MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

もうひとつの、スピリチュアル体験 – ひまわり施療院 ③

2017年11月3日 新しいヘッドフォンを買って、ご満悦。(全盲難聴・のんたん 22歳)



通い続けた冬 - 1996年1月~3月


  初めての施療の夜、夫は興味津々で私の話を聞いた。ばかにするかと思ったが、「世の中には理解できないような力だって存在するだろうし、あんたがやりたいと思うならやってみればいい。」というのが夫のスタンスだった。
  その次に指定されたのは休日だったので、夫もいっしょにでかけた。先生の「手かざし」にも、夫はこれといってなにも感じなかったそうだ。だが、のぞみの気持ち良さそうな顔を見ていると、それだけで、来てよかった、と私も夫も思っていた。
  数回の施療の後、のぞみの、第一回目の目の手術が始まった。施療が奏効するという保証はなかったが、私は、できるだけのことをしたいと思っていた。しないではいられなかった。だから、日本でも指折りと言われている高名な眼科医に直談判した。「目の手術で入院しているあいだも、外出という形で、のぞみをその施療院に連れて行きたい」という希望を伝え、かなえてもらった。
  こんなふうにして、のぞみの一回目の手術が終わってとりあえず退院するころ、田中先生の自宅で、「難病や障害に苦しむ子どもたちを癒すための施療院」として、「ひまわり施療院」が正式にオープンした。
  オープン初日に集まった子どもたちは、多岐にわたっていた。自閉症、ダウン症、喘息、発達遅滞、アトピー…。
  ひとりの子どもとその家族にかける時間は、2時間近くになる。先生ひとりで、ホスピスの仕事がない週末だけに看ることのできる子どもの数には、限界があった。
  私が見た紹介記事は、先生が初めて応じた取材だったそうで、本来、いっさい宣伝をしない主義の先生のところに申し込みに来るのは、紹介者だけであった。が、その紹介者も、すぐに数ヶ月から半年待ちの状態となった。
  それでも、どんなに忙しくても、先生は、のぞみにだけは特別目をかけてくれた。
  施療中、「ほんとうにかわいい子」と言って、のぞみを抱きしめることもたびたびだった。先生に用事があって、施療院がお休みになってしまうときでも、
「他の人には絶対ナイショよ。」
と、私たち家族だけをこっそりと自宅に招んで、施療してくださることがあった。
  あるとき、のぞみの施療中に、あらたな施療希望者から電話がかかってきた。先生は、「希望者がいっぱいなので、半年後でないと。」と言って電話を切った。そのあと、私の方に向かって目くばせし、こう言った。
「体当たりで来る人はトクよね。」
  私は吹き出した。それは、まさしく私のことだった。
  先生が、毎日どれくらいの希望者に応対し、どれほど忙しいかも知らず、私は夢中で手紙を書いた。その手紙が、先生の心に響いた。一生懸命だった私を、先生も体中で受けとめてくれたのだった。
  その後も、目の手術のために、のぞみの入院・手術はくりかえされた。のぞみをおくるみで包み、さらにそれを自分のからだで包むように抱きしめて、入院していたTH大学病院からひまわり施療院へと通い続けているうちに、季節は春になろうとしていた。


(つづく)

もうひとつの、スピリチュアル体験 – ひまわり施療院 ②

1997年夏
(全盲難聴・のんたんと、双子の妹・あみちゃん 2歳)



9月のブログで、「刷毛醤油海苔弁」をご紹介したのですが、


それを読んでくださった まろかんさん が、同じお店にいらしてくださいました!



リブログまでしてくださり、ありがとうございました。^^
情報を利用していただけて、うれしいです。
はげみになりました。ありがとうございます。
(ちなみに、まろかんさんが10月30日に紹介しておられた「銚子丸」は、
 我が家のいきつけでもあります。笑)



ふしぎな体験 - 1995年12月


  そのころ田中先生は、昼間、某ホスピスで末期ガンの患者を癒す仕事をしていた。夜、市川にある自宅に帰り着いてからでよければ、という先生の申し出に、私はとびついた。
  12月半ばのある夜、京成線の最寄り駅の改札口で、先生と待ち合わせた時間は9時だった。「ふつうの風邪が命とり」と言われていたのぞみを、寒い時期に、よくもまあ連れ出したもの、と我ながら思い出す。けれど、そのときの私は必死だった。おくるみでのぞみをすっぽりと包み、ママコートの内側にしっかりと抱いて、おそるおそる、家の外へと連れ出したことを、今でも鮮やかに思い出す。
  夫の帰宅は毎日11時ごろだったから、あてにはならなかった。当時、家には車もなかったので、私はたったひとりで電車とバスを乗り継いで、市川へとでかけていった。


