MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 9 - 「東源鶏飯」でお昼ごはん(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロン・東源鶏飯で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


前日から楽しみにしていた、
「東源鶏飯」に到着しました。


チョロンには、
ほかにも有名なお店があるのですが、
MIYOはここに行くと決めていました。
「鶏飯」が食べたかったのです。
そう、あの海南鶏飯です。


海南鶏飯(ハイナンチーファン・海南チキンライス)です。シンガポールやマレーシアの名物料理とされており、日本では「海南チキンライス」とも呼ぶこともあります。タイのカオマンガイにも似ていますね。(キリンのサイトから、画像をお借りしました)


同じような料理を、シンガポールでは、
「シンガポールチキンライス」
と呼びますが、その発祥の地は海南島。
その海南島から移住した人が、
チョロンにはたくさんいます。


MIYOは、海南鶏飯が大好きで、
家でもときどき作っているくらい。笑
なので、チョロンの海南鶏飯も、
食べてみたかったのです。


シンガポールよりもチョロンの方が、
海南島に近いし、
海南島出身の人が多いチョロンなら、
シンガポールのチキンライスよりも、
よりオリジナルに近い味が食べられるかも…。
期待がふくらみます。^^


地図で見るとこんな感じ。海南島発祥の海南鶏飯は、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールと、華人の足跡を追うかのように広がって行きました。


2023年6月の旅で、
ハロン湾で出会ったヘンリー一家も、
お父さんのルーツは海南島。
アメリカ人でありながら、家族間では、
海南語で会話しておられました。
ヘンリー一家のお話はこちらに書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 39 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり㉔ 感謝と祈りをこめて(2023年6月17日/4日め)


角地に建つ、東源鶏飯。よく見ると、写真の右奥に、同じ色の看板のお店がもう一軒見えます。


チョロンには、東源鶏飯が2軒あります。
手前のお店は1号店。
そして、右奥に見えているのが、2号店です。


1945年創業の、東源鶏飯。
(コムガードンググエン/Cơm Gà Dong Nguyen)
経営するのは、呉ファミリー。
海南島出身だった、呉家のおかあさんが、
郷土料理であった海南鶏飯を、
屋台で売ったのが始まりでした。
その屋台があったのは、この1号店の前。
やがて商売が繁盛し、
屋台があった場所の建物を買い取りました。
それが、現在の1号店となったそうです。


それから80年。
東源鶏飯は、創業以来ずっと、
地元の人々に愛され続けている有名店です。
現在では、ホーチミン市内に3店舗あり、
3代目ファミリーが切り盛りしているそうです。


まずは1号店に行ってみました。
が、店内にはバイクがずらりととめてあって、
食堂と言うより駐車場みたい。
営業しているのかどうか、よくわかりません。
なので、すぐ近くの2号店に行くことに。


こちらが2号店です。

店内に入ると、左側は開放型の厨房になっています。

かなり大がかりなオープンキッチン。手前にある炉をのぞいて、感動しました。

こんなですよ…。熱々の器の中には、さまざまなお料理がスタンバイしていました。

炉の上に並べられている、本日のおかずたち。もうワクワクします。注文を受けると、料理はここから運ばれていくのですが、壁際にある保管庫からどんどん補充されるので、炉の上はいつも賑やか。^^


私も夫も、歓声をあげながら、
おかずたちを見つめていました。
すると夫が、
「オレ、鶏飯よりもこの麻婆豆腐を食べたい。」
と言いだしました。🤣


たしかにおいしそうです。^^

こちらは店内の右側。チキンや叉焼を切り分けているところです。

その左にあるケースの中も、おかずだらけ。笑

その奥には、お客さんが食事するスペースがあります。


上の写真を撮ったときは、
まだ11時前だったのですが、
店内はすでに、お客さんでいっぱいでした。


そして12時半。
お寺めぐりを終えた私たちが、
もういちどお店に来てみると、
このスペースは満席状態になっていました。


でも大丈夫。誰に案内されることもなく、MIYOは勝手に、2階につづく階段を上がりました。


「2階にも部屋があり、そこならエアコンもある。
 勝手に上がって行ってOK。」
ということを、
あらかじめ、ネットで調べてあったのです。
やはり、下調べは大事ですね。^^


