MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

ボランティアさんと共に育つ - のんたん日記4

のんたん日記4を、ようやく整備し、ホームページに掲載しました。


長男・のんたんは、全盲難聴です。
けれど、保育園や学童に助けられて、
私たち夫婦はずっと、共働きを続けました。
小学校入学からの12年間は、放課後や長期休暇のほとんどを、
大勢のボランティアさんに助けられてきました。
12年間で、のべ何千人のお世話になったことでしょうか。
たくさんのすばらしい方々と関わりながら育ったのんたんは、
他者に信頼をよせる、天真爛漫な子どもとして成長していきました。


のんたん日記4では、
小学校に入学し、ボランティアさんと共に毎日を過ごすようになった、
そのはじめの一年のことを、細かく記録しています。


10年以上前の記録ですが、
障害のあるお子さんを育てている方々に、
「子育てを、ひとりで抱え込まないで。
 こんな子育ての方法もあるんですよ。」
というメッセージを感じていただけたらうれしいです。


のんたんの夏休み(「のんたん日記4」から)
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan04/nontan0430a.html
をご覧下さい。


その他の記録については、
のんたん日記4
http://limings.sweet.coocan.jp/nontan04/nontan0400.html
ガンになって
http://limings.sweet.coocan.jp/miyo01/miyo1701.html
ガンになって、やったこと
http://limings.sweet.coocan.jp/miyodos/miyodos00.html
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親の役割

長男・のぞみは、3年前から、
東京都にある盲重複障害者施設、「S園」で生活しています。
長男は全盲・難聴です。
自分でできることはたくさんあるけれど、
できないこともたくさんあります。


そんな息子が施設に入った当初は、
私も、夫も、娘も、みんな、なんだか手持ちぶさたで、毎日、
「いまごろ、のんたんはなにをやってるかなあ。」
と、家族の誰かはつい言ってしまう、というありさまでした。


けれど、はじめの数ヶ月が過ぎると、
家族の誰もが、長男の居ない暮らしにも慣れてしまいました。
それまでは、なにかをするにも、どこかへ出かけたりするにも、
家族4人がいっしょに行動するのが当たり前でした。
休日に、家族の誰かが外出する場合は、
「誰が長男と一緒に過ごすのか。」
が、私と夫の間での、最重要確認事項でした。
長男を、家にひとりで残しておくことはできなかったからです。


18年間、「なにをするにも、家族いっしょ」だったのですが、
今では、週末になると、夫はひとりで出かけてしまいますし、
娘は、友達と遊びに行ったり、図書館に行ったりと、
それぞれが自由に過ごしています。
どこの家にもある、ごく普通の家族のようになってしまいました。


障害のない娘よりも、障害のある息子の方が先に自立してしまうとは、
思ってもみませんでした。
ちょっと寂しい気持ちもあるけれど、
「子どもは成長して、家を出て行くのがあたりまえなのだから。」
とも思います。


早いもので、S園での生活も3年目になりました。
長男は、自分で希望して行っただけのことはあり、
S園で、毎日楽しく生活しています。
「もう、親の役割は終わり。」
と私は思っていました。


S園では、毎年10月に、大規模なバザーが開催されます。
今年度のバザーが開催されたのは、
私の4回目の抗がん剤治療が終わったころでした。
体調は万全ではなかったけれど、
息子の顔が見たさに、電車で2時間半かけて、S園まで出かけました。


その、バザー会場でのことです。
「おかあさん、だいじょうぶですか?」
いつもお世話になっている、S園のT課長が、気遣ってくださいました。
私は、いつも思っていたことを、率直に言いました。
「『自分がいつ死んでも、もう、この子は大丈夫。もう心配することはない。』
 と思っています。
 病気になっても、後の心配をしないでいられるというのが、
 どれほどありがたいことか…。
 いつも、皆様に感謝しています。」
すると、間髪を入れず、T課長は、こう言われました。
「とんでもない。
 おかあさんには、これからも、
 シバガキくんの成長を、いっしょに喜んでもらわないといけません。
 どうぞ長生きしてください。」


え? と思いました。
 子育てはもうおしまい。
 もう、息子といっしょに暮らすこともない。
 親の役割は、終わったんだ。
 もう、いつ死んでも大丈夫なんだ…。
長男がS園に行ってからずっと、そう思っていました。


けれど、そうではないのだと、気づかされたのです。
長男は、これからも成長を続けていくし、
まだ、親の役割は残っていました。
「息子の成長を、いっしょに喜ぶ」という役割が…。
なんとうれしく、楽しい、役割でしょうか。


「これからも、長男の成長を楽しみに、生きていく…。」
それはまるで、18年間、子育てをがんばってきたことへの、
ごほうびのように思えました。
そんなことを、さらりと言ってくださったT課長への、
感謝の気持ちでいっぱいになりました。


 これからも、成長を、いっしょに喜んでもらわないと。


帰り道、T課長の言葉を思い出し、涙が出ました。
S園に入れていただいて、よかった…。
ただただ、そう思っていました。






その他の記録については、
ガンになって
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ガンになって、やったこと
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今でよかった