  夜9時、約束通りに待ち合わせ場所に現れたのは、どこから見てもふつうのおばさん、といった風の女性だった。
  これからどうなるのだろう…?
  私は、期待と好奇心とでいっぱいだった。私たち親子のほかに、もう一組、小学生の男の子とその母親も来ていた。男の子は、自閉症だった。
  全員そろって、駅からほど近い、田中先生の自宅へと歩いた。そこが、「ひまわり施療院」としてスタートする予定になっている場所だった。
  田中先生の子どもたちはすでに独立してしまっていて、夫婦ふたりきりで住むにはあまりにも広すぎる自宅の2階部分は、やがて、5部屋あるすべてが施療院のために使われるようになるのだが、その夜はその中の2部屋に通され、施療が始まった。
  「気功」とは言っても、田中先生の気功は、中国のそれではない。彼女の血筋に伝わる特別な力だということだった。自分の祖父が生前持っていたその力を、自分も同じように授かっている、と彼女が気づいたのは、結婚し、出産した後だったそうだが、それから長い年月をかけて、無料で数多くの人に施療することで勉強を重ね、現在へとたどりついたとのことだった。
  施療のために用意されているベッドの上で、先生はのぞみを抱くと、しばらくの間、じっとようすをうかがっているようだった。それから、頭、顔、両手、両足…などと、からだじゅうを順にマッサージしていった。のぞみは、まったくいやがるそぶりも見せず、実に気持ち良さそうにされるがままになっていた。
「からだがまがってるわね。これを治さないと、いつまでも病気ばかりが続くのよ。」
  先生の施療の主たる目的は、「自然治癒力を高める」ということだった。自然治癒力を高めれば、その結果として様々な病気も良くなっていく、という考えは、私にもわかりやすく、納得できるものだった。
  のぞみともうひとりの男の子のマッサージは、休憩を入れながら、かわるがわる続けられた。いっぺんにするよりも、こうして休みをいれながら続けるのがいいのだそうだ。
  先生独自のやりかたで、からだじゅうのマッサージが終わると、先生は右手を斜め上に伸ばし、手のひらをのぞみにかざすようにした。「手かざし」なんて、なにかの宗教みたいだ、と、私は少し不安になった。
  子どもたちの施療が終わると、今度は親の番だった。
  子どもだけが元気になっても、家族が元気にならなければ、病気のたねは残っている。だから、子どもといっしょに家族全員の施療も行う、というのが、先生のやり方だ。ただし、費用がかかるのは子ども本人だけ。他の家族は、全員、無料でやってもらえるという。
  先生に言われるままに、私はイスに腰かけた。先生は、頭部を中心に、私の肩や腕をマッサージした。つまり、のぞみがされていることを、私も少しだけ体験できたわけだ。そして、ひととおりのマッサージが終わったあと、
「目をとじて」
と、私の後方から話しかけた。
  言われるままに目を閉じた私には、後ろで先生が何をしているのかはわからなかった。だが、次の瞬間、驚くことが起こった。
  床についていた私の足の裏から、びりびりと痺れるような感じがしてきたのだ。そこから両膝へ、そして太ももへ、と、なにか暖かいものがさあ~っとあがってくるのがわかった。なんだろう、ととまどっているうちに、施療は終わった。
  その後、施療を繰り返すうちにわかったのだが、先生が私に向かって手をかざし、気を送り込んだときに、必ず、その暖かいものはあがってくるのだった。それがなんだったのかは最後までわからなかったが、先生の「気を受けた」ときには、とにかく私は、いつもその暖かいものを感じていた。それはとても不思議な体験だった。
  施療は、全部で20回が一コースとなっていた。一コースが20万円だと、雑誌の記事には紹介されていたが、先生がお金を必要とするような暮らしではないことは、容易に想像できた。
「お金はどうでもいいんだけどね。安くしちゃうと、どっと来ちゃうでしょ。そうすると、断るのがたいへんになってくるから。これくらいの費用がかかってもかまわないから、どうしても治して欲しい、と思うくらい困っている人だけを看たいのよ。だから高くしてるし、一コース20回全部を通ってこられる人しか看ない。そのかわり、家族はみんな、無料でやってあげるの。」
  施療をしながら、先生はそんなふうに説明してくれた。
  このコースには、さらに、アメリカで専門の教育を修めた人によるカウンセリングが、5回分、含まれていた。「心の中にためてきたいろいろなものも、いっしょに癒しなさい。」というのが、田中先生の考えだった。
  20万円は大金だ。だが、私は、これにかけてみようと思っていた。その日、料金を支払おうとしたのだが、先生は受け取らなかった。一月になって、施療院が正式にオープンしてからでいいから、と言われ、その夜は結局、一円も払わないで帰ってきた。
  なにもかもが、不思議な体験だった。


