MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
http://limings.muragon.com/tag/?q=2019%E5%B9%B49%E6%9C%88-10%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0&p=4 
をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
https://limings.muragon.com/tag/?q=2017%E5%B9%B412%E6%9C%88%E3%80%80%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0
小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
http://limings.sweet.coocan.jp/

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 12 - カンボジアへ。陸路で国境を越える。(2024年1月15日/4日め)

2024年1月15日 プノンペン行きのバスに乗って出発。(ベトナム・ホーチミン)


1月15日(日)- 4日め


4日めの朝です。
朝6時半に、急いで朝食を済ませ、
ホテルをチェックアウトしました。
今日はこれから、陸路で国境を越え、
カンボジアに入ります。


朝食ビュッフェのお料理は、毎日少しずつ変わっていました。これまでと違っているものだけ撮りました。

左:MIYOの朝ごはん。必ず、バインクォンを食べます。
右:夫の朝ごはん。必ず、ジュースを2杯飲みます。この日のジュースは、冬瓜とパッションフルーツでした。

7時。ホテルまでGrabに来てもらって出発。Dahn Danh Stationまでは、30000ドン(約150円)でした。

10分足らずで、カンボジア行きのバスを運行している、Dahn Danh社に到着。このオフィスの前からバスが出ます。

オフィスがあまりにも小っちゃくて笑えましたが、実はこの会社、カンボジア国内でこんなにもたくさんのバスを走らせているらしいです。

ホーチミンからプノンペンまでは、一日10便。寝台バスもあるのですが、私たちは、朝8時発のシートバスに乗りました。

チケットは、日本にいるときに、夫がネットで予約し、支払いも済ませていました。ここでは、その確認を行い、発券してもらいます。

オフィスで待っていると、バスがやってきました。

専用のバス停のようなものはなく、めちゃくちゃ路上駐車です。🤣

荷物を積み込んで、すぐに出発。ちなみに、MIYOの隣りにいるのは、シャボン玉屋さん。

バスの周りは、シャボン玉だらけでした。笑

バスの中です。

バスに乗ってすぐ、スマホのSIMカードを交換しました。これまで使っていたのは、ベトナム用(20日間)のSIMで、ここからは、東南アジア各国共通で使えるSIMです。8日間しか使えないので、カンボジアに入国してから使用することにしていました。右は、バスのチケット。手書きにスタンプと言う、渋いチケットです。😄

バスは、ほぼ定刻通りに出発。2時間半後、カンボジアとの国境に到着しました。これはベトナム側のオフィスです。

ここでパスポートとセキュリティのチェックを受けて、建物の外に出ると、私たちが乗ってきたバスもやってきました。(こういうところの写真は、ほんとうは撮ってはいけないので、係員の後ろからこっそり撮ってます。😅)

同じように国境を越えるバスが、ほかにもたくさん停車していました。

いったんバスに乗って、次はカンボジアのイミグレーションに向かいます。

ここで、カンボジアの入国手続きを行いました。

パスポートとビザを提出。カンボジアのビザは、日本にいるときに夫が申請し、取得してありました。「この国境でビザを取ることもできるらしいけど、トラブるとバスに置いて行かれるので、日本で取っておいた。」と夫が言っておりました。^^

私たちが入国手続きをしている間に、カンボジアのスタッフが、すべてのバスを消毒していました。ひえ~。😮

このイミグレーションでは、30分の休憩があり、隣接した食堂でランチタイムとなっていました。垂れ幕を見ると、ここはどうやら、Dahn Danh社が運営する食堂のようです。

レジでお金を払い、好きなおかずをひとつ選ぶシステム。ひとり50000ドン(約250円)でした。有料で、おかずやスープを追加できます。ここではまだ、ベトナムドンが使えました。

おかず、すごくたくさんあって、どれにしようかと迷います。^^

エビや魚…、

鶏肉もありました。ネギ入りオムレツもおいしそう。^^

左:MIYOの定食。チキンにヌクマムソースが付いています。タイのガイヤーンみたいな感じ。誰が見てもチキンです。
右:夫の定食。同じ値段なのに、おかずの量がやけに多い…。


