MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

全盲難聴・のんたん - コロナでも、S園ふれあい夏祭り(2020年7月21日)

2020年7月21日 S園のふれあい夏まつり。ようやく会えたね!^^(全盲難聴・のんたん 24歳)
最後に会ったのは、1月中旬です。
以来6か月。
ほんとうに久しぶりに、
ようやくようやく、会えました。


7月21日


コロナ禍で、行事を中止している施設も、
多いと思います。
というか、今や、なにもかもが中止です。


S園でも、入所式での
「光バンド」の演奏を取りやめるなど、
恒例イベントの中止を余儀なくされています。


それでも、園生が楽しみにしている行事は、
「なんらかの形で、できるだけ催行する」
という取り組みをしていただいています。


2020年7月号の園だよりを見ると、


仲間との交流「街へ出よう」
 →イオンモールが閉鎖のため、
  周辺を散歩し、
  園が運営するカフェ「カナン」で 
  スペシャルスイーツを楽しむ。
ハイキング
 →講堂、体育室、中庭などでお弁当を食べ、
  公園巡り、買い物、「カナン」での休憩を、
  普段よりも時間をとって行う。


「園生の日常生活に張りを与える行事です。
 制限のある中でも工夫して楽しめるよう、
 努力していきたいと思います。」


…と、書いてありました。
こんな状況でも、園生の楽しみを
たいせつに考えてくださっている姿勢に、
頭が下がります。


毎年6月に行われていた「二泊旅行」も、
中止はせず、秋に催行するそうです。^^
それまでに、コロナの感染者が、
少しでも減っていますようにと、
願うばかりです。


さて、そんな中、
恒例の「S園ふれあい夏まつり」が、
今年も開催されました。


全国で、夏まつりが中止になる中、
「できるかぎりの形で催行し、
 園生に楽しんでもらいたい。」
という姿勢を貫いた、S園。
ほんとうにすごいと思います。


例年と違うところは、
・平日に開催する。
・会場は公園ではなく、S園内のスペースとする。
・近隣の方々は参加せず、
 園生と家族のみのおまつりとする。
・焼きそばなどの屋台は出店せず、
 園生にはお弁当を用意する。
ということです。


いろいろと制限はありましたが、
それでも、園生が夏まつりを楽しめるようにと、
みなさまが精一杯がんばってくださいました。
そんな、今年の夏まつりをご紹介します。


当日は、私と夫もS園にでかけました。
最後に長男に会ったのは1月。
それからずっと、
面会や帰宅を自粛していたので、
長男に会うのは、半年ぶりです。


保護者控え室で待っていると、長男がやってきました! 長男もうれしそうだけど、それよりもっとうれしそうな表情の私。笑 やっと会えたね!^^

「ひげそり、したよ。さわってみて。」…って、いきなり、ひげそりの話ですか。笑

「ひげそり、したのね。じょうずにできたね。」と言ったら、リュックの中から電動シェーバーを取り出し、やってみせてくれました。新しいシェーバーを買ったので、それを見せたかったみたいです。笑

職員の方が、「コロナで散髪屋に行ってなくて、髪が伸びちゃってすみません。」と。いえいえ、そんなことはどうでもいいんです。元気な顔が見られれば。^^

談話室に移動して、お昼ごはんです。テーブルは間隔を空けてあり、各家族ごとに着席しました。

左:長男の「夏まつり弁当」。焼きそば、焼きおにぎり、とうもろこし、コロッケ、枝豆やから揚げなど、いつもなら屋台で食べられるものが、お弁当になっていました。
右:保護者の分も予約注文ができました。でも、焼きそばを三つ食べるのもキビシイので、私たちの分は、途中のパン屋さんで買ってきました。

3人で分け分けしながら、いただきました。串に刺したから揚げがおいしかったようで、自分で串を持って、全部食べていました。^^

食事のあとは、講堂に設置された、夏まつり会場へ。真ん中には、「テントのやぐら」が作られていました。園内には3つの施設があり、それぞれの施設ごとに、会場を2時間ずつ利用しました。長男が生活するS園は、2時から4時です。

全員がマスクを着け、「テントのやぐら」を囲んで盆踊り。

大好きな太鼓をたたいて、うれしそう。^^

講堂のステージ部分は、3つのゲームコーナーになっていました。大きなサイコロを投げて、景品をもらいます。長男は、ポータブル扇風機をゲット! 電池を使わず、ボタンを押すだけで羽が回る、優れものです。