(つづく)

もうひとつの、スピリチュアル体験 – ひまわり施療院 ①

1996年8月9日
一歳のお誕生日に、たくさんのプレゼントに囲まれて。(全盲難聴・のんたんと、双子の妹・あみちゃん 1歳)



一昨日のブログで、
「過去にも、スピリチュアル体験があった」
ということを書いたところ、
それについてのご質問をいただきました。
なので、過去、私が通っていたところで体験したことを、
ここに掲載したいと思います。
20年くらい前に、私がHPに掲載したものです。


長いですので、連載にします。
20年前、生まれて間もない長男(全盲)を抱いて、
無我夢中で、T先生のもとに通い続けたころの記録です。


長男はその後、耳も聞こえていないことがわかりました。
医師からも、「かなり難しい状態」と言われたのですが、
「だいじょうぶ。耳は治してあげる」
と言うT先生のことばが、
私たち夫婦にとっては、一縷の希望となりました。


今、音楽が大好きで、ウクレレの演奏を楽しむ長男。
その長男と過ごした日々の原点が、ここにあります。


(あくまで、私たち一家が体験したときの事例です。
 効果を保証するものではありません。)


ふしぎな出会い - 1995年11月


  のぞみの退院を目前に控えていたころ、私は、たまたま手に取った雑誌のある記事に眼を奪われた。そのころ、本を読む心のゆとりなどはほとんどなかったことを考えると、やはり、それもまた運命だったのかもしれない。
  それは、ある気功師のことを紹介した記事だった。その女性は、これまでも末期のガン患者を何人も助けてきたのだそうだが、年明け早々から、市川市に施療院を開き、難病や障害を持った子どもたちのための治療を開始する予定だという。
  私の目は、その記事に釘付けになった。もはや、これ以上医学でできることがないのだとしたら、もう、気功でもなんでもいい。できることはなんでも、のぞみにしてやりたかった。夫も、それには異存がないというので、私はすぐさまその気功師に手紙を書き、速達で投函した。
  ただのまじない師と思ったら、そんなことに頼りはしなかっただろうと思う。だが、その記事は、私が長年購入していた有機野菜の宅配ネットワーク「らでぃっしゅぼーや」が発行していた機関誌に掲載されたものだった。市民運動として長年活動を続けてきたそのネットワークを信じる気持ちが、そのまま、その気功師に対する期待へと変わっていた。
  手紙を出して一週間たっても、当然ながら、その気功師からの反応はなかった。施療院は一月にオープンするということだったから、まだ一ヶ月ほどあった。だが、私には、その一ヶ月を待つ余裕はなかった。のぞみは、年が明けたらすぐに目の手術を始めることになっていた。これでは間に合わない。電話番号を問い合わせたり住所を調べたり、あらゆる手立てをつかってその施療院へ直接行ってみようと思い立ったが、調べても調べてもわからなかった。私は、市川市の地図を見ながらため息をついた。
  わかっていたのは、申し込みの手紙の送り先として、記事に記載されていた小金井市の住所だけだ。記事には電話番号すらなかったので、連絡の手だては手紙しかなかった。私は、あせる気持ちを懸命に文字に変え、再度、速達で送った。
「先生におすがりするしかないのです。何卒、何卒、よろしくお願い申し上げます。」と結んだその手紙は、多少、オーバー気味な内容になってしまったが、そのときの私は必死だった。当時の私たちにとって、行政などなんの助けにもならないとすでにわかっていたので、たしかに、もう私が頼れる先はここしかなかったのだろう。
  不思議なことに、二通目の手紙を出したことで、私はなんだか気がすんでしまい、その施療院のことも、なんとなく忘れていた。もう、自分ができることはすべてやったのだ、という気持ちがあったのかもしれない。
  電話が鳴ったのはそれから一週間後だった。受話器をとるなり、電話の主はこう言った。
「あ、田中ですけど。」
「は?」
「田中ですよ。お手紙くださったでしょ?」
  私は、驚きのあまり、声もでなかった。それは、記事で紹介されていた施療者、田中喜美子先生ご自身だったのだ。会ったこともないというのに、まるでお隣りに住んでいるおばさんのように、彼女はきさくだった。
「網膜剥離はやったことがないので、治せるかどうかわからないけど、どうしてもと希望するならやります。私の自宅へ来てください。」
  手術を控えていて、施療院のオープンの日まで待てないと手紙で懇願した私に、彼女は、特別に対応してくれたのだった。こうして、のぞみが退院してまもない12月中旬、のぞみへの施療が実現することとなった。