あれは、2008年12月のことでした。
微熱が、10日以上続いたことがありました。
「ただのカゼ」と信じて疑わなかった私は、
毎日、バッファリンを飲んで熱を下げ、出勤し続けました。


それでも、一応、週末に、
近所の産婦人科クリニックに行ってみました。
持病で卵巣嚢腫を抱えていたので、
体調不良はそのせいかもしれない、と思ったのです。
検査をすると、医師から、
「腫瘍マーカーの数値が、普通の人の10倍あります。
ガンの疑いがあるので、紹介状を書きます。」
と言われました。


当時、全盲・難聴の長男は、中学一年生でした。
入院・手術のあいだ、長男をどうすればいいのか。
それだけではなく、もしもガンが治らず、自分が死んだら、
誰が長男を育てていくのか。
健常児であれば、夫ひとりでもなんとかなるでしょう。
でも、障害のある長男を残していけば、
いろいろなことのしわ寄せは、結局、長男自身に行きます。
それを考えると、ただ、涙がでました。
「この子をどうするのか。」
ガンかも知れない、と言われて、
私の頭の中にあったのは、ただそれだけでした。


結局、そのときは、ガンではなく、卵巣嚢腫が原因の腹膜炎でした。
けれど、
「ガンの疑い」
と言われたときの切なさを思いだすと、
今でも涙がでてきます。


あれから8年あまりが過ぎました。
今、本当のガンになってしまったけれど、
あのときほど悲しい思いはしていません。
いちばんの気がかりだった長男が、
3年前に自立し、家を出たからです。
「私が病気になっても、もう、長男が困ることはない。」
そう思うと、不思議に、穏やかな気持ちになります。


ガンになって、いいはずがない。
ガンになってよかったなんて、思えるわけがない。


それでも、この病気になるのが、私の運命なのだったとしたら、
これまでの人生のどこかで、ガンになるしかなかったのだとしたら、
「それが今でよかった。」
と思ってしまうのです。




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「あのころのこと」をアップしました。

「あのころのこと」
http://limings.sweet.coocan.jp/anokoro01/anokoro0100.html
を、回復させました。
「いい子」
http://limings.sweet.coocan.jp/anokoro01/anokoro0101.html
は、かつて、いくつかの大学や講演で、
教材や資料として採用していただいたこともあり、
とてもなつかしい原稿です。
ずっとしまったままになっていたのですが、
HP上に、また掲載しておこうと思います。


その他の記録については、
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髪が生えてきました

2016年12月5日に、最後の抗がん剤治療(全6クール)を終了しました。
その日の診察室でのことです。
「抗がん剤は、今日が最後ですね。
治療が終われば、これから、体調は回復していくからね。
  白血球も、徐々に上がっていきますよ。」
と、励ましてくださるH医師。
うれしくなった私は、調子に乗って、つい、訊いてしまいました。


「先生。あの、お刺身は、いつ頃から食べても良いでしょうか。」


「ようやく抗がん剤治療が終わるという日に、
おまえの頭の中は『お刺身』しかないんかい?」
とつっこまれたら、はい、そうです、と答えるしかありません。
それくらいに、私の頭の中は、「お刺身」しかありませんでした。
だって、大好物なんです。
それを、4ヶ月も我慢してたんですT_T。


H医師、いつもの優しい笑顔で、
「んーーー。それはじゃあ、次回の診察の時に、
  検査の結果を見ながら、考えましょう。」
と。
つられて笑顔になって、診察室を出ようとする私に、
こうも言ってくださいました。
「治療が終わったら、髪も生えてくるからね。
  大丈夫ですよ。」


言われて初めて、私も、「ああそうか。髪が生えるんだ。」と気がつきました。
けれど、そうは言われても、
このツルツルになった頭にまた髪が生えてくるなんて、
実感がわきません。
髪の毛のことは、そのまま忘れておりました。


それから6週間ほど過ぎた頃のことです。
トイレで、ふと、壁の鏡を見ると、
自分の頭にうっすらと、髪の毛の層ができていることを発見!
「わ、ほんとに生えてきた!」
びっくりして、娘に言うと、
「うん。そうだよ。」
と。
聞くと、娘は、私の頭に髪が生え始めていることに気がついていたそうです。
気がついても、黙っていた。
娘なりに、気を遣ってたんですね、きっと。^^


抗がん剤終了から、今日で7週間になります。
ツルツルになっていた頭には、今、
うっすらとした膜のような、髪の層ができています。
髪の長さは、5ミリくらい。
なでると、ベルベットのような手ざわりが気持ちよく、
一日に何度もさわってしまいます。


髪がどんどん抜けていってしまったときは、
あらかじめ聞いていたことであったし、
特に悲しい思いをすることもありませんでした。
けれど、こうして生え始めると、
やっぱりうれしいですね。
こうやって、少しずつ、少しずつ、
元の生活に戻っていけるかな、と願っています。


………


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