MIYO'S WEBSITE - 全盲難聴のんたんの記録と卵巣ガン、そして旅日記。

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは24歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。
ベトナム日記は、
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をご覧ください。
ベトナム家族旅行:
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小学生だったころの子どもたちの育児日記は、こちらです。
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全盲難聴・のんたんの冬休み 7 - 靱帯剥離骨折(2018年12月29日・7日め)

2018年10月16日 S園の運動会で、荷物運び競争に参加しました。


12月29日


新宿の居酒屋で家族宴会をやったあと、
痛い足をひきずりながら、
どうにか自宅まで戻ってきました。


お風呂にはいって、そのままお布団にはいったのですが、
どうにも寝られません。
「ただの打ち身」と思っていた右ひざが、じんじん痛んで、
ちょっと眠ったかと思うと、すぐに痛みで目が覚めます。
痛みは治まるどころか、だんだんひどくなってきました。


とうとう、寝るのをあきらめたのが、明け方の5時。
お布団から起き上がって、パソコンをつけました。


さすがに、「これは、病院に行った方がいいな」
と思ったのですが、
暮れもおしつまった、12月29日です。
病院が開いているかどうかも、わかりません。
そこで、近所で診てもらえそうな病院を、
パソコンで探すことにしたというわけです。


幸い、家から車で10分くらいのところに、
整形外科の病院があり、
12月29日までは開いていることがわかりました。
ぎりぎり、セーフです。^^


そこで、夜が明けたら、起きてきた夫に頼んで、
車で連れて行ってもらうことにしました。
もうそのころには、右ひざは大きく腫れていて、
これはただごとではない、というのが、
誰の目にもわかるようになっていました。


朝9時の開院時間に合わせて、病院に到着。
足はますます腫れてしまい、
うまく歩けません。
とうとう、待合室から診察室まで、
車いすに乗せられることに・・・(苦笑)。


そして、レントゲンとCTを撮ったあとに、
医師から告げられたのは、
「靱帯剥離骨折。全治一ヶ月。」
という、診断名でした。


はっ? なに、それ?
って感じです。
そんなことば、生まれて初めて聞きました。


膝の中には、靱帯があるのですが、
転倒したときに、
その靱帯に、急激に強い力が加わって、
靱帯が動いたんですね。
そのときに、靱帯にくっついている骨まで、
靱帯に引っ張られてしまい、
その結果、骨が折れてしまった、
という状況なのだそうです。


えっ 骨折だったの?


と、愕然としました。


「手術や入院はせず、
 副え木をあてて、安静にして治しましょう。」
と言う医師に、おそるおそる、尋ねました。


「先生、あの、私、3日後に台湾に行く予定なんですが・・・。」


いや、わざわざ聞くまでもなく、
普通の人は、即、あきらめると思います。
私、いったい、何を考えていたのやら(苦笑)。


なにぃ? この状況で? ふざけるな~!


と、怒られるかなあ・・・と、思ったのですが、
そのとき医師は、あっさりとこう言ってくださったのです。


「・・・できないことはない。」


へ? あ・・・そうなんですね。
できないことはない、ってことは、
やってもいいよ、ってことですよね?(爆)


ほんとにいいのかなあ・・・と考え込んでいると、
「ちょっと痛いよ~」
ということばと共に、
医師が、ふっとい注射器を、私の右ひざにぶすりと。爆


な、なにするの? とうろたえていると、
注射器の中に、血液がどんどん吸い取られていきます。
私の右ひざは、中で出血していて、
その血がかなりたまっていたのでした。
足が大きく腫れていたのは、
その溜まっていた血液のせいだったようです。


結局、その太い注射器を2本も使って、
ひざから血液を抜き取っていただきました。


「こんなに溜まってたよ。見る?^^」
と言われ、しっかりと見せていただきました。(苦笑)


その後、副え木をあてて、
さらに、右ひざ全体を包帯でぐるぐる巻きにされて、
ようやく診察が終わりました。


受付で会計をすませて、車で帰ろうとしたのですが、
そこからがたいへんでした。
来るときに乗ってきた車に、再び乗るだけのことなのですが、
その車に、乗れないのです。


来たときとは、足の状況が、まるで違っていました。
右ひざには、長い副え木があてられ、
さらに、包帯でぐるぐる巻きになっています。


足は、棒のように固定されていて、曲げられません。
その上、貸与されたばかりの2本の松葉杖が、
ジャマくさい。(←これからずっとお世話になるのに、なんて言いぐさだ。)
自分の体や松葉杖が、あちこちにぶつかって、
たかが車に乗るだけのことが、
なかなかできませんでした。


体の向きを変えたり、腰を曲げてみたり、
あれこれと、たっぷり5分以上は試行錯誤し、
ようやく後部座席に乗り込んだときには、
ぐったり疲れていました。


それまでは、
「台湾までは、飛行機に乗るだけだし、
 台湾に着いたら、タクシーで移動すればいいよね。」
などと、夫婦でのんきな会話をしていたのですが、
そのタクシーですら、乗るだけでひと苦労しそうです。


これはだめだ・・・。


と、思いました。


「もう無理。私、台湾行かない。
 留守番してるから、子ども達と3人で行ってきて。」


私のことばに、
夫も、うなずくしかありませんでした。


(つづく)


(おまけ)
掲載しきれなかった、長男の写真です。^^


2018年10月16日 S園の運動会。パン食い競争です。

S園運動会の日記は、こちらです。


2018年1月12日 S園のの新年会で、コンガの演奏を披露しました。

S園新年会の日記は、こちらです。


2018年2月10日 長女の卒業に合わせて、家族写真を撮ることに。S園から撮影スタジオまで、ボランティアのイナガキさんが送ってきてくださいました。

このときの日記は、こちらです。


2018年2月 このころのネイルです。ツイード模様2本+ストーン付きのワンカラー3本です。偶然でしたが、撮影のときに着たワンピースとネイルのツイード柄が、おそろいでした。^^

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