み「ね、それなに?」
夫「鶏肉の煮込み。」
み「ふうん…。」


違うと思います…。🤣🤣

「いただきま~す。んっ うまいよ!」と、がつがつ食べる夫。


み「ニワトリのあばら骨がさ、
  そんなに細いわけないじゃん。」
夫「…。」
み「それ、カエルなんじゃないの?😅😅」


「ん…。そうかな…? そうかも…。いや、やっぱ鶏肉だよ。鶏肉の味がする。」とか言いながら、きれいに食べてしまった夫。😂😂

生まれて初めて見た、煮込み料理のカエルさんたち…。(に、違いない。)

あばら骨のサイズは、だいたいこれくらいだったと思うのですが。(画像をお借りしました)

「あ~あ。カンボジアのカエル、食べちゃったよ、この人。」とあきれかえるMIYO。🤣


いつもなら、
「お互いに違うものを注文してはんぶんこ」
の私たちですが、
この日ばかりは、MIYOはそれを拒否。🤣🤣


夫は学生時代、リヨンで、
友人(フランス人)の家にホームステイし、
そのときにカエルを食べているので、
あまりショックはなかったみたいです。
(カエルを食べる国って、意外と多いです。
 MIYOは遠慮しておきますが。笑)


ちなみに、「カエルの味はチキンそっくり」
と聞いたことがありますが、
この日の料理も、
「目をつぶって食べたらチキン」
だったそうです。
「目を開けて食べてもチキン。
 あれは鶏肉だった。」
と、夫は今でも言いはっているのですが。🤣🤣


食堂の女性。いかにもカンボジア人らしいヘアスタイルで、すてき。^^


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 11 - 「Hoa Túc(ホア トゥック)」で晩ごはん(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 Hoa Túc(ホア トゥック)で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


1時間半も獅子舞を見続けて、
ずっと立ちっぱなしだったので、
カフェでひと休みすることにしました。


獅子舞フェスティバル会場の裏にあるカフェ(写真左下)に入りました。通りをはさんだ向かい側にあるのは、ファミリーマート。色が日本のファミマと同じなので、すぐにわかりますね。^^

MIYOのアイスコーヒーと夫のオレンジジュース。

カフェのあるところからは、舞台の裏側を見ることができました。写真は、5番めのチームの獅子舞と、演奏している楽団メンバーたちです。

ホテルまでは、Grabで帰りました。待ち合わせ場所を「ファミリーマートの前」に設定して、リクエスト。表示された選択肢から、一番安い「97000ドン(約490円)」を選ぶと、5秒もたたないうちにドライバーが見つかりました。「今から行くよ」みたいなメッセージがくるので、毎回、とりあえず、「thankyou」と返事しておきます。笑

車が近づいてきたので、ファミマの前で待っていたら、MIYO家のマイカーよりも立派な車が来ました。😂


午後4時、ホテルに到着。
少し休憩したら、今度は晩ごはんです。😂


食事するお店は、夫には探せないので、
いつもMIYOが一任されます。
旅行中は、
「今日はどこでなにを食べようか」
と、毎日、お店探しに追われています。😂


今夜のお店は、Hoa Túc(ホア トゥック)
Hai Ba Trung通りにある、
モダンベトナム料理のお店です。


にぎやかなHai Ba Trung通りにひっそりと残る、アーチ。

このアーチの、100年前の写真です。

お店は、このアーチをくぐって、さらにそのずっと奥まで歩いたところにあります。知らない人には絶対に行き着けないロケーション。笑 ちなみに、ミシュラン掲載店です。😄


【Hoa Túc(ホア トゥック)】
1880年頃に、フランス領インドシナ政府が建設したアヘン精製工場だった場所にあるレストランです。工場をリフォームしてオープンしたお店では、1900年代初期のパリの雰囲気が漂う屋外テラスが人気です。屋内のインテリアは、ベトナムのコロニアルスタイル。伝統的なベトナム料理を現代風にアレンジした料理には定評があります。(ミシュランより抜粋)