2階に上がり、ドアを開けると、中はこんな感じ。東源鶏飯を愛する地元の人たちが、家族でやってくるお店であることは、ひとめでわかりました。


2階も満席だったのですが、
運よく、食事を終えて出て行く人がいたので、
ちゃっかり、そのテーブルを押さえました。^^


メニューはベトナム語と英語、そして時々中国語。笑

単品料理もたくさんあったのですが、「ふたり分のセットメニュー」(318000ドン/約1600円)らしきものを見つけたので、それにしてみました。

ちなみに、東源鶏飯の料理は、ネットから注文できます(日本からはムリ笑)。お店の前に、配達の人が大勢待っていたので、Grabとかで注文し、ホテルに配達してもらうこともできそうです(未確認情報)。実際にお店に行く場合は、あらかじめ、以下のサイトのメニューをグーグル翻訳しておけば、私たちのようにお店に着いてからまごまごしないですむかもしれません。😅
Cơm gà Đông Nguyên – Cơm gà Đông Nguyên

さて、夫が注文したビールと、セットについていた「なにか」のドリンク2本です。「氷をください。」とお願いしたら、コップに大盛りで持ってきてくださいました。うれしい。^^

このドリンク、メニューには「Tặng」と書いてありました。後で調べたら、「おまけ」という意味でした。タイで飲んだアイスティーのような薬草茶か?と思って恐る恐る飲んだら、ほんのり甘い紅茶のような飲み物でした。おいしかったです。^^
タイで飲んだチャーノムイェンのお話はこちらです。
4年ぶりのタイ。バンコクを歩き続けた9日間 17 - チャチューンサオ⑥ バーンマイ100年市場③ タイ式のミルクティー「チャーノムイェン」を一気飲み(2023年11月12日/5日め)


Sâm bông cúc を調べてみたら、
「乾燥ひなぎくを煮出し、
 ミョウバン砂糖を加えたお茶」
であることがわかりました。
香りが良く、
「鎮静、安眠、美容」に効果があるそうです。


左が、ひなぎく茶(Sâm bông cúc)。右は、東源鶏飯オリジナルボトルのひなぎく茶(25000ドン/約125円)。

注文した、ふたり分のセットです。ごはんは大盛で、3人分くらいありました。笑

MIYOが食べたかったチキンと、夫が食べたいと言っていた叉焼。

うーん、夫が撮った写真の方がおいしそうなのはなぜ?🤣

店頭で夫が食べたいと言いはった、麻婆豆腐も付いてます。笑(単品の場合は78000ドン/約390円)

蓮藕紅棗燉湯(Củ sen táo đỏ tiềm bắp heo)。蓮根、ナツメ、豚肉を鶏足のスープで蒸したもの。(単品の場合は69000ドン/約350円)

これはメニューの写真。蒸し上げる前の状態です。栄養価の高いナツメを入れてあり、補血効果があるそうです。


どれもおいしかったです! 食器についていた、東源鶏飯のロゴ。やはりチキンなんですね。笑


チキンもおいしかったのですが、
夫が注文した叉焼が、これまた、
予想を超えたおいしさでした。^^


充実のお昼ごはんになりました。
お腹いっぱいになって、
お店を出ました。


帰り際、入口のキッチンを見たら、お料理はたったこれだけになっていました。何十個も並んでいて、保管庫からどんどん補充されていたのに…。


お料理はあるだけで、
なくなったらおしまいです。
開店時間も早かったようですが、
店頭のお料理はどんどんなくなり、
私たちが食事を終えてまもなく、
お店は早々に閉店となりました。


チョロンに住んでいる人なら、
誰もが知っている、東源鶏飯。


その昔、チョロンに住んでいて、
ベトナム戦争終結後に
国外に逃げた華人が、大勢いました。
そんな彼らの中には、その後何十年もたって、
ベトナムに里帰りする人もいました。


チョロンにやってくると、彼らは、
この東源鶏飯をなつかしがって、
食事しに来たそうです。
お店の奥さん(2代目の呉さん)に向かって、
「あなたのこと、覚えてるわよ。
 小さいころ、このお店にいたよね。」
なんて言いながら…。


チョロンには、
「80年前の東源鶏飯を覚えている。」
という人もいるそうですよ。
まさに、チョロンに住む人々の、
ソウルフードなんですね。^^


ベトナム戦争後、家族でアメリカに逃れた、
ヘンリーとその家族を思い出しました。
「おとうさんが海南島出身だし、
 ヘンリーも、かつてチョロンに住んでいたころ、
 家族でこのお店に来たことが、
 あったかもしれない。」
…と、思いました。