くじを引いて、スーパーボールをもらうコーナー。くじの前には、手をジェルで消毒していました。

講堂の隣りの通路に設置された、小さなお店。ポップコーン、綿菓子、「カナン」で作った焼き菓子が並んでいました。「カナン」は、S園が運営しているカフェレストランで、地域の知的障害者のための作業所です。

飲み物のお店。ビニールシート越しに、ラムネとジュースを買いました。隣りの休憩室で、りんごジュースを飲む長男。テーブルは、すべて、壁に向かって置かれていました。

お祭りが終わり、人気がなくなった会場。最後にもう一度、太鼓をたたく長男。長男には、これがいちばんうれしかったかも。笑

楽しかったね!


コロナ禍の困難な状況でしたが、
S園のみなさまが細心の注意をはらい、
工夫をこらして、
できるかぎりのおまつりを
催行してくださっていました。
感謝でいっぱいです。


来年は、マスクのないおまつりが
開けるでしょうか。
ワクチンができるまで、無理かなあ。


とりあえず、長男が元気に、
楽しく生活しているようすに安堵し、
S園をあとにしました。

全盲難聴・のんたん - S園ふれあい夏祭り(2019年7月20日)

2019年7月20日 S園ふれあい夏まつりで。この年は、創立100周年もお祝いしました。(全盲難聴・のんたん 24歳)


過去の「夏まつり」日記は、こちらです。
2017年7月16日 ふれあい夏祭り①
https://limings.muragon.com/entry/146.html
2017年7月16日 ふれあい夏祭り②
https://limings.muragon.com/entry/147.html

2018年7月21日 ふれあい夏祭り①

2018年7月21日 ふれあい夏祭り②


7月20日


コロナ禍で、全国の夏まつりが
中止されていることと思います。
今日は、長男が生活している、
S園での夏まつりをご紹介します。
ただし、これは、2019年7月。
昨年の日記です。^^


午後5時。長男と、夏まつり会場で。夏まつりは、毎年、S園の隣りにある公園を借り切って開催されています。

屋台で焼きそばを買って食べました。おいしいね!^^

かき氷も食べま~す。^^

夏まつりは、地域のみなさんも楽しみにしていて、毎年大盛況です。子どもたちによるのど自慢が始まりました。

園生で結成された「光バンド」の演奏。毎年楽しみです。^^

光バンドの演奏に合わせて、膝をたたきながら、いっしょに歌う長男。^^

次は、お楽しみの「福引き」です。

長男と一緒に、順番待ちの列に並びました。

福引の音に、耳を澄ませる長男。なにが当たるかな?^^

「2等ですよ!」えええええ。笑

わずか3本しかない、ヘッドホンが当たりました!

ヘッドホンは長男の必需品。毎年買い替えているので、助かります。そのうえ、なんと、ソニー製。うれしいです。^^

よかったね!^^

やぐらの周囲に集まって、盆踊りが始まりました。長男も踊りましたよ。^^

左:私の手をさわる長男。笑 
右:恒例の、豊田囃子と佼成太鼓。地元の方々が出演しています。

そして、フィナーレの花火です。花火が大好きな長男は、毎年、花火が終わるまで、帰ろうとしません。^^


毎年、イベントが盛りだくさんの、
S園ふれあい夏まつり。
今年も、無事に終わりました。
長男を送り届けて、お別れです。


S園生活棟の玄関で。


お別れの時は、ちょっとさびしいけど、
大丈夫です。
夏まつりが終わったら、すぐに、夏休み。
長男が帰宅する、夏休み。^^
また、すぐに会えるね。^^


「のんたん。もうすぐ夏休みだよ。
 待ってるからね。
 いっしょにカラオケに行こうね。」


そう言って、おわかれしました。

経過観察/手術後49ヶ月 - 「梅丘寿司の美登利 銀座店」でお祝い(2020年8月3日)

2009年1月11日 ドラム教室で。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)


8月3日


再発したがんの手術をしていただいたのは、
2016年7月19日のことでした。
あれから、4年が過ぎました。
ようやく梅雨があけた、暑い日でしたが、
経過観察で、G研病院に行ってきました。


左:初めて入院したときのG研病院(2008年12月26日)
右:入院中に、病棟から見えた景色。(2008年12月19日)