ホテルから20分くらい歩いて到着。

「1900年代初期のパリの雰囲気」…なるほど。

予約しないで行ってしまったけど、かろうじてテーブルをゲット。^^ 

テラス席は西洋人ばかり。

お店は、このあとすぐに満席になりました。

メニューは、ベトナム語、英語、日本語が併記されていました。

まずは冷たい飲み物を。夫、このときからすでに、スマホをいじってばかり。MIYO家では、「食事中はスマホを見ない」というのがルールなのですが。😔

バインセオを注文したら、こんなのが出てきちゃいました。ヌーベルキュイジーヌ、ですね。^^(135000ドン/
約660円)

エビのポテトのフライドパンケーキ、野菜添え。(135000ドン/約660円)

そして、ソフトシェルクラブの青米衣フライ(395000ドン/約2000円と、豚肉とタロイモの揚げ春巻き(125000ドン/約630円)

カニの身がふわふわで、美味~。^^

夫がどうしても食べたいと言いはった揚げ春巻き。笑

おいしかったけど、注文しすぎました。お腹いっぱいで、くるしかったです。🤣

店内のテーブル席はこんな感じ。ベトナムコロニアルスタイルだそうです。

そのまま雑誌に掲載されそうな、オサレなインテリア。

販売もしているようです。


お食事代は、940000ドン(約4700円)。
ただし、付加価値税が18%課税されて、
1017200ドン(約5100円)になりました。


雰囲気のいいお店でした。
こういうときは、おいしいお料理と、
会話を楽しみたいところなのですが。


この日は、「日本対ベトナム」の試合があったそうで、夫は食事中もスマホの中継ばっかし見ていて…。


それをMIYOにとがめられたら、
「どうせヒマなんだから見せてよ。」
とほざいたもので、交渉決裂。


はい? ヒマですと?
「妻と外国ででかけた、
 ミシュランレストランのディナー」
が、「ヒマ」なのか?


夫の不用意な発言がMIYOの逆鱗に触れ、
せっかくのミシュランディナーが、
台無しになりました。😔
こんなことなら、
ホテルで出前でもとればよかった…。😔😔


けんかしながら歩いた、帰り道。美しい建物が見えました。

ホーチミン人民委員会庁舎です。夜はライトアップされ、華麗な姿を見せてくれます。ここは昼間ではなく、ぜひ、夜に訪れたいスポットです。

旧正月が近いので、通りにはこんな街灯がたくさん並んでいました。右は、2017年12月に撮ったもの。デザインが毎年変わるというのも、今回初めて知りました。

通りにはたくさんの街灯が並び、街を華やかに彩っていました。ホーチミンは、ハノイと違って派手だなあ…。笑(2017年12月29日)

ホテルまで続く通りは、夜の屋台でにぎわっていました。

「今夜のごはんはここにすればよかった。」と、夫の背中に向かってつぶやきました。

今日の歩行は、16658歩。


朝から晩まで歩き続けたわりには、
それほど多くなかったかな…。
でも疲れました…。😅


明日はカンボジアに向かいます。
毎日、毎日、過密スケジュール。
どこまで続く、難行苦行。😂


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 10 - 獅子舞フェスティバル(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 獅子舞フェスティバルで。宙を飛ぶ獅子です。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


一日かけてチョロンを歩いてきましたが、
最後のスポットになりました。
お昼ごはんのあと、私たちが向かったのは、
ヴァンラン公園(Công viên Văn Lang)でした。


食事した東源鶏飯からは、2キロ近く離れています…。😂


ひとつめのスポットであった義安會館で、
「今日の午後1時半から、ヴァンラン公園で、
 『獅子舞フェスティバル』がある。」
と教えてもらったことで、多動夫が、
「ぜひ、それに行きたい!」
と言いだしたのです。


