MIYO'S WEBSITE-全盲難聴のんたんの育児記録と卵巣ガンで思ったこと

超未熟児で生まれた後遺症で、全盲難聴(盲ろう)となったのんたん、双子の妹あみちゃんと共に楽しく生きる家族のお話です。
子どもたちは21歳になり、毎日元気に楽しく暮らしています。
卵巣ガンになって思ったことも、少しずつ書き始めました。

日光街道千住宿めぐり④ 千住宿の町並みを満喫する(2018年5月31日)

2018年5月5日 カラオケパセラ・上野公園点で。(全盲難聴・のんたん 22歳)


5月31日


「徳多和良」のお店を出ましたが、
まだ夕方5時です。
日暮れまでには時間があり、あたりも明るいので、
ちょっとそのへんを散歩してみることにしました。
実は、夫が好きそうな場所、知ってるんです。^^


駅前商店街のはずれに、ひっそりと佇む、
古い洋館のような建物。
現在は、「大橋眼科医院」として使用されている建物です。
景観に配慮しているのか、
ここだけ、アーケードもかかっておらず、
建物をじっくりと堪能できます。



ここには、元々、1917年(大正6年)に建てられた、
ドイツの民家風の医院(初代院長:故・大橋重義氏)がありました。
でも、老朽化により、取り壊すことに。
しかし、惜しむ声が多く、
現・大橋眼科の経営者である鈴木英夫氏の意向で、
旧建物をイメージして、1982年(昭和57年)に改築したのだそうです。


旧・大橋眼科医院の面影を、かなり残しているうえに、
都内の古い建築物から部材を集めたそうなので、
東京の数々の歴史を継承していることになります。



「いいねえ! 味があるよねぇ」
と、夫、喜んで、写真を撮っています。


これが気に入ったのなら、
そういえば、もっと古い病院が、
たしか北千住にあったはず・・・。


江戸時代から続く、有名な接骨院である、
「名倉医院」を紹介する記事を、
少し前に新聞で読んだことを、思い出しました。
当時の建物の一部が、今も残っているのだとか。


スマホで検索すると、すぐに出てきたので、
それを頼りに、歩いて行ってみることにしました。


駅前から、地元の方にききながら、歩くこと、15分。
さすが、下町です。
通りがかった方が、「どこに行くの?」と、
尋ねてくれたり、なんてこともありました。^^


そして、名倉医院に到着です。
雰囲気たっぷりですが、
実はこの医院、現在も、
子孫である名倉院長が、診療しておられます。


写真の門や蔵は、江戸時代からのものがそのまま保存されています。

医院前の駐車場。ここには当時、患者が宿泊する、下宿屋があったそうです。奥に見えるのが、医院の玄関です。


名倉医院へと歩いているうちに、
このあたりが、「日光街道千住宿」であることがわかりました。
日光街道は、東北地方への交通の拠点ですが、
江戸から出発したときの最初の宿場町が、ここ「千住宿」でした。
幕末には、1万人が住んでおり、
江戸近郊の、最大の宿場町だったと言われています。


歩けば歩くほど、古い建物が現れます。
気ままに歩いておりましたが、
気がつくと、すっかり、「千住宿めぐり」になっておりました。


横山家住宅。江戸時代に栄えた商家です。上野の戦いで、彰義隊が斬りつけた玄関の跡など、多くのドラマを残しています。


この他にも、代々(現在も!)千住絵馬を作り続けている「吉田家」、
大正時代創業のお魚屋さんや銭湯など、
この界隈には、古い建造物が、現在も大切に残されています。



事前になにも調べずに来てしまったので、
次々と現れる、古い建物にびっくり。
楽しみながら歩いているうちに、
「ちょっと散歩」のつもりが、
2時間も歩き続けていました。(笑)


(つづく)

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