病院に着くと、玄関で、
目にとびこんできた、大きなダクト。
ガンガン動作しています。


玄関に設置された、排気用ダクト。


これで、玄関を入って来た人の呼気を、
強制排気しているようです。
すごいです。


前回、5月に来たときは、
玄関を入ったところで、
数名のスタッフが待ち構えていました。
おでこのあたりに機器をあてて検温し、
熱のある人は、ここから先に
行けないようになっていました。


今回もそうなのだろうと思っていたのですが、
ちょっとようすが違っていました。
なんと、検温ペッパーくんがおでむかえです。笑


検温ペッパーくん。かわいい。^^

熱がない場合は、こちらへどうぞ、と案内してくれます。^^ 熱がある場合のバージョンも見たかったなあ。笑


あ、「検温ペッパーくん」というのは、
私が勝手につけた名前で、
正式には、「エミューくん」というそうです。



G研では、現在、AIによる医療システムを構築中で、
この「エミューくん」も、
「AIによる院内ガイド」のためのロボットだそうです。
エミューくんといっしょに、
体温測定のためのAIカメラが、動作しています。


前回は、全員を検温するために、
数名のスタッフが玄関に待機していたので、
それに比べると、たしかに、
省力化になりました。


でも、それよりも、エミューくんが、
ユーモラスで、かわいい。^^


さて、この日は、4年の節目ということで、
記念写真を撮りました。
…CTなんですけどね。^^


そのあとは、主治医による診察です。


「CTの結果ですが、
 ガンの再発・転移はみとめられません。
 腫瘍マーカーの値も、
 3つとも、問題ありません。
 4年が過ぎましたね。
 あと1年で、卒業ですよ。
 ああ、でも、手術のあとに、
 抗がん剤の治療をしていますね。
 抗がん剤終了から5年までは
 観察することになっているので、
 あと一年半ほどは、おつきあいくださいね。」


「はい、喜んで。^^」


なんとか、ここまでこぎつけました。^^
次回、半年後(来年2月)の経過観察と、
一年後(8月)のCT検査の予約を入れていただき、
診察は終了しました。


新橋駅まで戻ってきたのは、午後5時前でした。
CTのためにお昼ごはんを抜いていたので、
お腹が空いています。
どうしようかな…と、銀座を歩いていたら、
美登利寿司の前を通りがかりました。


有名なお店だけあって、
お店の前には、いつでも行列ができている、
「美登利寿司」です。


ところがその日は、
並んでいる人がひとりもいません。
なんと、あの「美登利寿司」に、
待ち時間なしで入れるみたいです。


おそらく、新型コロナのせいなのでしょうが、
「美登利寿司」に待たずに入れるなんて、
めったにないことです。
思いきって、入ってみることにしました。^^


がら~んとした、店内。全部の席に、仕切りができていました。


いつも数十人の行列ができている、
あの「美登利寿司」ですら、
こうなんですね…。
飲食店は、ほんとうにたいへんなんだな、
と、あらためて実感しました。


超特選にぎり(2000円)
中トロ・玉子・ホタテ・大海老・生ズワイ蟹・穴子・いくら・雲丹・まぐろ、ネギトロに茶碗蒸し、かにみそサラダ、お味噌汁がついています。


超特選にぎりを注文した人の特典で、
大トロ1個が300円になるとのことだったので、
それも注文しました。^^


いやもう、むちゃくちゃおいしかったです。笑
これで2000円。
行列ができるはずです。
そして今なら、待たずに入れます。^^
銀座にいらしたら、ぜひ、お立ち寄りください。


こちらは、2017年9月4日の「美登利寿司」の日記です。ランチセットが2500円でした。今回の方が、内容がずっとイイです。お客さんが少なくなったせいか、以前よりもサービスしてもらってる気がしました。
経過観察(手術後13ヶ月)レントゲン+CT+梅が丘 寿司の美登利② - MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと


帰りに立ち寄った、自宅近くの八百屋さん。
中国の方がやっている、激安野菜のお店です。


マスクを売っていました。
50枚で800円。
なかなかいいお値段になってきましたね。^^



でも、買いません…。
夫も長女も、勤務先から、
マスクを箱で支給されてるし。
私は、数年前に激安通販で買った、
「PM2.5対応高機能マスク」
を、使い切れないまま、在庫しています。


我が家では、マスクを捨てません。
使用済みのマスクをネットに入れて、
洗濯機で洗い、何回でも使います。笑
最近は、通販のおまけとかで、
マスクをいただくことも多いので、
在庫が一向に減らず、
むしろ増えています(苦笑)。