「獅子舞なんて珍しくないじゃん。
 横浜中華街にだってあるし。」
などと、不遜なことを思ってしまいました。😅
朝からずうっと歩きっぱなしで、
正直疲れていましたが、
しょうがないのでつきあいました。🤣


歩いていく途中にあった、ホンバン中学校です。


【ホンバン中学校(Hồng Bàng Secondary School)】
1933年に設立されました。フランスの植民地時代に、フランス人の子弟のために建てられた学校です。ホーチミン市で最も古い公立中学校の1つで、フランス時代にさかのぼる歴史的建築物として知られています。


歩くこと30分。聖ジャンヌダルク・カトリック教会が見えてきました。目指すヴァンラン公園は、この向かい側にあります。ようやく到着。ふう…。

ヴァンラン公園の中にある、特設会場。ここが、「獅子舞フェスティバル」の会場のようです。

特設会場の左端に通路があり、ここから中に入ります。

特設会場の中です。地元のテレビ局のカメラが何台も入っていて、クレーンのカメラで上からも撮影しています。中央のスクリーンでは、出場者をインタビューするようすが、リアルタイムで放映されていました。想像していたよりもずっと大がかりな大会でした。


夫「舞台にある、あの棒はなんなんだろう?」
み「あの上を、獅子が歩くんじゃないの?」
夫「ええっ? まさか…。」
でも、そのまさかでした。笑


【獅子舞フェスティバル(Kylin-Dragon Dance Festival)】
ベトナムで開催されている、獅子舞の大会です。ホーチミン第5地区(チョロン)の文化および観光を、国内のみならず、インバウンドの観光客にもプロモートするために開催されています。フェスティバルは、第5地区当局、ホーチミン市テレビ(HTV)、および「都市カイリンリオンドラゴンダンスユニオン」が共催しており、ベトナムの15の都市や地方から、約50のチームが参加し、獅子舞の演技を競います。2024年度は、会場に1500人分の観客席を用意し、LEDスクリーンを設置しました。(入場無料)
フェスティバルの目玉は、「獅子舞のポールジャンプ(lân lên mai hoa thung)」。これは、「21本の杭(ポール)を、獅子舞が飛び渡る」というパーフォーマンスで、最も低い杭の高さは約1メートル。そして、最も高い杭は、1.7メートルもあります。
フェスティバルでは、このほかにも、
「龍の舞(ドラゴンダンス/múa rồng)」のコンテストがあり、こちらは51のチームが参加します。


舞台の前には、
雛壇上の観客席が設けられており、
すでにたくさんの観客で
埋め尽くされていました。
私と夫は、雛壇の最上段まで上がり、
一番後ろの場所に立って、
大会が始まるのを待ちました。


左奥に設置された門から、一番めのチームが元気に入場しました。

楽団メンバーが位置に着いたあと、獅子が登場しました。

ひょい、とポールに飛び乗って、大きくポーズ。

そして飛びます! うわあ…。

獅子が舞いながら、ぴょんぴょんとポールを飛び移り、一番高いポールに到達。

くるりと方向転換し、再びジャーンプ! 獅子が、宙を舞っています。


まさに文字どおり、
「獅子が翔ぶ」
ってこういうことなんだなあ…
と、感動しました。


最後は、楽団のメンバーもいっしょに、足並み揃えて舞台の前に。一番後ろのふたりが、獅子舞役です。全員で整列し、ごあいさつ。満場の拍手でした。

居並ぶ審査員が見守る中、次のチームが元気に入場。

宙を飛び、勢いのある演技を見せてくれましたが…、

ああっ 残念。途中で落ちてしまいました。それでもすぐに立ち上がり、再びポールに上がって、最後まで演技をやりとおしました。

がんばれ。

3番めのチーム。

彼らがいちばん上手でした。

どんどん飛びまくり、迫力のある演技を見せてくれました。

ふたりが息を合わせて。真剣な表情です。

脇の楽団メンバーも、演奏しながら踊っています。

最高得点で、演技を終了。

続いて4番めは、おサルを従えたホーチミン代表。獅子舞のふたりがウォーミングアップするあいだに、石山を設営しています。

夫は、「このチームの演技を見るまでは帰らない。」と言って、ずっと楽しみにしていました。

彼らは、この日の朝、義安會館から出陣して行った、あのチームなのです。朝、会っただけなのに、夫はすっかり入れ込んで、「うちのチームを応援しなくちゃ。」なんて言ってました。笑
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 3 - チョロン七福神めぐり①(義安會舘と三山會舘)(2024年1月14日/3日め)

