただきました。広い会場に、お料理が並んでいます。一泊朝食付きで5812円(ふたり分)のお部屋なのに、こんなに立派なレストランでいいのでしょうか…。😅

ずらりと並ぶサラダ類と、お料理の数々。

左:フエ名物のバインボーロック(Banh Bot Loc)
右:ちまき(Bahn Chung)


【バインボーロック(Banh Bot Loc)
フエには、かつて皇族や高官が王宮で食していたとされる宮廷料理の伝統があります。そこから後に庶民層にまで広まってできた料理であると言われているのが、バインボーロックです。タピオカ粉ベースの半透明の生地の中に、エビのむき身が入っていて、それをヌクマムにつけて食べます。


【フエ料理】
フエ料理は、野菜の飾り切り(カービング)を巧みに利用して、芸術的とも言えるほどの美しさにこだわるのが特徴です。かつてそれは、ただ皇帝の目を楽しませるためにだけ、行われていたのかもしれません。その歴史の流れを汲んだ料理を、フエではよく目にすることがあります。現在、一般的にいわれる宮廷料理は、高級食材を使った料理を指す場合もありますが、広義でいうと、フエ市街地で食べられる料理はどれも「フエ料理」であり、「宮廷風」と言えるかもしれません。フエ市内には、皇族の末裔が経営しているレストランもあり、そこでは本格的な宮廷料理が食べられるそうです。


…と言うことで、
「王族の血を引く一族が経営する
 レストラン」
を調べてみました。


ティン ザー ヴィエン(Tinh Gia Vien)
7K/28 Le Thanh Ton, Thanh Noi Hue
だそうです。


ティン ザー ヴィエンです。カービングで装飾されたフエ王宮料理が出てきます。料理がおいしく、雰囲気もいいので、人気のお店だそうです。(以下3枚、画像をお借りしました)


後日、中部の旅行を終えて、
ハノイに戻ったとき、タムさんから、
「フエでは名物料理を食べましたか?」
と訊かれました。
ハノイの人にとっても、
フエ料理と言うのは特別な物のようです。


「えっとね。名前を忘れちゃったけど、
 透きとおったプルンプルンの
 お餅みたいなのの中に、
 エビが入ってたの。」
と言うと、
「あー、バインボーロック!」
と、すぐにわかってもらえました。^^


左:バインベオ(Banh Beo)
右:バインクォン(ハノイでもよく食べます。)


【バインベオ (Banh Beo)
フエのシンボル的料理で、小さな小皿に米粉の生地を固め、干しエビと刻み葱を添えたものです。ヌクマムを垂らし、スプーンで十字に切って食べるのがベトナム流です。食堂でも食べられますが、その場合、小皿を外して、中の生地だけを盛っている場合も多いです。(このホテルのバインベオもそうでした。)

このように、米粉を蒸して固める料理は他の地方料理では少なく、フエ独特のスタイルといえます。


フエ風の米蒸しパン (Banh Uot Kieu Hue)、蓮の実入りごはん(Xoi)、白飯(Com Trang)、卵炒飯(Com Chien Trung)

上:ベトナム風ミートボール(Xiu Mai)と魚の揚げ煮(Chả Cá Rim Mè)
下:揚げ春巻き(Nem Ran)とバターコーン(Rap Ngot Xao Bo)

上:チキンカレー(Ga Nau Ca Ri)と野菜のグリル(Rau Ngu Qua Nuong)
下:マカロニグラタン、ベイクトマッシュポテト、ベイクトトマト

ベトナムのハムは種類が多くておいしいです。

上:ポークパテと、ソーセージ・ベーコン(下にパンが敷いてありました。)
下:スパゲティミートソース、お粥(Chao Trang)

ポークパテにさりげなく添えられた、野菜のカービング。これがフエ流。

たかが朝食のサラダなのですが、フエではこうなります。笑

6年前にフエ宮廷料理をいただいたときの日記です。やはり美しいカービングで彩られていました。
のんたんの冬休み-49 おいしいものを食べる、ベトナム8日間おトク旅 - 王様のディナー②(2017年12月27日/4日め)