お金はないけど、
マスクだけは、山のようにある、
我が家です。(苦笑)


(おまけ)


左上:ドラム教室の前に、アリオ亀有の中の遊戯コーナーで遊ぶのが楽しみでした。(2009年1月11日)

ガンになるまでの日々 39 - エピローグ・笑顔(2016年8月)

2009年1月6日 盲学校での、書きぞめです。(全盲難聴・のんたん 13歳/中1)
右下:病室の窓から見えた、初日の出。


もうひとつのガンのお話、「今でよかった」(2017年1月25日)



2016年8月


6月に、ガンの再発がわかり、
7月に、G研病院に転院。
慌ただしく、手術となりました。
これは、そのころのお話です。


私の手術から10日ほど遅れて、
同じ病室に、埼玉県から、
Jさんが入院してきました。


Jさんは、初めてのお子さんを妊娠中に、
卵巣がんであることがわかりました。
お子さんのことを優先し、
治療を控えていたのですが、
5月に、無事、出産。
そしてその2か月後、
出産したS大附属病院の紹介で、
Jさんは、G研病院に入院します。
卵巣を切除するためでした。


Jさんの入院中は、
ご主人が仕事を休んで、
お子さんの世話をしておられるとのこと。
なので、ご主人も、
なかなか病院に来ることができません。


生後わずか2か月のお子さんと別れて、
入院してきたJさんのお気持ちは、
察するにあまりあります。


たまたま、電話室の横を通ったとき、
電話で、うれしそうに、
お子さんに話しかけている、
Jさんの声が聞こえました。
私までが、切なくなりました。


我が家の子どもたちも、
生後ずっと、危篤状態が続きました。
NICUで、保育器に入れられ、
退院までに、長男は4か月、
長女は6か月かかりました。
あの頃は、私も、よく泣きました…。^^


電話室から戻ってきた、Jさん。
ベッドのカーテンを閉め切っていましたが、
そのカーテンの内側で、
泣いている声が聞こえました。


ガンと診断され、
手術を受けるだけでも不安なのに、
出産したばかりのお子さんと
はなればなれなのです。
どんなにかつらくて、寂しかったことでしょう。
Jさんに話しかけたかったけれど、
しっかりと閉ざされたカーテンをあけて、
その向こうに行く勇気はありませんでした。


その翌日のことです。
病室を出て行ったJさんが、
なにかの用事を済ませて、戻ってきました。
チャンスです。^^
思いきって、話しかけてみました。


「手術はいつごろですか?」と…。


「明日です。
 卵巣をとることになったので、
 明日、手術するんです。」
「そうですか…。
 それは不安ですよね。
 でもね、だいじょうぶですよ。
 手術は、寝ているあいだに終わるし、
 全然痛くないし。
 なにしろ、ここは天下のG研なんだから。笑
 この病院で治療が受けられるだけで、
 もう、ひとつめの運をつかんでるんですよ。


どこかで聞いたセリフです。笑


「ああ、ちなみに、私ね。
 10日前に、手術したんです。
 だから、子宮も卵巣もないんですよ。」
「えええっ?」
「でも、ウソみたいに、元気でしょ?
 あさって、退院するんです。
 Jさんも、手術が終わったら、
 こんなふうに、すぐに元気になれますよ。」


Jさんの表情が、少し明るくなったようでした。


「卵巣の手術をするなんて、つらいよね。
 でも、Jさんはひとりじゃないからね。
 ここはガンの専門病院だから、
 ここに入院してる人、全員、ガンだし、
 みんな、子宮も卵巣も切除してるし。
 けど、みんな、明るいよね。
 私もね、この病院に来て、
 みなさんから、元気をもらったの。
 だから私も、Jさんのことを、
 応援してるからね。
 明日の手術も、きっとだいじょうぶ。
 うまくいくからね。^^」


翌日、手術の時間になり、
Jさんは、手術室へと向かいました。
そのときのことです。
私のベッドの前を通り過ぎるとき、
Jさんは、私の方を向いて、
笑ってくれたのです。


「いってらっしゃい。
 応援してるからね。^^」


前を向いて歩いていく、
Jさんの後ろ姿を見送りながら、
よかった、と思いました。


Jさんは、もう、泣いていませんでした。
笑顔で病室を出て、
手術室まで、歩いていったのです。
それだけでも、よかった。
泣きながら行くより、
笑顔で行くほうが、ずっといい。
ほんとうによかった…。