(つづく)

全盲難聴・のんたん ボランティアさんとおでかけ(10月21日)

2017年10月21日
マックで。チョコサンデーを食べています。(全盲難聴・のんたん 22歳)


長男が、10月21日におでかけしたときの日記です。
この日いらしてくださったのは、ヤマシタさんとイナガキさん。
朝10時に、ヤマシタさんがS園に迎えに行き、長男とふたりで高田馬場へ。
高田馬場で、イナガキさんと待ち合わせて、3人でランチです。
ウクレレ教室のレッスンのあと、ヤマシタさんには帰宅していただき、
長男はイナガキさんといっしょに、帰園・・・というスケジュールでした。


ヤマシタさんは、長男が小学生の頃から、10年以上にわたって、
介助にいらしてくださっています。
イナガキさんには、長男が高校生の頃からお世話になっていて、
ここ数年は、毎月のように、長男といっしょに歩いてくださっています。
大ベテランのおふたり。
長男との楽しそうなかけあいが、ただただ、頼もしく、ありがたく、
報告メールを読ませていただきました。


【ヤマシタさんからのメールです】
綺麗な黄色のダウンで登場。とてもよく似合っていますね。
駅までは英語で遊びました。のんたんは曜日、月、全部完璧に英語で言えるのですね。凄い! 「Saturday night、カラオケナイト イェー!!」と、叫びながら、駅まで行きました。このフレーズ、気に入ってくれたようです。
お昼は初め、やはり「ハンバーグ」と言ったのですが、「カレー、天丼…」と、言っていくと、天丼を繰り返すようになりました。事前にイナガキさんが色々なお店を調べておいて下さり、天ぷら屋さんにゴー。

豪華な海老天二本、四本の天丼もありましたが、のんたんは鮭と野菜天がいいと。どんぶりからはみ出して盛られているので、蓋に少しずつ移して食べました。その際、のんたんから「スプーン、下さい」の一言が。とっても美味しそうに完食しました。
のんたんは、麦茶ではなく煎茶、濃い茶より普通の薄め、と、ちゃんと伝えてくれました。
カウンターだけの回転の早いお店だったので、長居ができずマックに移動。でもお腹がもう一杯だったようで、チョコサンデーをほんのひと口ふた口で止めてしまいました。

教室では12番街のラグ、タッチ、第三の男、太陽にほえろを練習しました。太陽にほえろは初めて聞きましたが、カッコいいですね。
ウクレレ教室を出て、駅までの道すがら、太陽にほえろのメロディを私が歌ったら、のんたんに声を立てて笑われてしまいました。よっぽど音痴だったようです。トホホ…
のんたんはずっとカラオケの事を口にしていました。「かなこちゃん達と12月31日に行こうか」と。「箱からマイク二本を取って12月31日に行こうか」と。
12月31日にずっとこだわっていました。本当にその日に予定が入っているのかな…
21日も本当に楽しかったです。有難うございました!!