「このお店のこと、覚えてる?」
と、ヘンリーに聞いてみようと思います。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 8 - フーンフン市場(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロン・フーンフン市場で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


お寺めぐりを終えましたが、
ランチの前に、もうひと歩き。
フーンフン市場(Chợ Phùng Hưng)
に行きました。


道路いっぱいに張られたテントやパラソル。これがフーンフン市場です。2車線分くらいの幅があるのですが、もはや自動車ははいることができません。


この市場がある、フーンフン通りは、
「文房具通り」として知られています。
このエリアには、文房具や生活雑貨、
そしてなぜか鍵屋さんがたくさんあるのですが、
今回は、市場だけを見て歩きました。


フーンフン市場に突入します。果物屋さんの隣りは洋服屋さんという、節操のない出店ぶり。笑 お店は、通りの両端と中央に出店しており、中央の屋台群の両側に通路があります。狭い通路なのに、そこにバイクをとめたり、シートを敷いて勝手にお店を拡張したりしているので、さらに狭くなります。

にもかかわらず、その狭い通路を、果物売りの屋台とかが通るし、バイクが走り抜けたりもします。🤣

両側の屋台群のさらに後ろには、フーンフン通り沿いにもとから建っているビルがあり、中には食堂が多数。「水餃子」「米麺」「粉麺」などの文字を見ると、つい入って食べたくなってしまいました。笑

八百屋さんも、いい味出してます。^^

これはブンのお店です。そうめんと違って、ブンは自分で作るのが難しいので、お店で買うのが普通です。こんなふうに山盛りになったのを、必要な分だけ包んでもらいます。

このあたりは、ちょっとした食べ物を作って売る屋台がたくさん集まっていました。

そして、お魚屋さんエリアに突入。

歩き続けていたら、右に曲がる道があったので、そこに入ってみました。Lão Tử通りと言い、ここからは延々と屋外食堂が続いていました。

時刻は12時過ぎ。ちょうどお昼時だったので、在住在勤の方々でにぎわっていました。

ホーチミンの中心部ではあまり見かけなくなったノンラーをかぶった人が、ここにはたくさんいました。^^

オレンジの服を着ているのは、ベトナム版ウーバーの人。配達する料理ができるのを待っています。こんな市場の屋台にも、スマホで食事を注文できる時代になりました。^^

市場に買物客が来るのは午前中なので、お昼になると閉店するお店もあります。手際よく、テントを畳んでいました。

Lão Tử通りの端まで歩きました。フーンフン市場は、この果物屋さんで終わります。


ああ、おもしろかった。^^
…と、満足して、市場を出てきました。


ホーチミン中心部には、ベンタイン市場という、りっぱな市場があるのですが…。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 2 - ホーチミン②(アオザイ博物館、ベンタイン市場、ビテクスコタワー、ホーチミン高島屋)(2024年1月13日/2日め)


ベンタイン市場は観光客向け。
歩いているのも、外国人観光客ばかり。
お土産品を買うのであれば、
ベンタイン市場もいいと思います。
でも、もうお土産品を買わない私たちには、
あまり用のないところになってしまいました。


これは、15年前のベンタイン市場。上の写真と同じ時計台が写っています。時計台前の広場は閑散としており、周囲に高層ビルは、もちろんありません。笑(2009年7月27日 のんたん・13歳/中2)

これは、現在の同じ場所。時計台前の広場は、外国人観光客であふれていました。


ベンタイン市場に対して、
この日訪れたフーンフン市場は、
超ローカルな、地元の人向け市場です。
なにも買うものはなく、
ただ見て歩いただけなのですが、
生活感満載のフーンフン市場の方が、
ずっとおもしろくて、楽しかったです。^^


こちらは、チョロンにある、ビンタイ市場。14年前、家族で出かけた時の写真です。(2010年7月25日 のんたんとあみちゃん・14歳/中3)

華人街の市場だけあって、中国風です。時計台の屋根飾りにも龍がいました。^^

その内部は、ハノイのドンスアン市場と似ています。
ドンスアン市場に行ったときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 168 - ドンスアン市場(2019年10月21日/51日め)

これはさらに、その一年前のホーチミン。ホーチミンも、街のようすがすっかり変わりました。こんなシクロも、今では姿を消してしまいました。(2009年7月27日 のんたん・13歳/中2)