Jさんがいなくなった病室で、
私は、初めてG研に入院したときのことを
思い出していました。


さりげなく、同じ病室に入院してきて、
寝食を共にしたあと、
さりげなく、退院していった、
たくさんの方々…。
みなさんが、身をもっておしえてくれた、
あまりにも多くのこと…。


ガンになるまでの日々に出会った、
おひとりおひとりのことが、
次々に思い出されました。


みなさんからいただいたものを、
私も、少しだけ、お返しすることが
できたのかもしれない…。


なんとなく、そんな気がしました。


ガンになったからこそ、
こんな私でも、
できることがあるのかもしれません。


手術室に向かうJさんを見送ったあと、
再び、Jさんと会うことはありませんでした。
手術後、Jさんは回復室に入り、
その翌日、私は退院してしまったからです。


けれどその後、
Jさんから、メールをいただきました。


「お手紙を置いて行ってくださり、
 ありがとうございました❗
 手術が夜までかかったので、翌朝拝見して、
 今日のお返事になっちゃってすみませんm(__)m
 やはり、卵巣癌でした。
 術後、かなり大変でしたが、
 みなさん頑張っているので、私もがんばります!!」


文字の向こうに、
Jさんの笑顔が、見えるようでした。
それは、
手術室に向かうときに見せてくれた、
あのときの笑顔でした。


(おわり)


長い連載におつきあいくださり、ありがとうございました。
このあと少し、お休みをいただきます。^^


長男の書きぞめです。(2009年1月6日)

退院して3週間。こんなに元気になりました。写真は、長男が小1・小2のときに担任だったU先生のお宅に、家族みんなで伺い、点字を読む長男です。(2009年2月7日)

ガンになるまでの日々 38 - 再会(2020年3月)

2009年1月17日 卵巣膿瘍で手術したときの写真です。G研病院を退院する前日に、大好きだった、C看護師と。ご自分の勤務が終わってから、「いっしょに庭園を散歩しましょう。」と声をかけてくださったことは、忘れられません。


2020年3月


ガンの再発、手術、抗がん剤治療を経て、
その後は、経過観察が始まりました。
ガンが再発していないことを確認するために、
現在は、定期的に、G研病院で検査をしています。
退院直後は、2週間おき。次は1か月おき。
だんだん間隔があいて、
4年目の今、通院は6か月おきになりました。


新型コロナが懸念され始めていた、
今年の3月のことです。
私は、ひどい風邪をひきました。
それを機に、
持病の、喘息様気管支炎が始まり、
咳が止まらなくなりました。


ある日、ふとお腹を見ると、
開腹手術をした痕の部分が、
真っ赤になっています。
咳をし続けたことで、腹圧がかかり、
どうやら、お腹の内側で、
内出血を起こしているようです。
腹壁瘢痕ヘルニアの再発かもしれません。


これを診ていただけるのは、
T病院のH医師しか、いません。
早速、診察の予約を入れました。


H医師には、2年間にわたって、
本当にお世話になりました…。


 2014年9月 腹壁瘢痕ヘルニアの手術
 2015年2月 卵巣切除手術→卵巣がんと判明
 2016年6月 卵巣がんの再発


私の腹壁瘢痕ヘルニアを治してくださり、
その後、卵巣がんであることも、
そのガンが再発したことも、
見つけてくださったのは、H医師です。
その後、G研病院に転院したことにより、
長いお別れとなっていました。


4年ぶりに訪ねたT病院は、相変わらず、
ホテルのようにきれいでした。^^
待合室にある、洋風の上品なイスも、
飲み物や雑誌が置いてある、
女性専用の待合室も、そのままです。
なつかしくて、つい、院内を歩きまわっていると、
診察室から、名前を呼ばれました。
H先生、私のこと、覚えてるかな…。