煮豆とポテト、そしてスープは2種類。右上はかぼちゃのクリームスープで、右下はなんと、味噌スープです。😄

パン、スイーツ、チーズ、麺類のコーナーです。

パン、バナナジャーキー、ケーキ、ドーナツ、クレープ、ワッフル。

ジャムとチーズ。

麺は日替わりで2種類。麺の入った器に、目の前で熱々スープをかけてもらいます。

この日はフエスタイル(バインベオ入り)のブンと…、

鶏肉のフォーでした。^^

パンのコーナーは別の場所にも。このほか、ゼリーやヨーグルト、そしてベトナムぜんざい(チェー)もたくさん並んでいました。


実は、のり巻きもありました。
でもすごい人気で、
補充してもあっという間になくなるので、
写真を撮れませんでした。
私たちも、1個ずつ取っただけ。笑


…と思ったら、この写真にのり巻きが写っていました。笑 プレートには、「SUSHI ROLLS」と書いてありました。

MIYOの朝ごはん(1回め)です。

夫の朝ごはん(1回め)。

左はMIYOのデザート。夫は、パンやフルーツもたくさん食べていました。😄


なにが言いたいかというとですね…。
一泊朝食付きで5812円(ふたり分)の
ホテルなんですよ、ってことです。
ひとりあたり2906円なのに、
こーんなすごい朝食ビュッフェが
でてきました。
さすがです。
タイムセール67%引き
の威力はすごかったです。🤣


窓際のテーブルで、こんな景色を見ながらいただきました。


いいお天気でよかった。😄
充実の朝ごはんで、
今日も元気に出発です。^^


(つづく)

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 82 - 晩ごはんは、ブンチャーと揚げ春巻きをGrabで注文 / 山口かほるさんの個展(2023年6月19日/6日め)

2023年6月19日 ブンチャーと揚げ春巻きをGrabで注文し、ホテルに届けてもらいました。


6月19日(月)


フエ王宮の中を、
閉館時間ギリギリまで歩きまわり、
顕仁門をくぐって、外に出ました。



ここからタクシーに乗って、
ホテルまで戻りました。
でも、現金がほとんどなかったので、
ドライバーさんに頼んで、
途中でATMに寄ってもらいました。笑


タンリッ ロイヤル ブティックホテル (Thanh Lich Royal Boutique Hotel)に到着。

agodaのタイムセールで、一泊朝食付きが5800円くらい(ふたり分)でした。お安かった割には、1階のロビーは広くて立派なホテルでした。

預かってもらっていた荷物を受け取り、ようやくチェックイン。

904号室です。

ドアを開けると、こんなお部屋でした。^^

フエだけに、テイストがなんだか王宮っぽい…?🤣

ベッドの反対側は、デスク、冷蔵庫、テレビ…、

さらにバスルームへと続きます。

35㎡のお部屋を予約したので、バスルームもゆったりめでした。

agodaでは、一泊の料金17617円(朝食付きの定価・ふたり分)が5812円で掲載されていました。

もちろん、モッピーを経由して予約したので、支払い額の5.75%のポイントが付与されます。^^


お部屋が広めだったのと、
67%引き
というのにつられて予約しましたが、
ゆったりしていていいお部屋でした。^^


ホテルの窓から見た、フエの街並み。遠くに見える山々がきれいでした。


時刻は6時半。
一日中歩いて疲れていたので、
もう一度食事にでかける気になれず、
晩ごはんは、
デリバリーを注文することにしました。
はい…。
Grabの出前です。😄


せっかく、Grabが使えるようになったし、
一度やってみたかったんですよ~。^^


夫がお風呂に入っている間に、
Grabのメニューをあれこれ検討しました。
注文するものを決めたら、
配達先をホテルの住所にし、
部屋番号を明記して、「注文」を押すだけ。
支払いはクレジットカードなので、
現金も不要です。
日本の出前館と変わりませんね。^^


こんな、割引クーポンのページも発見したので、試しに使ってみました。ベトナム語なので全然わからないのですが、まあ、なんとかなるだろうと。笑

そしたら、ホントに配達されちゃいました。生まれて初めての、Grab出前体験。なんか感動しました。😄

本日の晩ごはんです。ベトナムつけ麺「ブンチャー」とアイスティーのセット。そして揚げ春巻きです。ブンチャーはひとり分なのですが、おかずが大盛りで、ふたりで食べきれないくらいの量でした。

領収書はメールで届きます。無事にクーポンを使えたみたいで、30000ドンの値引きがあり、合計108000ドン(約540円)でした。

Grabから、「配達者を評価してください。」「よかったらチップもあげてください。」と言うメッセージが来たので、いちばんお安い、5000ドンのチップを選択しました。日本円で25円です。(ケチだな…😅)