長男を喜ばせたくて乗ったシクロでしたが、私の方がうれしそうですね…。😅


さて、フーンフン市場の探索を終え、
Lão Tử通りを出た私たちは、右に曲がり、
さらに、Châu Văn Liêm通りを歩きました。
この通りを直進して行けば、
次の目的地である食堂に着くはずなのですが…。


ありました。


東源鶏飯です。


鶏飯ひとすじ、80年。
チョロンの老舗、「東源鶏飯」で、
今日のお昼ごはんをいただきます。^^


いまここ。😄


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 7 - チョロン七福神めぐり⑤(チャータム教会と生地問屋街)(2024年1月14日/3日め)

2024年1月17日 チョロンの交差点で。たくさんのバイクが、すごい勢いで通り過ぎていきました。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


チョロン七福神めぐりをしています。


ここまでに、6軒のお寺を訪ねました。

⑤二府會館から折り返し、⑥麗朱會館のあるチャンフンダオ(Trần Hưng Đạo)通りに入ったところです。ここでは、これまでと違った光景を見ることができます。

通りには、同じようなお店が何十軒も、ずううっと続いています。

そのどれもが、アオザイの生地を売るお店でした。

お店の奥まで、アオザイ用の生地が山積み。笑 子ども用もあります。

チョロンには問屋が多いのですが、この通りは特に、生地の問屋街となっています。ホーチミンで売っているアオザイのほとんどは、このエリアから出荷されていくのではないかと思うほど、たくさんのお店で道の両側が埋め尽くされていました。

裾や胸になる部分に、大きな柄をあしらってあります。

すごいなあ…と、しばらく見とれました。


【チョロンの生地問屋街】
チャンフンダオ(Trang Hung Dao)通りを中心に、その界隈一帯には、布生地を取り扱う問屋が何百軒も集まっています。色とりどりの生地に、素材もさまざま。生地の販売だけでなく、オーダーメイドを受け付けてくれるお店も多数あります。アオザイを作りたいときは、ここでオーダーすると安上がりになるかもしれません。


たくさんの生地に圧倒されながら、
チャンフンダオ通りを進み、
⑥麗朱會館を訪れた後、
さらに通りを歩き続けると、
つきあたりにあるのが、チャータム教会
この「七福神めぐり」の、
最後のスポットになります。


「ちょっと待て。
 七福神めぐりなのに、
 なんでキリスト教会が含まれてるんだ?」
…というお叱りはもっともなのですが。😅


そもそも、「お寺めぐり」を「七福神めぐり」と
ネーミングしたことが、MIYOの造語なので、
この際、教会も入れちゃってください。
ってことで、よろしくお願いいたします。(アホ)
で、そのチャータム教会なのですが…。


こんなですよ。🤣🤣

「えっ これなの? これ、ほんとに教会なの? 場所、合ってる?」って、夫に訊いてしまったくらい。


どう見ても、中国のお寺さんです…。
それもそのはず。
ここはチョロンですから。🤣🤣
キリスト教会だって、タダではすみません。
ちなみに、このチャータム教会は、
「中国風の装飾が特徴のカトリック教会」
として、知られているのだそうです。笑


門をくぐると、たしかに、教会らしきものが見えます。これが、チャータム教会の礼拝堂です。


【チャータム教会】
ホーチミンのチョロン地区西部にある、ローマカトリックの教会で、1900年に創建されました。正式名称は、「聖フランシスコザビエル教会」。ミサは、ベトナム語と中国語で行われます。敷地内には、宿舎と幼稚園が併設されていて、時間帯によっては子供たちが行き交う姿を見ることもあります。ベトナム国内では、1963年に起きた、南ベトナム政権に対する軍部によるクーデターで、ゴ=ディン=ジェム大統領が殺害された場所としても知られています。(入場無料)


ほんとうは、礼拝堂の中に自由に入ることができるのですが、このときは修復工事中で、立ち入り禁止になっていました。

礼拝堂の手前、左側に見えているのは、フランシスコ・ザビエル像です。

そして礼拝堂の手前には、中国風の東屋があり、中にはマリア像が置かれていました。う~ん、すごいとりあわせです…。😮

東屋の中のマリア様です。ちらっと見えてる天井も、もちろん中国風。笑


さて、このチャータム教会ですが、
実はベトナムでは、別の意味で知られています。
それは、1963年に、このチャータム教会で、
ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領・
ゴ・ディン・ジエムが殺害されたためです。