義安チームの、白い獅子です。後ろのLEDスクリーンにも、かわいらしい顔が映っています。^^

獅子は、舞い踊り、飛びながらも、ときどき、大きな目をパチリンコとまばたきさせます。それがとてもかわいかったです。^^

しっかり飛んでいます。

サルが入った石山の前で立ちあがる獅子。

こんなふうに、獅子頭役の胴体を、尻尾役がしっかりと支えているんですね。

石山からおサルが出てきて驚く獅子。この後、おサルもポールに上がっていました。笑

無事に終わって、私たちまでほっとしました。^^ チームの旗に、「Nghĩa An(義安)」と書いてあるのが見えて、なにかうれしくなりました。^^


ここまで、4チームの演技を見るだけで
1時間半が経過していました。
応援していた義安チームの演技も見られて、
とても楽しかったけど、
さすがに少し疲れてきたので、
これで帰ることにしました。


おまけの画像です。夫が、こんなのを発見しました。


1番めのチームの演技を、
夫は動画で撮っていました。
これは、その中のワンショットです。


手前に写っているのが、実物の獅子。
舞台の後ろに設置されたLEDスクリーンには、
背中側から撮った獅子が、
リアルタイムで映しだされています。


スクリーンには、観客席が映りこんでいました。
獅子を見守る人々が大勢座っていて、
その観客席の最上段。
いちばん後ろの高いところに、
立っているふたり。
私たちです。^^


私たち、ホーチミン市のテレビに、
出てしまいました。🤣🤣


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 9 - 「東源鶏飯」でお昼ごはん(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロン・東源鶏飯で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


前日から楽しみにしていた、
「東源鶏飯」に到着しました。


チョロンには、
ほかにも有名なお店があるのですが、
MIYOはここに行くと決めていました。
「鶏飯」が食べたかったのです。
そう、あの海南鶏飯です。


海南鶏飯(ハイナンチーファン・海南チキンライス)です。シンガポールやマレーシアの名物料理とされており、日本では「海南チキンライス」とも呼ぶこともあります。タイのカオマンガイにも似ていますね。(キリンのサイトから、画像をお借りしました)


同じような料理を、シンガポールでは、
「シンガポールチキンライス」
と呼びますが、その発祥の地は海南島。
その海南島から移住した人が、
チョロンにはたくさんいます。


MIYOは、海南鶏飯が大好きで、
家でもときどき作っているくらい。笑
なので、チョロンの海南鶏飯も、
食べてみたかったのです。


シンガポールよりもチョロンの方が、
海南島に近いし、
海南島出身の人が多いチョロンなら、
シンガポールのチキンライスよりも、
よりオリジナルに近い味が食べられるかも…。
期待がふくらみます。^^


地図で見るとこんな感じ。海南島発祥の海南鶏飯は、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポールと、華人の足跡を追うかのように広がって行きました。


2023年6月の旅で、
ハロン湾で出会ったヘンリー一家も、
お父さんのルーツは海南島。
アメリカ人でありながら、家族間では、
海南語で会話しておられました。
ヘンリー一家のお話はこちらに書きました。
4年ぶりのベトナム。北部から中部へと歩いた18日間 39 - ハロン湾船上ホテルにお泊まり㉔ 感謝と祈りをこめて(2023年6月17日/4日め)