【イナガキさんからのメールです】
こんにちは。今日も、お世話様でした。
のんたんの様子です。
お昼は、天丼が食べたいと言いましたので、牛丼屋の隣にある、天丼のお店に行きました。のんたんは鮭と季節の野菜の天丼を注文しました。玉子の天ぷらも入っていて、なすやかぼちゃの天ぷらに海老とイカ、それに鮭で豪華な天丼でした。美味しかったようで、完食しました。今日は、ハンバーグ以外のメニューをリクエストしてくれたので、たまには良かったと思います。(ちなみに、高田馬場の近くのびっくりドンキーは閉店していました。)
食べ終わった時間が早かったので、マクドナルドに行きました。チョコサンデーを注文しましたけど、半分くらいで残してしまいました。
その後、ウクレレ教室に行きました。「第3の男」や「タッチ」「太陽に吠えろのテーマ」といった曲を練習しました。
帰りは、しきりにカラオケに行きたいと言っていました。お母様の「バザーの日にカラオケに行きました」というメールを読みましたので、カラオケ熱が更に盛り上がっていたのだな、と納得しました。
写真はお店の天丼と、チョコサンデーを食べるのんたんです。
では、また宜しくお願い致します。



ここ半年くらい、ボランティアさんといっしょにおでかけして、
「なにを食べますか?」と聞かれると、
長男が必ずハンバーグをリクエストすることが、
少し気にかかっていました。
「もしかしたら、長男は、
『高田馬場ではハンバーグを食べることになっている』
と思い込んでいるのではないか?」
と。


それを話してみたところ、ヤマシタさんとイナガキさんが、
がんばってくれたようです。^^
時間をかけて、長男と相談し、「天丼を食べたい」という、
長男の気持ちを、引き出してくれました。


「状況を理解し、自分で選ぶ」ということ。
たかが、お昼ごはんではありますが、
食べたいものを長男が自分で考えて、選んだということを、
これからも大切にしたいと思います。


ヤマシタさん、イナガキさん、どうもありがとうございました。

エステでスピリチュアル体験 – 渋谷 MIRAC

2006年10月14日
通学路の途中にある、盲人用信号機が大好きでした。「ボタンを押したら、音が鳴る。これはなんだ?」と、興味津々だったみたいです。通行の邪魔になるので、いつも、「いっかいだけだよ」と約束してから、触るようにしていました。(全盲難聴・のんたん 11歳)



私がお気に入りにしているエステは、
渋谷にある、MIRAC というサロンです。
一昨日の土曜日にも、行ってきました。
今日は、そこでの不思議体験について、お話します。


私はエステが好きです。
でも、定価では行きません。
エステのサイトとか、クーポンとか、ポイントとか、
いろんなワザを駆使して、
ほとんどの場合、定価よりもずっとお安く利用します。


お顔のお手入れだけで(ボディエステは含みません)、
この5年間で、たぶん、200軒くらいのサロンに行ったと思いますが、
結局、ここ数年は、渋谷にある、MIRACというサロンに落ち着き、
通い続けています。


ここがいちばん、と決めた理由は、
 ・渋谷の駅前にあり、便利であること。
 ・内容が充実していること。(クレンジング+マッサージ+リフトアップマシン+デコルテマッサージ+パック+セルサーマシン+肩マッサージ)
 ・施術時間が80分くらいと、長めであること。
 ・なのに、どこよりも安い価格であること。
なのですが、なによりいちばんの理由は、
オーナーのOさんとの相性がいい、
ということかもしれません。


渋谷駅を出て、徒歩数分のサロンに行く途中に、ヒカリエがあります。
予約時間よりも早めに着いたときには、
たいてい、ここで時間調整をします。


ロクシタンで、サンプルのハンドクリームを試したり、
地下の高級スーパーをのぞいたり。
そして、必ず寄るのが、H&F BELX
ルイボスティーとノンカフェインティーの専門店です。


ここには、常時、10種類以上のノンカフェインティーが置いてあり、
自由に試飲させてもらえます。
エステに行く前の、ほんの数分ですが、
ここで、ちょっとだけお茶をいただくのを、実は楽しみにしています。^^


ちょうど時期だったので、
お店はハロウィーン風にディスプレイされていました。


ヒカリエの地下3階にあります。
近くに行ったときは、ぜひ、立ち寄り、試飲を楽しんでみてください。


さて、ヒカリエを後にし、次は いつものエステへ。
もう何年も通っているところですから、
施術内容に変わりはないはずなのですが、
この日は、いつものメニューの一部を変更することになっていました。