【ゴ・ディン・ジエム(1902年-1963年】
ベトナム北中部で、貴族の家の三男として生まれました。父親は、グエン王朝の高官でした。1933年、バオダイ帝の「親政」開始に伴い、フランス領インドシナの保護国(植民地)であった阮朝宮廷の内相に就任。第二次世界大戦の前後に亡命しましたが、1954年に帰国し、フランスの傀儡政権で会った「ベトナム国」の首相となりました。翌1955年に、フランスの傀儡で人気の無かったバオダイを国民投票で退任に追い込み、ベトナム共和国を樹立して、初代大統領となりました。反共産主義者だったジエムは、アメリカのバックアップを受け、ジュネーヴ協定に基づく南北統一総選挙を拒否。国内の共産主義者を始めとする反政府分子を厳しく弾圧しました。
1963年11月2日に、クーデターが発生しました。ジエム大統領と弟のヌー大統領顧問は、「チャータム教会」に逃げ込みましたが、反乱部隊により、頭部を撃たれて殺害されました。ジエム大統領とその一族が南ベトナムから姿を消したその当日、クーデターを首謀したズオン・バン・ミン将軍によって、軍事政権が成立しました。


ベトナムの政権が大きく変わった事件の、
その瞬間を刻んだ、チャータム教会。
それから60年がたちましたが、
教会の外観は、現在も、
ほぼその当時のままだそうです。


これで、「七福神めぐり」が終わりました。


「七福神」はテキトーなネーミングだし、
実際には、チョロンにはまだまだ、
お寺がたくさんあるし、
その中には、有名な寺院もあります。
が、全部周ろうとしたらキリがないし、
時刻はもう、12時を過ぎています。


そろそろお昼ごはんにしよう、ということで、
「七福神めぐり」はここまでとし、
行きたいと思っていた食堂に
向かうことにしました。


再び、生地問屋街のあるチャンフンダオ通りを歩いて戻りました。奥の方に、チャータム教会が見えます。夫がひとりで立っていますが、MIYOはどこに行ったかというと…、

交差点の中央で交通整理。…じゃなくて、怒涛のように通り過ぎるバイクの人々を写真に撮りたくて、こんなところで突っ立ってました。(アホ)

霊芝のアイスティーを売る屋台。このあたりには、漢方薬のお店が軒を連ねていました。

スイカは、1個12000ドン(約60円)。


このまま5分も歩けば、
目指す食堂に到着します。
でも、MIYOには、
寄りたいところがありました。


「七福神めぐり」をしていたときに、
偶然、市場を発見していたのです。
中に入りたかったのですが、このときは夫から、
「まずはお寺めぐりの方が優先でしょ。」
と言われ、そのまま通り過ぎてしまいました。


お寺めぐりも終わり、
「15分くらいなら、いいでしょ。
 お昼ごはんの前に、ちょっとだけ、
 市場を歩きたいんだけど。」
とMIYOが言いだしたので、夫も渋々同意し、
ここへ寄り道することになりました。


チョロンの中にある、フーンフン市場です。普通の路上に、テントやパラソルが乱立しています。


次回は、フーンフン市場の中を歩きます。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 6 - チョロン七福神めぐり④(二府會館と麗朱會館)(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロンの麗朱會館で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


チョロン七福神めぐり、
5軒めのお寺は、二府廟です。


⑤二府會館(二府廟) / ニフ会館 - Hội Quán Nhị Phủ / Nhị Phủ Miếu
*オンボン寺(Chùa Ông Bổn)とも呼ばれます。


二府廟です。門が閉ざされていたので、休館日かと思いました。でも、この塀の左側が切れていて、そこから入れるようになっていました。

「国家級歴史文化遺跡」と書いてあります。

敷地内に入ると、バイクがぎっしりと停めてありました。地元の人の駐輪場になっているようです。

バイクの駐輪場の奥に、ようやく見えてきました。二府廟です。


【二府會館(二府廟) / ニフ会館】
1730年に創建された、福建省出身の華僑による会館です。土地の守護神・福徳正神(Phúc Đức Chính Thần) を祀っています。幸せの守り神オンボンが祀られていることから、「オンボン寺」とも呼ばれます。ほかの会館と比べると、それほど派手ではなく、落ち着いた雰囲気のお寺ですが、柱には重厚な彫刻がなされています。