角地に建つ、東源鶏飯。よく見ると、写真の右奥に、同じ色の看板のお店がもう一軒見えます。


チョロンには、東源鶏飯が2軒あります。
手前のお店は1号店。
そして、右奥に見えているのが、2号店です。


1945年創業の、東源鶏飯。
(コムガードンググエン/Cơm Gà Dong Nguyen)
経営するのは、呉ファミリー。
海南島出身だった、呉家のおかあさんが、
郷土料理であった海南鶏飯を、
屋台で売ったのが始まりでした。
その屋台があったのは、この1号店の前。
やがて商売が繁盛し、
屋台があった場所の建物を買い取りました。
それが、現在の1号店となったそうです。


それから80年。
東源鶏飯は、創業以来ずっと、
地元の人々に愛され続けている有名店です。
現在では、ホーチミン市内に3店舗あり、
3代目ファミリーが切り盛りしているそうです。


まずは1号店に行ってみました。
が、店内にはバイクがずらりととめてあって、
食堂と言うより駐車場みたい。
営業しているのかどうか、よくわかりません。
なので、すぐ近くの2号店に行くことに。


こちらが2号店です。

店内に入ると、左側は開放型の厨房になっています。

かなり大がかりなオープンキッチン。手前にある炉をのぞいて、感動しました。

こんなですよ…。熱々の器の中には、さまざまなお料理がスタンバイしていました。

炉の上に並べられている、本日のおかずたち。もうワクワクします。注文を受けると、料理はここから運ばれていくのですが、壁際にある保管庫からどんどん補充されるので、炉の上はいつも賑やか。^^


私も夫も、歓声をあげながら、
おかずたちを見つめていました。
すると夫が、
「オレ、鶏飯よりもこの麻婆豆腐を食べたい。」
と言いだしました。🤣


たしかにおいしそうです。^^

こちらは店内の右側。チキンや叉焼を切り分けているところです。

その左にあるケースの中も、おかずだらけ。笑

その奥には、お客さんが食事するスペースがあります。


上の写真を撮ったときは、
まだ11時前だったのですが、
店内はすでに、お客さんでいっぱいでした。


そして12時半。
お寺めぐりを終えた私たちが、
もういちどお店に来てみると、
このスペースは満席状態になっていました。


でも大丈夫。誰に案内されることもなく、MIYOは勝手に、2階につづく階段を上がりました。


「2階にも部屋があり、そこならエアコンもある。
 勝手に上がって行ってOK。」
ということを、
あらかじめ、ネットで調べてあったのです。
やはり、下調べは大事ですね。^^


2階に上がり、ドアを開けると、中はこんな感じ。東源鶏飯を愛する地元の人たちが、家族でやってくるお店であることは、ひとめでわかりました。


2階も満席だったのですが、
運よく、食事を終えて出て行く人がいたので、
ちゃっかり、そのテーブルを押さえました。^^


メニューはベトナム語と英語、そして時々中国語。笑

単品料理もたくさんあったのですが、「ふたり分のセットメニュー」(318000ドン/約1600円)らしきものを見つけたので、それにしてみました。

ちなみに、東源鶏飯の料理は、ネットから注文できます(日本からはムリ笑)。お店の前に、配達の人が大勢待っていたので、Grabとかで注文し、ホテルに配達してもらうこともできそうです(未確認情報)。実際にお店に行く場合は、あらかじめ、以下のサイトのメニューをグーグル翻訳しておけば、私たちのようにお店に着いてからまごまごしないですむかもしれません。😅
Cơm gà Đông Nguyên – Cơm gà Đông Nguyên

さて、夫が注文したビールと、セットについていた「なにか」のドリンク2本です。「氷をください。」とお願いしたら、コップに大盛りで持ってきてくださいました。うれしい。^^

このドリンク、メニューには「Tặng」と書いてありました。後で調べたら、「おまけ」という意味でした。タイで飲んだアイスティーのような薬草茶か?と思って恐る恐る飲んだら、ほんのり甘い紅茶のような飲み物でした。おいしかったです。^^
タイで飲んだチャーノムイェンのお話はこちらです。
4年ぶりのタイ。バンコクを歩き続けた9日間 17 - チャチューンサオ⑥ バーンマイ100年市場③ タイ式のミルクティー「チャーノムイェン」を一気飲み(2023年11月12日/5日め)