実は、オーナーのOさんに勧められて、
スピリチュアル・ヒーリングエステ」を試してみることに。


あまり信用(期待)していなかったけど、
まあ、長いおつきあいなので、一回くらいはいいかな、
という気持ちでした。



まずは、ベッドに横になり、
いつもどおりに、クレンジング、マッサージ。
本来なら、ここから、リフトアップマシンを顔にあてるのですが、
その代わりに、「スピリチュアル・ヒーリング」を行っていただきました。


私は、目を閉じてベッドに横になっているだけなので、
Oさんがなにをやっているのかは、わかりません。
でも、ふと気づくと、なにか足の裏がピリピリしてくる感じが・・・。
そして、しびれるような感覚が、足の裏からヒザに向かって、
じわじわと広がってきたのです。


あれ?
これ、もしかして・・・。


実は、似たようなことを、20年前に経験していました。
当時、「気で病気を治す」というT先生のところに、
家族4人で通っていたのですが、
そのときも、私の頭の上で、先生が手をかざすと、
必ず、足の裏から暖かいものがさあっと上がっていくのを感じていました。


あのころ、長男の聴力は、
「かなり難しい状態」
と、病院で言われていました。


でも、
「目はムリだけど、耳は治してあげるわよ」
と、T先生に言っていただきました。
小さな赤ちゃんだった長男を抱いて、
先生のご自宅に通った日々のことを、なつかしく思い出します。
その後、通い続けているうちに、
長男は、少しずつ、音に反応するようになっていきました。


この感じ、あのT先生に施術していただいたときと似ている!


びっくりしました。
あとで、Oさんに聞いてみたところ、
Oさんが私に気を送っているときに同期して、
私の足のしびれが起こっていたことがわかりました。


「気がはいっていくときのことが、
 MIYOさんには、わかるんですね!
 全然わからない方も、いらっしゃるんですよ。」


Oさんも、喜んでくださったようです。
本当は、お顔だけのヒーリングだったのですが、
コースの最後に、追加で、ボディ全体のヒーリングも行ってくださいました。


Oさんが施術されるたびに、私の足のしびれが始まり、
それがヒザまで上がってきます。


なんだかわからないけど、これってすごいことかも・・・。


だんだん、そう思い始めました。


ヒーリングを行うことで、体が活性化するのだそうですが、
Oさんは、それをお顔に重点的に行うことによって、
「美白」や「リフトアップ」効果を目指しているそうです。


もちろん、お顔だけでなく、同様の方法で、ボディに対しても、
体質改善効果をめざした施術は可能とのことでした。


「Oさん、すごいことを始められましたね。
 スピリチュアル・ヒーリングを行う人は、
 ネットでさがせば見つかるかもしれないけど、
 それとエステを組み合わせて施術する人なんて、
 聞いたことないですよ。」


と私。


Oさんは、長年、ある先生の指導を受け、
スピリチュアル・ヒーリングを学んできたけれど、
ようやく、自分にもできるようになったので、
エステでの施術にふみきったそうです。


「今はまだ、準備段階です。
 あと数ヶ月したら、料金やシステムをきちんと決めて、
 ご案内したいと思っています。
 あ、もちろん、MIYOさんには、お試し料金で、ご紹介させていただきますね。^^」


とのことでした。


んーーーー
なんか、不思議。
でも、自分の体で実感できたので、まったくの迷信でもないような。


なにかの宗教に関わっているということもないそうだし。
とりあえず、いつも通っているエステだし。
お顔のお手入れのついでに、施術していただくことになるかも・・・
と思っているところです。


私の話を聞いた夫。
「へーーーーー。
 うちは、20年前にも経験があるし。
 そのときと同じ感じだったって聞くと、
 今回も本当かも、って思うよね。
 そう言われてみると、今日は、顔が光ってるような感じがするよ。」
ですと。(爆)


今回はお試しだったので、費用は無料でした。
(いつものエステ料金だけで、追加の支払いはありませんでした。)
でも、本当の施術料金がいくらになるのかが、
気になるところです(笑)。
とりあえずは、料金システムが決まるのを、待ってみたいと思っています。