二府廟の、古い写真が飾ってありました。

1931年ごろの二府廟の写真です。上に掲載している、現在の写真とそっくりです。多くの戦禍を経ながらも、300年間、大切に守られてきたことがわかります。(以下3枚、画像をお借りしました)

当時の絵葉書になった写真です。

これも絵葉書で、「インドシナ」の切手まで貼られています。門前に並んでいるのは、人を乗せて運ぶカゴだったのでしょうか。

ふと思い出して、調べてみました。「こんぴらさん」で知られる、香川県琴平町・金刀比羅宮の「石段かご」です。「おさるのかご屋」として有名でしたが、後継者がなく、2020年1月で廃業となったそうです。

さて、お寺の内部です。奥に、渦巻線香が提げられているのが見えます。

アオザイの女性が入ると、絵になりますね。^^

屋根の装飾も見逃せません。

どうしても、「金太郎さん」を連想してしまう、私たち。(アホ)

紙のお金を燃やすための塔です。

火をつける前の渦巻線香が置いてありました。外観は、日本の蚊取線香と同じですね。^^


⑥麗朱會館 - Hội Quán Lệ Châu


6軒めは、麗朱會館です。


最初に訪ねた義安會舘からここまでは、
1キロ足らずです。
15分もあれば歩ける距離なのですが、
寄り道の多い私たちのことですから、
ここに着いたときには、
すでに2時間以上が経過していました。
ずうううっと、歩きっぱなしです。(アホ)


さて、6軒めのお寺に着いたようです。

塀のパネルには、「歴史的文化的遺産」と、ベトナム語で書いてありました。

麗朱會館です。


【麗朱會館】
ベトナム南部に有利な貿易を導入した金・銀細工職人や宝石商を称えるために設立された寺で、1892年から4年をかけて建立されました。当初は、労働者や宝石工場のオーナーのグループの先祖を崇拝する「祖先塔」だったのですが、その後さらに、同じ職業の華僑が合流しました。この会館は、移民コミュニティセンターではなく、商人によって、商人のために建てられたもので、他の寺院とは一線を画しています。
この集会所が最初に完成したとき、寺院は一時的に、「黄金総主教会」と名付けられました。 その後、大規模に修復され、鉄木の柱、陰陽瓦の屋根が建てられ、青銅のホールが作られました。


残念ながら、このときは、閉館(?)されており、中に入ることができませんでした。

中はこんなふうになっているようです。(画像をお借りしました)

ここまで、6軒のお寺を、こんなふうに歩いてきました。

チョロンで見かけたお店です。お正月飾りを満載しています。

西洋人と違って、日本人は、書いてある漢字がほぼ読めてしまうので、さらに楽しさ倍増です。^^

テト用の食べ物を売るお店もありました。これは「年糕(ねんこう/ニェンガオ/Niángāo)」というものだそうです。チーズみたいですね。^^


【年糕】
中国の旧正月(春節)に食べられる餅です。中国語で、一年成長したという意味の「年高」と読みが同じであるため、縁起物とされています。除夜に、神霊や先祖に祀られ、その後春節で食されます。この習慣は、紀元前の周の時代から始まったとされています。


そしてこちらは、發粿(hoat-kóe / 客家語=發粄 fat-pán)。


【發粿/發粄】
蒸しパンのような食感のものです。まずは、在来米(インディカ米)を液状にし、圧力をかけて水分を抜いて
、米粉(粿粞/クエツェ/kóe-chhè)を作ります。この米粉に、小麦粉、砂糖、酵母を入れ、発酵させたあとに蒸したものが「發粿」です。發粿には、「お金儲けや昇進ができるように」という願いが込められています。發粿の上面は斬り裂けた形ですが、この斬り裂けた跡を「笑い」の形と見立てています。蒸しあげると、上部の裂け方がさらに大きくなります。この裂け方が深く、大きければ大きいほど、いい事があり、大きく笑い、順調な生活が送れることを象徴しています。春節(旧暦の正月)の祀り事や、神々や祖先を拝む時などのお供え物として使われており、親しい人への贈り物にもなっています。


店頭に、テトのお菓子を積み上げているお店。一番下の左端に「ふじさんクッキー」と日本語で書かれたお菓子があります。ほかにも、日本語が書かれたお菓子があるので、おヒマな方は拡大して探してみてください。^^