Sâm bông cúc を調べてみたら、
「乾燥ひなぎくを煮出し、
 ミョウバン砂糖を加えたお茶」
であることがわかりました。
香りが良く、
「鎮静、安眠、美容」に効果があるそうです。


左が、ひなぎく茶(Sâm bông cúc)。右は、東源鶏飯オリジナルボトルのひなぎく茶(25000ドン/約125円)。

注文した、ふたり分のセットです。ごはんは大盛で、3人分くらいありました。笑

MIYOが食べたかったチキンと、夫が食べたいと言っていた叉焼。

うーん、夫が撮った写真の方がおいしそうなのはなぜ?🤣

店頭で夫が食べたいと言いはった、麻婆豆腐も付いてます。笑(単品の場合は78000ドン/約390円)

蓮藕紅棗燉湯(Củ sen táo đỏ tiềm bắp heo)。蓮根、ナツメ、豚肉を鶏足のスープで蒸したもの。(単品の場合は69000ドン/約350円)

これはメニューの写真。蒸し上げる前の状態です。栄養価の高いナツメを入れてあり、補血効果があるそうです。


どれもおいしかったです! 食器についていた、東源鶏飯のロゴ。やはりチキンなんですね。笑


チキンもおいしかったのですが、
夫が注文した叉焼が、これまた、
予想を超えたおいしさでした。^^


充実のお昼ごはんになりました。
お腹いっぱいになって、
お店を出ました。


帰り際、入口のキッチンを見たら、お料理はたったこれだけになっていました。何十個も並んでいて、保管庫からどんどん補充されていたのに…。


お料理はあるだけで、
なくなったらおしまいです。
開店時間も早かったようですが、
店頭のお料理はどんどんなくなり、
私たちが食事を終えてまもなく、
お店は早々に閉店となりました。


チョロンに住んでいる人なら、
誰もが知っている、東源鶏飯。


その昔、チョロンに住んでいて、
ベトナム戦争終結後に
国外に逃げた華人が、大勢いました。
そんな彼らの中には、その後何十年もたって、
ベトナムに里帰りする人もいました。


チョロンにやってくると、彼らは、
この東源鶏飯をなつかしがって、
食事しに来たそうです。
お店の奥さん(2代目の呉さん)に向かって、
「あなたのこと、覚えてるわよ。
 小さいころ、このお店にいたよね。」
なんて言いながら…。


チョロンには、
「80年前の東源鶏飯を覚えている。」
という人もいるそうですよ。
まさに、チョロンに住む人々の、
ソウルフードなんですね。^^


ベトナム戦争後、家族でアメリカに逃れた、
ヘンリーとその家族を思い出しました。
「おとうさんが海南島出身だし、
 ヘンリーも、かつてチョロンに住んでいたころ、
 家族でこのお店に来たことが、
 あったかもしれない。」
…と、思いました。


「このお店のこと、覚えてる?」
と、ヘンリーに聞いてみようと思います。


(つづく)

ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 8 - フーンフン市場(2024年1月14日/3日め)

2024年1月14日 チョロン・フーンフン市場で。(ベトナム・ホーチミン)


1月14日(日)- 3日め


お寺めぐりを終えましたが、
ランチの前に、もうひと歩き。
フーンフン市場(Chợ Phùng Hưng)
に行きました。


道路いっぱいに張られたテントやパラソル。これがフーンフン市場です。2車線分くらいの幅があるのですが、もはや自動車ははいることができません。


この市場がある、フーンフン通りは、
「文房具通り」として知られています。
このエリアには、文房具や生活雑貨、
そしてなぜか鍵屋さんがたくさんあるのですが、
今回は、市場だけを見て歩きました。


フーンフン市場に突入します。果物屋さんの隣りは洋服屋さんという、節操のない出店ぶり。笑 お店は、通りの両端と中央に出店しており、中央の屋台群の両側に通路があります。狭い通路なのに、そこにバイクをとめたり、シートを敷いて勝手にお店を拡張したりしているので、さらに狭くなります。