こんな感じで、フエでの最初の夜は、
ホテルでおとなしく、
出前をいただきました。
大好きなブンチャーを
久しぶりに食べることができて、
うれしかったです。^^


日本では、フォーは有名だけど、
ブンチャーはなかなか食べられないし、
あっても高いです。(800円くらい)
ベトナムなら、ブンチャーは、
レストランに出前注文しても200円以下。
こうでなくてはいけません。😄


(つづく)


(お知らせ)


山口かほるさんから、個展の案内状をいただきました。国立市のギャラリーで、10月19日から24日まで開催されます(無料)。

【山口 かほる】
 1950年5月生まれ。
生後3ヶ月で脳性マヒと診断される。
10歳の時に兄嫁から絵を習い、口で描くことを始めた。
14歳で入所した施設では、4時に起き、両手が使えないから、時間をかけて朝食を自分で食べ、学校へ行った。やがて宗教に出会い、心の救いと友人を得、忍耐を学んだ。
絵画は、16年間研究所に通い、学習を重ねた。初めは口で描いたが、長年酷使した体のためにとの助言に沿い、現在は足で描いている。個展の開催多数。

4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 81 - 王宮㉒ 午門、ナム・ザオ・ダン、そして顕仁門へ。(2023年6月19日/6日め)


2023年6月19日 フエ王宮・顕仁門で。


6月19日(月)


毎日毎日、王宮の話を書き続けて
今日で22話になりました。
まさかこんなに長い連載になるとは
思っていなかったのですが、
王宮を全部歩き、
そのすべてを書こうとすると、
やはり、こんなことに
なってしまいました。😅


フエ王宮日記、最終話です。


夕陽を浴びて輝いていた午門。


「とうとう、戻ってきたね。
 結局、全部歩いちゃったね…。」


ふたりして、午門を見つめながら、
中道橋を歩きました。


在りし日の午門(1919年)。長年の改修工事が終了し、現在の午門は、このときの姿が蘇っています

夕方の午門は、夕陽を浴びて、来た時よりもずっときれいに見えました。うれしくて、何枚も写真を撮りました。

在りし日の、同じ場所の写真です。このときの坊門(牌坊)は、たくさんの鐘で装飾されています。

1935年の、同じ場所の写真です。ナム・ザオ・ダン(Đàn Nam Giao)という、皇帝の儀式を終えて、バオダイ帝の輿が戻ってきたところです。

私たちもバオダイ帝のマネをして、同じ場所で撮りました。(アホ)🤣🤣


ここで、ナム・ザオ・ダンについて、
少し書いておきたいと思います。


MIYOがナム・ザオ・ダンを知ったのは、この一枚の写真を見つけたことがきっかけでした。


この、皇帝が乗る輿が通った門は、
王宮のどこにあるのか?
…と気になったのですが、
王宮の資料をいくら調べても、
10日以上探してもわからず…。


あきらめたころに、ようやく、
「1935年に、
 Đàn Nam Giaoに向かうバオダイの行列」
と書いた文献にたどりつきました。^^
もうね、凝りすぎですね…。😅


ここで初めて、
門が王宮のものではないとわかりました。
けれど次は、「Đàn Nam Giaoとはなに?」
…という、新たな疑問が出てしまったのです。
(↑困った性格。😅)


【グエン朝のナム・ザオ・ダン(Đàn Nam Giao)
グエン王朝が、毎年春に天と地を崇拝する儀式を行った斎場です。斎場は、かつては数多く造られたのですが、現在では、王宮から5キロのところにあるナム・ザオ・ダンが、ベトナムで現存する唯一のナムザオ斎場です。
この斎場は、1806年に完成したと考えられています。以来グエン王朝では、毎年春の月(陰暦第二月)または春季月(陰暦第三月)に、王の指導のもとにザオ祭が行われるようになりました。君主制下での最後のザオ祭典は、1945年3月23日に行われました。同年8月30日、8月革命が起こり、バオダイ帝は午門で退位を宣言。これが、グエン王朝の終焉でした。
その後間もなく、1946年に起こったインドシナ戦争で、ベトナムはフランス連合と対峙しなければなりませんでした。このときから、度重なる戦争により、フエの遺跡群の深刻な劣化が始まります。ナムザオ斎場などの遺跡群も、多くが破壊されました。