日本を模したお菓子には、「富士山、五重塔、桜」のイラストを描くのが、お約束のようです。😄

外国人がみんな行きたがる「新倉富士浅間神社」の景色が、ベトナムではそのまま、お菓子のパッケージになっていました。(2023年2月7日 山梨県富士吉田市)

このときの日記です。
コロナでも静岡。土肥桜の下、春の訪れを待つ - 富士吉田、忍野八海、伊東、そして伊豆へ(2023年2月7日-9日)


チョロン七福神めぐりは、
次回が最後のスポットになります。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 5 - チョロン七福神めぐり③(霞彰會館 媽祖天后廟)(2024年1月14日/3日め)

2024年1月17日 チョロンの腸詰屋さんで。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


チョロン七福神めぐり、
4軒めのお寺は、霞彰會館(媽祖天后廟)です。
これまでの3軒のお寺からは、
少し離れたところにありますが、
グーグルマップを見ながら歩きました。


④霞彰會館(媽祖天后廟)/ハチュオン会館 - Hội Quán Hà Chương


霞彰會館です。


【霞彰會館(媽祖天后廟)/ハチュオン会館】
1809年に、福建省東南部・漳洲地方の人々によって建てられた会館です。航海の守護神・天后聖母(媽祖)(Thiên Hậu Thánh Mẫu)を祀っています。


赤い屋根がかわいらしいですね。^^


同じ「天后」の文字があり、
名前が紛らわしいので、このお寺を、
有名な穗城會館(天后宮)と間違える人が
多いそうです。
ふたつの見分け方は、屋根にあります。


これは、④霞彰會館(媽祖天后廟)です。福建系の建物なので、屋根が曲線を描いています。

対して、こちらは③穗城會館(天后宮)です。広東系の建物なので、屋根は直線を描いています。


これまでは、「華僑のお寺」として、
十把ひとからげに考えていましたが、😅
中国のどの地方に由来しているかで、
お寺の形は変わってくるんですね…。
「お寺めぐり」をしてみて、
初めて知りました。


獅子に守られた入口を入ります。

壁には、天井近くまで、細かい彫刻が施されています。

どのお寺でも、入口を入ってすぐのところに、お札やお線香を売るお店があります。

ここにも、渦巻線香が提げられていました。航海の守護神を祀っているお寺なので、正面に「海國安潤」と書かれています。

お寺の中には、いくつもの神様が祀られています。

「まるでブラジルの教会みたいだ。」と、夫は申しておりました。

ド派手な観音菩薩。

お寺の中心はパティオのようになっており、そこから屋根飾りを鑑賞することができます。

そして壁際には、ひっそりと、石敢當(いしがんとう)がありました。これは魔除けで、沖縄に行くと、丁字路や三叉路に必ず置いてあるのを見かけます。石敢當の発祥は中国なので、ここにあっても不思議ではありません。


【石敢當】
丁字路の突き当り等に設けられる魔よけの石碑や石標のことを言います。正面に、「石敢當」などの文字が刻まれています。元来は、中国・福建省南部を発祥とする中国の風習で、日本では主に沖縄県に多く分布しています。台湾、香港、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどで見ることができます。


見どころがいっぱいで楽しかった、霞彰會館。最後は、水槽の中で泳いでいた小さな鯉たちにエサをあげて遊びました。鯉にあげているのは、ANAの機内食についていたクラッカーです。


「鯉にあげるパンを持って来ればよかった。」
と残念がっていたら、
「エサ、あるよ。」
と、夫がクラッカーを、
自分のリュックから出してきました。笑


みんなでエサを取り合っています。笑

これは、お寺の近くにあった腸詰屋さん。ベトナム語と中国語が併記されています。

お店の人のまったりとしているようすも楽しい。こんな小さなお店ですが、店員さんは3人もいました。笑

「あなたのブログは食べ物の写真が多いよなあ…。」と、いつも多動夫に笑われています。😅


中華街の街歩きは、とっても楽しい。
ただ歩いているだけで、おもしろいものが、
向こうからやってくるような。^^


中華街を歩くついでにお寺に行ってるのか。
お寺めぐりのついでに中華街を見ているのか。
メインはどっちなのか、
よくわからなくなってきましたが。笑


お寺ばっかり4軒も見てしまいましたが、
全然飽きません。笑
5軒めのお寺をめざして、
さらに歩きました。


(つづく)