にもかかわらず、その狭い通路を、果物売りの屋台とかが通るし、バイクが走り抜けたりもします。🤣

両側の屋台群のさらに後ろには、フーンフン通り沿いにもとから建っているビルがあり、中には食堂が多数。「水餃子」「米麺」「粉麺」などの文字を見ると、つい入って食べたくなってしまいました。笑

八百屋さんも、いい味出してます。^^

これはブンのお店です。そうめんと違って、ブンは自分で作るのが難しいので、お店で買うのが普通です。こんなふうに山盛りになったのを、必要な分だけ包んでもらいます。

このあたりは、ちょっとした食べ物を作って売る屋台がたくさん集まっていました。

そして、お魚屋さんエリアに突入。

歩き続けていたら、右に曲がる道があったので、そこに入ってみました。Lão Tử通りと言い、ここからは延々と屋外食堂が続いていました。

時刻は12時過ぎ。ちょうどお昼時だったので、在住在勤の方々でにぎわっていました。

ホーチミンの中心部ではあまり見かけなくなったノンラーをかぶった人が、ここにはたくさんいました。^^

オレンジの服を着ているのは、ベトナム版ウーバーの人。配達する料理ができるのを待っています。こんな市場の屋台にも、スマホで食事を注文できる時代になりました。^^

市場に買物客が来るのは午前中なので、お昼になると閉店するお店もあります。手際よく、テントを畳んでいました。

Lão Tử通りの端まで歩きました。フーンフン市場は、この果物屋さんで終わります。


ああ、おもしろかった。^^
…と、満足して、市場を出てきました。


ホーチミン中心部には、ベンタイン市場という、りっぱな市場があるのですが…。
ベトナム・カンボジアを歩いた14日間 2 - ホーチミン②(アオザイ博物館、ベンタイン市場、ビテクスコタワー、ホーチミン高島屋)(2024年1月13日/2日め)


ベンタイン市場は観光客向け。
歩いているのも、外国人観光客ばかり。
お土産品を買うのであれば、
ベンタイン市場もいいと思います。
でも、もうお土産品を買わない私たちには、
あまり用のないところになってしまいました。


これは、15年前のベンタイン市場。上の写真と同じ時計台が写っています。時計台前の広場は閑散としており、周囲に高層ビルは、もちろんありません。笑(2009年7月27日 のんたん・13歳/中2)

これは、現在の同じ場所。時計台前の広場は、外国人観光客であふれていました。


ベンタイン市場に対して、
この日訪れたフーンフン市場は、
超ローカルな、地元の人向け市場です。
なにも買うものはなく、
ただ見て歩いただけなのですが、
生活感満載のフーンフン市場の方が、
ずっとおもしろくて、楽しかったです。^^


こちらは、チョロンにある、ビンタイ市場。14年前、家族で出かけた時の写真です。(2010年7月25日 のんたんとあみちゃん・14歳/中3)

華人街の市場だけあって、中国風です。時計台の屋根飾りにも龍がいました。^^

その内部は、ハノイのドンスアン市場と似ています。
ドンスアン市場に行ったときの日記です。
定年でもベトナム。ハノイで始める、お仕事日記 168 - ドンスアン市場(2019年10月21日/51日め)

これはさらに、その一年前のホーチミン。ホーチミンも、街のようすがすっかり変わりました。こんなシクロも、今では姿を消してしまいました。(2009年7月27日 のんたん・13歳/中2)

長男を喜ばせたくて乗ったシクロでしたが、私の方がうれしそうですね…。😅


さて、フーンフン市場の探索を終え、
Lão Tử通りを出た私たちは、右に曲がり、
さらに、Châu Văn Liêm通りを歩きました。
この通りを直進して行けば、
次の目的地である食堂に着くはずなのですが…。


ありました。


東源鶏飯です。


鶏飯ひとすじ、80年。
チョロンの老舗、「東源鶏飯」で、
今日のお昼ごはんをいただきます。^^


いまここ。😄


(つづく)