1992年に、ナムザオ斎場の修復および改修工事が行われました。そして1993年12月11日、ユネスコがフエ遺跡群を世界文化遺産として認め、ナム・ザオ・ダンの遺跡群も、その中に追加されました。1997年には、国家歴史文化遺物に指定され、それを機に、さらに修復が進められました。


ナム・ザオ・ダンって、
世界遺産だったんですね。
初めて知りました。😅


2003年に修復された、トライ宮殿の門。世界遺産となったナムザオ斎場の敷地内にあります。上の、バオダイ帝の行列の写真に写っている門です。MIYOが気になってしかたがなかった門を、ここでようやく発見。😄

在りし日のトライ宮殿門。絵葉書になっていました。


…また脱線してしまいましたが。😅
話は午門に戻ります。


私たちが通ってきた午門の入場口です。門の向こうに、フラッグタワーが見えました。

馬に乗り、フラッグタワーの前を行くカイディン帝。(1925年頃)


さて。
それでは、出口に向かいます。
午門は入場専用なので、
ここからは出られません。
出場専用とされている顕仁門まで、
再び歩きます。


午門の近くに、電気自動車が停まっていました。


この自動車に乗れば、約1時間で、
王宮内を周ってくれます。
これに乗ればラクだし、
乗りたかったのですが、
そうしていたら、これほどまでに細かく、
王宮内を見ることはできませんでした。


自分の足ですべてを歩くことができて、
すごくたいへんだったけど、
今は充実感でいっぱいでした。😄


顕仁門に着きました。


【顕仁門(Hiển Nhơn-Đại Nội)
王宮の東側にある門で、北側にある和平門と共に、王宮の出口となっています。午門は入場専用です。顕仁門は、派手な彫刻と磁器モザイクなどによる細かい装飾、そしてカラフルな色合いが特徴です。
午門は皇帝専用の門として使われましたが、その一方で通用門として使われたのが、この顕仁門でした。対外的な行事を行う午門に比べ、通用門である顕仁門は、南国らしい華やかなデザインとなっています。赤青黄の三原色で塗り分けられ、上部では皇帝のシンボルである龍が踊っています。ガラス製の花の装飾で埋め尽くされた門は、広東省など中国南部の過剰な装飾を思い起こさせます。政治的な顔であった午門とは違い、いかんなく南国人気質が表現された門と言えます。


いまここ。😄

1919年に撮影された顕仁門です。元来は木造で、落ち着いた雰囲気の門でしたが、1923年に、現在の様式に建て替えられました。

すぐにわかりました。堅実な木造の門を、こんな風に作り替えた人は、カイディン帝に決まっています。🤣🤣 テイストが、建中樓や太平樓とよく似ています。カイディン帝の趣味は、一貫していてオモシロイです。

カイディン帝がバロック様式で造った建中樓。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 72 - 王宮⑬ 折り戸付き廊下、内宮、勤政殿、乾成殿、坤泰殿、そして建中樓(2023年6月19日/6日め)

カイディン帝の書斎として造られた太平樓。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 75 - 王宮⑯ 太平樓(塀風門、コリント式の柱、屋根飾り、右側面)(2023年6月19日/6日め)


堂々たる顕仁門の前で、
「すごいね…。」
とつぶやいたまま、
ふたりでしばし、立ちつくしました。


「もう、主なものは全部見た。」
と思って、ここまで気楽に歩いてきたら、
最後にがつんとやってくれました。😄


ほんとにベトナムらしくて、気持ちが華やぎます。^^

最後の最後まで楽しかった、フエ王宮。


22回もの連載におつきあいくださり、
ありがとうございました。
「いっしょに楽しんでくださる方が
 いらっしゃるといいな。」
と思うことがはげみになり、
最後まで書き続けることができました。


タイヘンだったけど、とても楽しかった王宮。上から、建中樓、坤泰殿、太平樓、乾成殿、日成樓、勤政殿、右廡・左廡、太和殿、坊門、中道橋、そして午門…。中央の紫禁城部分だけでも、かつてはこんなにたくさんの建造物がひしめいていました。


今回で王宮日記は終わりますが、
翌日から、また新たな試練が始まります。
MIYO家の旅行は、難行苦行。😂😂


ありがとうございました。


(つづく)