「また、のこのことやってきちゃいました。」


照れ笑いしながら、診察室に入ると、
H医師が立ち上がって、手を差し出してくれました。


ふたりで、握手。^^


あの、幼子のような、柔らかい手のひら。
以前と変わらない、H医師でした。


「いや~。
 あれからどうなったかと、
 ずっと気になってたんだよ~。」


「すみません…。
 あのあとすぐに手術で、
 抗がん剤も始まって、
 バタバタしてばかりで
 ご連絡もできなくて。」


「うんうん、そうだと思ってたよ。」


「あれから、左卵巣と子宮を切除しました。
 そのあと、TC療法を6回やって、
 経過観察に入りました。
 もうすぐ、手術から4年になります。」


うなずきながら、私の話を、
電子カルテに入力する、H医師。
そして…。


「たいへんだったね。
 よくがんばった!! 
 えらかった!」
と…。


いや、あの、
みんなやってることですし(苦笑)、
ほめていただくほどのことでは…(汗)。


腹壁瘢痕ヘルニアの手術をしたため、
私のお腹には、メッシュが入っています。
そのお腹を再び開腹するのは、
ちょっとメンドウなことだったようです。


そのため、私の手術の前に
H医師は、G研病院に電話をしました。
主治医のB医師に、開腹時の注意事項を
説明してくださったのです。
そのことは、後日、B医師から聞きました。


「G研で手術したあとに、
 B先生から、
 『H先生に教えていただいたとおりに
  手術しましたからね。^^』
 と言われました。
 先生、その節は、本当にありがとうございました。」


「ああ、うんうん、
 あの後、B先生から、
 お礼の手紙をもらいましたよ。^^」


そうだったんだ…。
B医師も、H医師も、すばらしい。^^
私は本当に、医師に恵まれてるなあ、
と思いました。


ちなみに。
内出血を起こした、私のお腹ですが、
H医師、ひとめ診て、
「ああ、なるほど。
 筋肉から出血したんだね。
 すぐに手術とかしなくても大丈夫だから、
 ようすをみましょう。」
とのことでした。
その後、内出血は、すっかり治ってしまいました。


さすがに、5回もお腹を切ったので、
私の腹壁は、もろくなっているようです。
またいつか、再発するかもしれません。
でも、大丈夫。
そしたら、また、
H医師に、手術していただきますから。^^


「でもよかった。またH先生に会えて。
 まあ、もっとも、
 ガンでどうしようもなくなったら、
 私は、最後は、ここに戻るつもりでしたけど。」


「そうだったの?」


「そうですよ。
 私、4年前に、先生にそうメールしましたよね。
 末期になったときは、お願いしますって。笑」


いやはや。
そうならなくて、
元気な顔を見せることができて、
ほんとうによかった。^^


これを機に、これからは、半年に一回、
T病院で、ヘルニアの経過観察を
していただくことになりました。
また、H医師に会える日々が始まりました。^^


さて。
私の、長い長いお話は、
ようやく終わりに近づきました。


この連載で、私がいちばん書きたかったのは、
「腹壁瘢痕ヘルニア」
のことでした。


医師が診察しても「わからない」と。
あげく「ほっておいていい」と言われ、
何年も、飛び出たお腹を見ては、
情けない思いをし続けました。


今でも、人知れず悩んでいる方が
どこかにいらっしゃるのではないか…。
そんな方に、参考にしていただきたかったのです。


でも、このことを書こうとすると、
腹壁瘢痕ヘルニアの原因となった、
12年前の手術から話さなくてはなりません。
そして、ヘルニアの手術があったからこそ、
その後、卵巣がんを早期に
見つけていただくことができたのです。


12年間に起こったことは、
「なにかの力」に導かれたかのように、
すべて、ひとつにつながっていました。
そして、そこに共通していたのは、
「私はいつも、
 日本で最高レベルの病院で
 診ていただくことができ、
 すばらしい主治医に恵まれていた。」
ということです。
おかげで、何度も命を助けていただいたのだ、
と思っています。


この7月で、最後のがん手術から、
4年が過ぎました。
あと一年で、G研病院の経過観察を
卒業します。
まだまだ、気は抜けません。
それでも、もしかしたら、12年前に、
死んでいたかもしれない、命です。
それを思ったら、感謝しかありません。


私の命を助けてくださった、
医師のみなさま。
いつも寄り添ってくださった、
看護師の方々。
そして、病院で知り合った、
お仲間さんたち。
すべてのみなさんに、感謝です。


(つづく)
*次回は、最終話です。


左上:退院の日。長男がお気に入りの「でんどうベッド」で、最後に遊んで帰ります。^^(2009年1月18日)
右上:みんなで、病院の近くにあった、「中村孝明の店」に行きました。
左下:ランチセットをいただきました。
右下:おいしいね!^^

この日は、中村孝明さんが厨房から出てこられたので、びっくりしました。^^

食事のあとは、スーパーへ。翌日から、ひとりで自宅療養をするため、食料を買い込みました。